今回は、「留年」をしてしまった皆さんへ書こうと思います。
そして僕の今年の留年を支え、そして素晴らしい出会いをくれた皆さんへ
感謝を書きたいと思い、ここへ書かせて頂きました。
留年という事実
留年をした皆さんは、どのような心境でしょう?「いやー、やっちまった」、「親に怒られる」、それは間違い有りません。怒られてください、そして反省してください。それは、事実に対しての謝罪なので避けるべきでは有りません。そして、来年は是が非でも進級してください。
僕の経験を話します。僕も留年したとき、本当に「・・・」ってなりました。留年ということは分かっていたのですが、実際に成績表が手元に来ると本当にがっかりするものです。本当に残念で、社会的地位を失ったかのような気持ちになります。まさにその通りで、僕の所属する組織の皆さんは一部を除き非常に輝かしい成績を収めてきた人ばかりです。そのなかで留年て...なんて思っていました。学校の同期も全員進級して、僕だけ2年生に居残りです。本当に心の底から寂しかったし、残念だなぁと思いました。
転換点
新学期が始まり、わかったことがありました。それは、周りに「友達」が一人もいないことです。特に学園祭というようなサークルにもいないので、同じ学部に後輩も居ません、出身は和歌山なので地方の友達もいません。だから、授業は見事にひとりぼっちです。でも、そのお陰で不思議と「出席」する授業は「勉強」していました。話す人も気になる人もいないので、自分のペースで勉強し、終わった後わからないなら質問できました。そして、不思議なことに今でも勉強した内容を実際に使うことができて、過ごしている中でも役に立っていることも有ることです。
気付き
そして、新学期が始まってもう一つ気付いたのは、友達に気を使わなくなったので、全くと言って良いほど、自由。時間の制約もない。本当に自分中心で時間を決めて、行動することができた。一緒に勉強なんてしないし。そうすることで、新しい気づきをたくさん得て、自分が過ごす時間は自分でデザインする。そういう感覚が芽生えたんです。そして、他社との比較から自分を見つめるのではなく、自分は何がしたい?、どこに行きたい?、どんな人と会いたい?っていうのを真剣に自問自答し、その想いで動いていたように感じます。
ネタ
留年すると、社会人に会うときでも、学生に会うときでも、自分の学年を発表するのがとっても怖くなります。おもしろぐらいに。でも、それってよく考えてみてください。「ネタ」ですよ。ただの「ネタ」です。掴みはばっちりです。最高の「掴み」を実現することができます(もちろん、人に寄りますが)。残念なことに、「一般的価値観」に縛られている人は、残念ながら理解してくれませんでしたけどね。落ちこぼれかと「冷ややかな目」で見て頂きました。でも、気になりません。彼らは「留年」という事実しかみていないのに、「ダメだ」と勝手に判断してしまっているのです。僕はこれは問題だと思っていましたね。
留年したみんなへ
ここからは「留年した」皆さんへ。
いま、あなたは「留年」しました。
さぁ、どうしますか?考えましょう。
その事実を応援だと見なして、一生懸命勉強に励む。それも素晴らしい。
その事実を良いことだと捉えて、取る単位が少ない分時間がたくさんできるので、学校以外の活動に励む。それも素晴らしい。
自分の面白いと思うことを、一心不乱にやってみる。それも素晴らしい。
やって欲しくないのは、留年したことを引きずること。
そして、そこから派生する自分への不利益を「最悪なこと」と捉えることです。
留年をすると、これまでの友達とはクラスが離れるでしょうし、合う回数だって減ることになります。これを、もし”悪いこと”と捉えるのならば、それまでです。
ですが、「助けがなくなったことで、自分でやるってことは、本気でやらないといけないし、身につくよね」って開き直って、良い方向に考えられるなら、留年したことは本当に意味の有ることになるでしょう。勉学が経験上、本当に身につきます。
そして、少ない回数「濃く」会おう。
そしてそのやり方を身につけよう!そう思えば良いんです。
そのやり方も身につくようになります。
実際、今年留年して僕はそういう1年を過ごせました。
友達が居なくなって、過去問もないので、毎回必死に勉強するんです。
でも、すごく楽しいんですね。やらないと仕方ないんですけど。
ただ、友達とのいらない時間は過ごさないでいいし、自分の好き勝手勉強できる。素敵な環境を「留年」からプレゼントしてもらいました。自分一人で落ち着いていろんなことに想いを巡らせる。そう言う時間がいかに大事か、そしてその時間から生まれてくるものがいかにたくさん有るのかということを知りました。アイデアコンテストの「プログラム」のアイデアはこういう「空白」の時間から生み出されました。
これは、僕からのおすすめしたいことです。
留年した皆さんは、これまでの友達と「絡む」時間を極力少なくすることから始めましょう。そんなに世界は狭く有りません。新しい人と、新しい時間の過ごし方を考えることから始めましょう。こんな素敵な機会に出会うことができているんですよ!素敵な贈り物です。そうすると、大学へ行く意味、勉学に励む意味、どんな勉学に励むべきなのか、そういう本当の大学の意味に出会えるでしょう。
もし、「留年したこと」を就職活動に不利に働くと思えば、それまでですが、「留年した。だからできたことがあった。」と、もし開き直って考え、行動できるならそれは非常に意味のある「留年」になるでしょう。そして、その想いと言葉は「留年しなかった」自分が言う言葉に比べて十分に想いの篭った言葉になるでしょう。
僕はこれから、就職するなら、就職活動をする身ではありますが、今年1年間を使って社会人の方とのたくさんの出会いに恵まれました。そして、どういう学生を求めているのか、そしてその本音を聞くことができました。それは、この1年間がなければ絶対にあり得なかったことです。もし3年生になっていれば、担当者は採用活動を僕にしていたでしょう。でも2年生だったからこそ、そうはならなかった。だから、皆さんは「就職活動」ではない状態で、社会と始めて「対話」する機会を持ったことになります。
大事なことは、目の前で起こることをすべて、瞬間的に「悪い」ことと判断しないことです。そこにあるのは事実だけで、それ以上でも以下でもありません。あなたが、社会から縛られる価値観に寄って、無意識のうちに事実を「良い」か「悪い」か判断しているということです。これは大きな問題です。これだけはやめて欲しい。勝手に創られたルールで目の前の事実が、あたかも自分が判断したように「悪い」って判断される世界です。怖いですね。
最後に、僕は、今年1年間留年を経験してきて、一番大きな財産はものすごくたくさんの「出会い」に恵まれたことでした。この1年は僕の人生に取ってとても大切な時間だったし、何にも代え難い経験になっているということは伝えたい。そして、新しい一緒に世界を変えようとするパートナーに出会ったことも。
感謝
今年1年間を過ごして、思い出深いのは、6月のStudy Workshopで
Recruitの方と一緒にイベントを共催したときに出会った社員の皆様。Mbaobaoで出会った、
HARU Consultingの皆さん。そして、KBC Idea ContestというNICTと共催したイベントでお会いした
NICTの方々、
MURCの方、勝屋さん、中嶋さん、照沼さん、世良さん、本間さんというメンターの皆様。更に、新しい出会いではないですが、これまで以上に
メンター三田会の皆様とは深いかかわり合いができ、新しい事業にコミットメントさせて頂き新しい貴重な経験を今、積ませて頂いております。そして、日本創り継ぐプロジェクトで出会った
山口さん、櫻井さんを始めとするNRI, NTTデータ経営研究所の皆さんや、そして、これらのイベント、事業に参加してくれた
参加者のみんな!KING, GEIL, OVALなどたくさんの繋がりました。(特にって書いたけど、全部濃いなぁ!)。そして、ここに書ききれないですが、支えてくださった皆様。そして、
KBC実行委員会の仲間へ
心から感謝しています。
最後に
僕の留年を許してくれる一番身近な人へ本当の感謝の気持ちを伝えたい。
この1年間、いやな顔一つせずにただ
「自分の人生だから、やりたいように過ごして、楽しめ」と言い続けてくれた家族、特に
父と母に心から
感謝したい。
メッセージ
これから留年するみんなへ。
これから何を得るのか。そして何を見たいのか。
どんな新しい人と出来事に出会えるのか。
もっと期待を膨らませまてほしい。
僕は今だから、これから「留年する」みんなへ声を大にして伝えたい。
これから始まるのは、
「新しい人生への「入学式」だ」