2012年3月26日月曜日

20歳の夢…前田敦子の卒業について

昨日の埼玉スーパーアリーナでの出来事で「前田敦子」の卒業発表が行われました。
これについて思うことを書きます。

AKB48というある意味非常に大きな組織のセンターであった前田敦子が卒業するというのは、初期の頃から見てきた自分にとってもとても悲しいことで、やっぱりまだまだ発展して欲しいと思う部分もあります。ですが、前田敦子もまた「人」なんだなと感じさせてもらえる場面でした。

 人は、周りから影響を受け、思考を汚染され、心を縛り付けられています。故に、非常に脆い。ですが、その中でも自らの「意志」で物事を決定できるという側面もあるのは事実です。その意志をこうやって、決まってもいない段階でもファンやメンバーへ伝える勇気というのは僕は素晴らしいと思いました。

 ある場所から離れるとき、みんなは何も言わずに消えるようにすーっと去っていきます。それを僕も見てきました。そして、メンバー間に溝を残してしまう。ですが、こうやってみんなの前で、理由を述べて新しい場所へ踏み出していくことを発表できるというのは強い心と使命感を持っていたんだなと思っています。できる人はそう多くはない。

 最後に20歳の”夢”という表現。一種、私がいなくならないと後輩が前に出れないという自尊の表れにも聞こえるけど、それは違うと思う。彼女なりの表現で、「私が先導を切る」という意味に他ならない。AKB48を引っ張ってきた自分が、ここを卒業しても活躍できるということを後輩に見せ、その後ろ姿でまたAKB48を引っ張っていこうということだと思っています。

 不器用ながらも、AKB48を引っ張ってきた前田敦子は素晴らしかった。
そして、それを活かして支えてきた、秋元康、高橋みなみも素晴らしかった。
これからに期待したいと思う。




ーーー以下発表内容ーーー

私から、お話をさせてください。
私は14歳の時に、AKB48のオーディションを受けました。
そして、初期メンバーとして加入させていただきました。
それは、そのオーディションを受けることは、私にとって、大きな決断でした。

そして、今日ここで、2回目の大きな決断をさせてください。
私、前田敦子は、AKB48を卒業します。
私は昔から、感情の起伏がすごく激しくて、
メンバーにもたくさん迷惑をかけてしまいました。

そして、ファンのみなさんにも、たくさん心配をかけてしまったと思います。
それでも私なりに、頑張ってきた6年半でした。

コンサートの初日に、東京ドームの発表があって、14歳のころからみんなで夢見てきた、その夢がかなうから、それを楽しみにして、二十歳(はたち)の夢に向かって、動きださなきゃいけないとあらためて思いました。

正直、不安で一杯です。どうなるか分かりません。
たくさんいる後輩のためにも、私が、卒業をして歩き出さなければならない。
そう思います。ですが、まだ、詳しいことは決まっていません。

今すぐに辞めてしまうわけではありません。
また詳しいことが決まったら、みなさんにお伝えします。
私のために、時間をさいてしまって、すみませんでした。

本当にありがとうございます。はーっ(深呼吸)。
今回、たくさんの方に止められかけました。ですが、今日、ここでみなさんに発表することは、絶対にしようと思って、ここまで(ライブを)やってきました。

短い間かもしれませんが、私はまだAKB48の一員として、みなさんとすてきな思い出をたくさん作って、みなさんに、笑顔をあたえることを忘れることなく、頑張っていきたいと思います。

今日はびっくりさせちゃって本当にすみません。本当にありがとうございました。

2012年3月14日水曜日

デザイン思考と March KING2012

March KING2012会場
今日は、March KING2012に参加してきて思ったことを書こうと思う。
間違っても、否定的なことを書きたいわけではなく、これからのKING2012がもっと良くなることを祈っての記事だ(ユーザー調査と思ってくれればいいかも)ということを断っておく。今日のタイムラインはこのような感じだった。

※今回の記事は、誰も考えていないかもしれないのですが「March KING」を観察した(Seeing)記事です。僕は今回は敢えて、自分の意見を統合して最後までは書かないことにしました。あの場所を再度プロトタイプするのはKING2012のメンバー自身だろうと考えているからです。

構成
17:45 スタート(6名1チームみたいな感じで席に着く)
※本番が4名1チームなのに、なんでここでケースやデータを取ろうとしなかったのかはちょっぴり疑問が残る。
17:50 社会人のセッション(社会人の方は知り合いですw)
18:40 グループワーク
19:10 休憩
19:20 パネルセッション
20:40 質疑応答
20:50 交流会
21:20 終了

山口さんと櫻井さんのセッション
社会人のセッション
デザイン思考のさわりを解説してもらう場所だった。でも、その前にアイスブレイクをすることがあるともっと良かったと思った。内容自体は、デザイン思考を一通り知っている人に取っては、すごく平易なないようだったけど、やったことない人にとっては、スーツ、ギーク、デザインがそれぞれ場に置いて果たす役割も分かりづらかっただろうし、それ以上に具体例を用いて説明した方が良かったなぁなんて思っていた。
もっと言えば、KINGのスタッフはこのときチームにいて彼らの話している分からないところを解決する役目をしたらもっとよくなるかも(そうすると、参加者が理解に苦しむ場所も明確になるので、本番に反映しやすいだろう)。
でも、山口さんと櫻井さんやっぱりいい感じに掛け合うなーと思った。相変わらずコンビネーションが抜群ですよね。毎回わくわくです。






グループワーク
競争性が創造性を阻害する形に働いていたと思う。これでは、ほんとうに大事だと思っていたものが消されてしまっていたのではないかと思っていた。(気付いていない人がほとんどだったかもしれないが、実は競争性(1位になる)ということを意識し始めると、型破りなことがしづらくなる。視野が狭くなり、創造性を阻害し、コラボレーション性を著しく損なうことになる。ルールを守り、枠を抜けられなくなる。)
これは、今回のマシュマロチャレンジで起こっていたことだった。あと、プロトタイプというのは、周りにいくらでもあるものを用いて、簡便にものを創り、創造し直すことができるようにすることであり、断じてそこにあるものの数で制限を付けられては行けない(スパゲッティーの本数や、ひもなどはあっても良いが、使える本数だけ決めて、予備を無限に用意する必要がある。)そうすることで、個人としての創造性が、集団としての創造性を加速させるようになってもっといいものになるだろうなと感じた。(実体験ベース)

休憩
社会人が退出したのは、ちょっと痛かった。あの時間に質疑ができる環境をつくり、1部の参加者と場や雰囲気を共有する必要があったと思う。そうすれば、この後のパネルディスカッションももっと意味のあるものに変容させることができた。参加者と登壇者がミスコミュニケーションを起こすとそれだけで一体感を損なうセッションを開催してしまうのは注意すべきかも。

パネルセッション
まず、質疑応答でのパネラーがTwitterを利用していたのは素晴らしかった(あれをスクリーンで共有すると、場が一体になってもっと素敵になると思う)。Twitterでも出ていたが、個人の意見を聞き出す必要がある。社会がどうだとか、公務員がというのは、正直関係あるものではない。その人がそれについて何を思っているかはそれほど大事ではない。むしろ、「あなた達は、何を考えて活動しているのか?」、「どのような未来が実現されるべきだと思っているか」などの未来や自己への質問をもっとしていく必要があると思った。そして、観覧者が消極的すぎた。最高のパネルディスカッションは、観覧者や運営者、登壇者という身分をそっちのけで議論できるようになることだ。あと、小池君がキュレーターをしていたのが大変だっただろうが良い経験を彼もできたのだと思っていた。おつかれ!

ただし、あの場に居た誰もが、「あの場」をデザイン思考していなかったというのは、僕は正直感じていました。

交流会
素敵な場だったと思う。集まったときよりもエネルギーの高い場だった。でも、ダウンローディングによって体現された場を少し破った気がする。そして、新しい出会いに満ちていた、素晴らしい空気感だったと思う。今日、僕も後ろに座っていた社会人と話すことができてとてもうれしかった。もう一度あいそうな気がする人でした。

まとめ(感じていたことをまとめる)
今日、少し「場」を意識するために、ワークで遠ざかってみましたが観察していて結構面白かった。思考が「一番高く積んでください」と言われた瞬間にみんなの意識が「確実に勝つ」という方向に向かい、クリエイティビティを損ない始めた様子には圧巻だった。やっぱりかという想いがこみ上げた。過去の自分の経験が蘇ってしまった(笑。そうすると絶対にクリエイティビティを重要視する立場には戻れない。まさに日本社会の縮図があの場所で起きていた。スピードをある意味落とすことへの恐怖感だ、考えてるということは安心感を覚えるし、プロトタイプを失敗したらどうしようという想い込みが悪い方向に向かわせていた
。あと経験が不足して15分という時間の長さを感じれていなかったのだろう。あとは、一言一言が相手に与える意味っていうのも、ヤッパリ大事にしないと行けないという感覚を覚えた。

KINGというコンテキストを超えて
KINGというコンテキストを読み解けば、その源泉には「競争性」が深く根ざしている。それは、「創造性」を阻害する力となってはたらいているように読み解けた。その結果が、マシュマロチャレンジの結果だ。今のままでは、あのような成果物を合宿で創り出してしまう。自分の話を少し加えていいのなら、KBC実行委員会ビジネスコンテストの大きなコンセプトである「恊働」という考え方をあの場所が体現できるようにしないといけないだろう。競争性と創造性をうまくミックスできれば素晴らしいコンテストをすることができると思う。
あと、ここからは自分の意見だけども、デザイン思考には「コンテスト」という形式がそぐうのかは正直疑問符が浮かぶところであるということは言っておこう。あと、デザイン思考は間違えて欲しくないのは本質が「プロトタイピング」にあるのではない。
ユーザーと一体(主体、客体、観察者という身分超越から始まる)となる場を創り出すことから始まり、彼らと対話し、問題の本質がそれを創り出す自分にあることを知り、改善環境をCo-Creatingすることこそ、本質だ。でも、これを知り実践するためには自らでプロジェクトを回し、人を巻き込んでいくという、まさに今日話していたことを自らで体現して、失敗して始めて身につき、実践できるようになるものであるということを忘れてはならない。(僕がこれを理解したのは、中学、高校、大学での特異な実践経験と、知識を融合できたからだと思っている。)。僕から言えるのは「デザイン思考」をするためには=Open Thinking, Open Heart, Open Willのもとで、世界を見ることから。ということです。

でも、今回のKING2012を見て、彼らに一層の期待感を抱くようになった。
彼らがKINGを卒業した後に、一緒に世界をCo-Creatingする日が楽しみだ。
今は、がむしゃらになって、必死に頑張って欲しい!

2012年3月9日金曜日

「留年」へ送る感謝と、これから留年する人へ

今回は、「留年」をしてしまった皆さんへ書こうと思います。
そして僕の今年の留年を支え、そして素晴らしい出会いをくれた皆さんへ
感謝を書きたいと思い、ここへ書かせて頂きました。

留年という事実

留年をした皆さんは、どのような心境でしょう?「いやー、やっちまった」、「親に怒られる」、それは間違い有りません。怒られてください、そして反省してください。それは、事実に対しての謝罪なので避けるべきでは有りません。そして、来年は是が非でも進級してください。

僕の経験を話します。僕も留年したとき、本当に「・・・」ってなりました。留年ということは分かっていたのですが、実際に成績表が手元に来ると本当にがっかりするものです。本当に残念で、社会的地位を失ったかのような気持ちになります。まさにその通りで、僕の所属する組織の皆さんは一部を除き非常に輝かしい成績を収めてきた人ばかりです。そのなかで留年て...なんて思っていました。学校の同期も全員進級して、僕だけ2年生に居残りです。本当に心の底から寂しかったし、残念だなぁと思いました。


転換点

新学期が始まり、わかったことがありました。それは、周りに「友達」が一人もいないことです。特に学園祭というようなサークルにもいないので、同じ学部に後輩も居ません、出身は和歌山なので地方の友達もいません。だから、授業は見事にひとりぼっちです。でも、そのお陰で不思議と「出席」する授業は「勉強」していました。話す人も気になる人もいないので、自分のペースで勉強し、終わった後わからないなら質問できました。そして、不思議なことに今でも勉強した内容を実際に使うことができて、過ごしている中でも役に立っていることも有ることです。

気付き

そして、新学期が始まってもう一つ気付いたのは、友達に気を使わなくなったので、全くと言って良いほど、自由。時間の制約もない。本当に自分中心で時間を決めて、行動することができた。一緒に勉強なんてしないし。そうすることで、新しい気づきをたくさん得て、自分が過ごす時間は自分でデザインする。そういう感覚が芽生えたんです。そして、他社との比較から自分を見つめるのではなく、自分は何がしたい?、どこに行きたい?、どんな人と会いたい?っていうのを真剣に自問自答し、その想いで動いていたように感じます。

ネタ

留年すると、社会人に会うときでも、学生に会うときでも、自分の学年を発表するのがとっても怖くなります。おもしろぐらいに。でも、それってよく考えてみてください。「ネタ」ですよ。ただの「ネタ」です。掴みはばっちりです。最高の「掴み」を実現することができます(もちろん、人に寄りますが)。残念なことに、「一般的価値観」に縛られている人は、残念ながら理解してくれませんでしたけどね。落ちこぼれかと「冷ややかな目」で見て頂きました。でも、気になりません。彼らは「留年」という事実しかみていないのに、「ダメだ」と勝手に判断してしまっているのです。僕はこれは問題だと思っていましたね。

留年したみんなへ

ここからは「留年した」皆さんへ。
いま、あなたは「留年」しました。
さぁ、どうしますか?考えましょう。

その事実を応援だと見なして、一生懸命勉強に励む。それも素晴らしい。
その事実を良いことだと捉えて、取る単位が少ない分時間がたくさんできるので、学校以外の活動に励む。それも素晴らしい。
自分の面白いと思うことを、一心不乱にやってみる。それも素晴らしい。

やって欲しくないのは、留年したことを引きずること。
そして、そこから派生する自分への不利益を「最悪なこと」と捉えることです。

留年をすると、これまでの友達とはクラスが離れるでしょうし、合う回数だって減ることになります。これを、もし”悪いこと”と捉えるのならば、それまでです。

ですが、「助けがなくなったことで、自分でやるってことは、本気でやらないといけないし、身につくよね」って開き直って、良い方向に考えられるなら、留年したことは本当に意味の有ることになるでしょう。勉学が経験上、本当に身につきます。

そして、少ない回数「濃く」会おう。
そしてそのやり方を身につけよう!そう思えば良いんです。
そのやり方も身につくようになります。

実際、今年留年して僕はそういう1年を過ごせました。
友達が居なくなって、過去問もないので、毎回必死に勉強するんです。
でも、すごく楽しいんですね。やらないと仕方ないんですけど。
ただ、友達とのいらない時間は過ごさないでいいし、自分の好き勝手勉強できる。素敵な環境を「留年」からプレゼントしてもらいました。自分一人で落ち着いていろんなことに想いを巡らせる。そう言う時間がいかに大事か、そしてその時間から生まれてくるものがいかにたくさん有るのかということを知りました。アイデアコンテストの「プログラム」のアイデアはこういう「空白」の時間から生み出されました。

これは、僕からのおすすめしたいことです。
留年した皆さんは、これまでの友達と「絡む」時間を極力少なくすることから始めましょう。そんなに世界は狭く有りません。新しい人と、新しい時間の過ごし方を考えることから始めましょう。こんな素敵な機会に出会うことができているんですよ!素敵な贈り物です。そうすると、大学へ行く意味、勉学に励む意味、どんな勉学に励むべきなのか、そういう本当の大学の意味に出会えるでしょう。

もし、「留年したこと」を就職活動に不利に働くと思えば、それまでですが、「留年した。だからできたことがあった。」と、もし開き直って考え、行動できるならそれは非常に意味のある「留年」になるでしょう。そして、その想いと言葉は「留年しなかった」自分が言う言葉に比べて十分に想いの篭った言葉になるでしょう。

僕はこれから、就職するなら、就職活動をする身ではありますが、今年1年間を使って社会人の方とのたくさんの出会いに恵まれました。そして、どういう学生を求めているのか、そしてその本音を聞くことができました。それは、この1年間がなければ絶対にあり得なかったことです。もし3年生になっていれば、担当者は採用活動を僕にしていたでしょう。でも2年生だったからこそ、そうはならなかった。だから、皆さんは「就職活動」ではない状態で、社会と始めて「対話」する機会を持ったことになります。

大事なことは、目の前で起こることをすべて、瞬間的に「悪い」ことと判断しないことです。そこにあるのは事実だけで、それ以上でも以下でもありません。あなたが、社会から縛られる価値観に寄って、無意識のうちに事実を「良い」か「悪い」か判断しているということです。これは大きな問題です。これだけはやめて欲しい。勝手に創られたルールで目の前の事実が、あたかも自分が判断したように「悪い」って判断される世界です。怖いですね。

最後に、僕は、今年1年間留年を経験してきて、一番大きな財産はものすごくたくさんの「出会い」に恵まれたことでした。この1年は僕の人生に取ってとても大切な時間だったし、何にも代え難い経験になっているということは伝えたい。そして、新しい一緒に世界を変えようとするパートナーに出会ったことも。

感謝

今年1年間を過ごして、思い出深いのは、6月のStudy WorkshopでRecruitの方と一緒にイベントを共催したときに出会った社員の皆様。Mbaobaoで出会った、HARU Consultingの皆さん。そして、KBC Idea ContestというNICTと共催したイベントでお会いしたNICTの方々MURCの方、勝屋さん、中嶋さん、照沼さん、世良さん、本間さんというメンターの皆様。更に、新しい出会いではないですが、これまで以上にメンター三田会の皆様とは深いかかわり合いができ、新しい事業にコミットメントさせて頂き新しい貴重な経験を今、積ませて頂いております。そして、日本創り継ぐプロジェクトで出会った山口さん、櫻井さんを始めとするNRI, NTTデータ経営研究所の皆さんや、そして、これらのイベント、事業に参加してくれた参加者のみんな!KING, GEIL, OVALなどたくさんの繋がりました。(特にって書いたけど、全部濃いなぁ!)。そして、ここに書ききれないですが、支えてくださった皆様。そして、KBC実行委員会の仲間心から感謝しています。


最後に

僕の留年を許してくれる一番身近な人へ本当の感謝の気持ちを伝えたい。
この1年間、いやな顔一つせずにただ「自分の人生だから、やりたいように過ごして、楽しめ」と言い続けてくれた家族、特に父と母に心から感謝したい。

メッセージ

これから留年するみんなへ。
これから何を得るのか。そして何を見たいのか。
どんな新しい人と出来事に出会えるのか。
もっと期待を膨らませまてほしい。

僕は今だから、これから「留年する」みんなへ声を大にして伝えたい。


これから始まるのは、
「新しい人生への「入学式」だ」