2011年12月26日月曜日

大学の“今” #1

東京大学安田講堂
 今、日本の大学の至る所で、これまでの常識からすると考えられないような変化が起こっているそうです。
 その象徴的な現象の一つに「便所飯」というのが有るそうです。文字通り、便所にこもってご飯と食べることですが、これがいじめとは関係なく、大学生が自ら進んで大学内のトイレで一人食事をとっているということだそうです。
その背景にあったのは、“人のいるところで食事をするのが嫌”ということではなく、“一人で食事をしているところを見られたくない”という心理が働いているということです。

 実際に経験した学生からは以下のような意見があります。「トイレでの食事はたまにします。時間がないときにコンビニで買って来たものを一人で食べているところを見られたくないからです。一人でも食事ができる環境をもっと増やして欲しい。特に大学の食堂でも、一人で入り易くする環境を整えて欲しい」

 さらに「昔の人は、一人で食べることを嫌だと思っていなかったということに驚きました」という意見も有り、それはつまり、一人で食事をしているのを見られたくないというのが普通の感覚で、そうではない人が信じられないということです。驚くべきことだと感じる人もいるのではないでしょうか。

さてその背景を読み解いていくことにしますが、まず昨今の“個人情報時代”似合って「誰とも連絡を取れず、一人で食事をするしかない人間」という風に見られることを恐れているように思います。簡単に言えば、個別に繋がれる形態時代に会って、そこから断絶された離れ小島の住人だとは思われたくはないということなのでしょう。ですが、これを克服した(?)意見も紹介します。

大学3年生の女子書いた意見だそうですが
「入学式に出て思ったのは、mixiや携帯を使って、あらかじめグループができているということ。一部ではあったが非常に驚いた(私は、完全にその流れにのれなかったので、友達を作るのに苦労した)。人の目が気になる、人とつながってたい、そんな気持ちからmixiを始め、なまじ友達に認めてもらえたようで満足していたが、そう言う自分が虚しくてmixiを辞めました(250人程との常時のつながりが切れました)。意外と孤独感はないです。」

この現状からもわかるように、入学して実際に顔を会わせる前からグループが作られてしまうのが今の世の中です。バーチャルが悪いということではありませんが、その虚しさと限界を知り、そこから脱却する彼女のような人財は少数派になっているかもしれません。

 また、実際に「便所飯」から脱却したある2名男子学生のインタビューもありましたので紹介すると、ある学生は「就職の問題も含めて将来のことをいろいろ考えているうちに、いつのまにかトイレでご飯を食べるのを辞めている自分がいました」。また別の学生は「大学でサークル活動を始めて、それが楽しくなっていくうちに、きがついたらやっていなかった」と回想しています

 ここから読み解けることは「自分で「便所飯」をやめなくてはならない自覚したのではなく、生活の中で将来に関わる重要な課題や楽しいコトを発見し、目標ができ充実する中で知らず知らずのうちに脱却していたという事実です。

 ここで着目すべきは、“毎日の学生生活の充実が、一人で食事しているところを誰かに見られたくないという不安を解消した”ということです。即ち、将来を考える、サークル活動に参加するという日々の生活の中で、自らの心が発達し周囲がしっかりと見えてくるようになれば(良くない意味で)常識を逸脱した行動をとらなくなるということですね。

 さて、そう考えると、学生に「便所飯」をさせている責任の一端は、そうした心の支え・成長を作ることができない、大学や、遡れば、そうした生徒を送り出している中学・高校にもあるともいえると思います。
教育者、学生、保護者といった立場に関わらず、どうしてそのようなことになっているのかという意味を良く考えてみなければなりませんね。

(参考:危機の大学論)

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