こんにちは。
梅雨は雨ばかりで気持ちがブルーになりますね。
いやはや、いやはや。
久々にブログを更新します。
今日のテーマは「組織にデザイン思考を普及させるために」です。
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とあるワークショップの質疑で頂いた質問に、どうすれば「デザイン思考を組織に普及させることができる」のかって言う話がありました。この質問への回答を、ここに書かせてもらいます。
デザイン思考を組織に普及させる視点からみると、あの時は、「一人ひとり」とワークショップなりを通して価値観を変えていくしかないという話をしました。もう1つお話ししていないものとして、「あなたが、デザイン思考を通して、成果を生み出す」ことがあげられるはずです。手法の研究をするのではなく、まず「あなたは何をするのか」を決めて、それをデザインのプロセスに従って進めるということです。
実際、どうすれば「広められますか」という質問は、想像もつかない「素晴らしい答え」を求めているわけですけど、そういうのがないってみんな知ってるはずですよね。でも、どこかにすがってしまう弱い自分がいるのではないでしょうか。その弱い自分を越えないと、何かを変えていくことってそうそうできないんじゃないかなと思います。特に、向き合うものが「文化」や「価値基準」という無意識の行動であれば尚更です。
ある意味、求めている回答としては、「勉強やってない人に、勉強しろ!って言って変えたい」ぐらいの気持ちだと思います。言って変わるぐらいの手軽さを求めてるのではないでしょうか。でも、想い出して欲しいのです、「誰かに言われてやるようになった経験」がありますか?実際ないですよね。これは同様に「デザイン思考やってない人に、デザイン思考しなさいと言って、やるようになる経験」は生み出せないということです。ある意味、人の行動を変えるためには「手軽な方法」はないです。
では、次のシチュエーションについて考えてみます。「高校2年生から僕たちは勉強をある程度自発的に始める」という現象です。これについて考えることで求めている解に近づけるかもしれません。高校2年生、3年生で勉強を始める現象には、2つの側面(要因)があると考えることが自然だと思います。1つは外的、もう1つは内的です。
外的な要因としては、勉強しないといけない外部環境(受験は失敗すれば、何かを失う恐怖)があります(人を動かす外的要因は多くの場合恐怖です)。これは何かできれば、インセンティブがあるというものではなく、何もしないと失うという恐怖です。インセンティブだけだと、別にやらなくてもいいわけなので、やりませんよね。例えば、これに即して普及させるための方法をお話しすれば、どんな新しいコト・モノ・サービスを生み出したかを業務の査定項目に盛り込めばいいと思います。
もう1つは内的な要因です。具体的には、何か目標ができる場合です。「東京大学に行きたい」という漠然としたものから、「僕は、〇〇を研究してノーベル賞を」という大きなものまであるかもしれませんが、多くの人はこの前者であると仮定をします(実際、肌感覚でそうですよね。東大に入るとすごいぐらいの動機かもしれませんし)。この自分で定める「動機」があると、人は動き出します。ですが、ここで注意したいのは、この「東大に行きたい」というモチベーションは「受験」という環境のなかで生み出されているものであることに注意してください。何も制約がなければ内的動機は生み出されません。
では、ここまでをまとめましょう。1つは「外的環境」の話です。外的環境をある意味、何かに向かうように最適化しないといけません。特にデザイン思考をすることが必要である環境の設定です。それから、内的な動機付けを生み出すために、デザイン思考ができる人は「すごい、かっこいい、クール」という状況を生み出せるかどうかにかかっていると言えるでしょう。
そして、この2つを生み出すためには、先ほどの話の繰り返しですが、外的要因として「イノベーションを評価基準に」持ち込むこと。それから、もう1つは「デザイン思考ができることはかっこいい」という想い込みを生み出すことです。特に、後者はイメージですから、「デザイン思考を通して生み出された輝かしい成果」が必要です。それは「東大に合格する人は、頭がいい」という想い込みを作らせるのと同じです。
ですが、今はデザイン思考というのはどの組織の中でもまだまだ小さい一派なはずで、どこでも黎明期なわけです。これは環境としてはスタートアップと同じ状況です。このような状況では、まずは「応援者を作ること」から始めないといけません。今回のワークショップもその一環だと思います。それから、「早い段階で真剣に取り組み小さくても良いので、成果を上げていく」ことも重要です。論文や方法論の研究ではなく、デザイン思考を用いてこんな成果が上がったという証拠を生み出しましょう。これはある意味、プロトタイプ+テストと同じです。このようにして、応援者を増やしていくことで、メインストリームをコチラに徐々に引き寄せることができます。それが、私のお話しした「一人ひとりを向き合って、話していくしかない」ということです。まずは応援者を徐々に増やしていきましょう。
2013年6月26日水曜日
2013年6月15日土曜日
新しいモチベーション - ”EGO”
こんにちは。
トモシゲです。
昨日の、とあるT.Y.さんとの議論から派生して感じたことをメモ。
デザイン思考っていうものに出会ってもう4年です。そして、デザイン思考をワークショップや教育、人材育成の世界で使って2年ぐらい経ちました。このデザイン思考について、僕はこの2年間で随分と「考え方」に修正を加えてきました。
最初は、「デザイン思考っていうのは、、、ユーザーの視点に基づいて、新しいモノを発想するから、ユーザーが欲しいもの・買いたいもの」が生まれるという仮説から始まりました。他の人は「多様な視点からの問題解決」と言ったり、「多様性が生み出すコラボレーション」とか、またある人は「ユーザーに寄り添う方法」と言います。結論から言うと、大体みんな同じことを言ってます。
あと、随分勘違いした人は「イノベーションを生み出す方法」なんてことも言ってます。これに関しては、僕は「間違い」であると思います。この発言は「取り消した方がいい」と思います。確かにデザイン思考は「イノベーション」と呼ばれる過去に起こった出来事をリバースエンジニアリングして生まれた手法です。その結果として、観察、定義、創造、試作、テストが生まれているわけです。ただし、これは結果論でしかないんです。つまり、因果関係が大きく間違っています。
仮に「イノベーションを生み出したプロダクト」ならば、「デザイン思考」をしている。が正しいと仮定します。では、逆である「デザイン思考」をすれば、「イノベーションを生み出せる」は成り立つでしょうか。時系列など様々な要素があるとはいえ、これは安易に「真」ということはできません。「デザイン思考」は「イノベーションを生み出す方法」であるという根拠のないロジックを世の中に広めるのは、やめてください。そして、イノベーションを生み出す方法論であるというなら、なぜそれを「あなた」が実践してイノベーションを起こさないんでしょうか。これは矛盾だと思います。
さて、話は変わって。ここで疑問です。このデザイン思考が本当に「買いたいもの」を生み出しているのかということです。つまり、「デザイン思考」→「買いたいもの」という論理が成り立つのかどうかについて強い疑問が最近あります。そもそも、欲しいものさえ生まれないんじゃないかと。
すこしここ4年間を振り返ってみましょう。デザイン思考が日本で芽を出したのは4年前の2009年ですから、ここから「デザイン思考」を用いて世界に旅たったプロダクトやサービスをがあるでしょうか。答えは簡単「NO」です。デザイン思考を用いても、結果的に売れる製品は生まれていないんですよね。これ、なんででしょう。デザイン思考を研究している方々は、これに明確な答えをだせるでしょうか。Wiiは2003年に開発が始まり、2006年に世界に羽ばたきました。期間である4年間が短いというのは明確な「理由」にはならないはずです。
つまり、「売れる製品が生まれない」、原因を「ユーザー視点」だの、プロトタイプだの、結果的に「デザイン思考」に持ち込むのは随分、強引な気がします。もし、デザイン思考はイノベーションに結びつくというのなら、この点を突破して欲しいなぁと思います。実際、僕は結果的に、突破できませんでした。
ところで、僕は最近新しい仮説があります。
新しいもの、革新的なものが作れなくなった原因って、ユーザー視点ができないことでも、ビジネスモデルがうまく作れないからでも、ビジネスプランを書けないからでもないのかもしれない。自分の腹の底にある、黒い部分と真剣に向き合ったり(自分の”エゴ”と向き合うことだと、僕は思いますが)をせずに、うまく表出させる方法を学ばなかったからじゃないだろうか。
というものです。
ビジネスやプロダクトをつくる人は、ユーザー視点は本当に大事なのはきっとみんなよくわかってると僕は思うんです。でもそれだけだと何か足りなんじゃないかと。
例えば、スープを作るとする。すると、ユーザーのみを考えると、「ただの」おいしいスープができてしまう。もちろん美味しい。でも飲み飽きてるとしたら、ユーザーが求めてるのは「未知」とか「わくわく」とか。エゴっていうちょっぴり毒薬のはいったスープになる。うまく例えられてないけど。
それから、2年前から思ってたのは、ユーザー視点、ユーザーのためだけを思っていても、長いスパンではやっぱりいつかモチベーションはなくなるということ。僕がワークショップをしたいのは、ワークショップっていうのが楽しくて、その世界で一番になりたい!っていう想いがあったからだなと今振り返って思います。
創り継ぐプロジェクトもそうでした。実際、僕が思い描いていたのは「人が発火すること」でしたが、それは、「人を発火させるようなイベント」なんて誰にも作れないと思ったからです。それを成し遂げれば、すごいことなんじゃないか!っていう想いがありました。だから、ある意味ものすごい頑張れたんです。
長くなったので、この辺で締めますが、人間の最大のエンジンってやっぱり「エゴ」だと思うんです。あなたは、どうなりたい?誰から評価を得たい?どんな足跡を「この世界」に残したい?そんな、これまで誰からも聞かれなかったような質問に真剣に回答する時がきているんじゃないかなと。
それがきっと、自分を動かし、人を動かし、ユーザーを動かす原動力なんじゃないかなと。ユーザー視点は大事です。でも、何故ユーザー視点になるのでしょう。それは、あなたが仮に世界を変えるプロダクトを作るとして、ユーザーの視点を失うと、的外れなモノになり過ぎるからです。でも、ユーザーの視点だけぢゃダメです。僕はどんな未来を描きたい。ユーザーがなんと言おうと、その世界へ引きづりこんでやる!そんなユーザーとは遠い視点もまた大事なんだと思います。
最近好きな言葉は。
始まりは”エゴ”から。
ハチャメチャな文章ですが、最後まで読んでくれてありがとうございます。
トモシゲです。
昨日の、とあるT.Y.さんとの議論から派生して感じたことをメモ。
デザイン思考っていうものに出会ってもう4年です。そして、デザイン思考をワークショップや教育、人材育成の世界で使って2年ぐらい経ちました。このデザイン思考について、僕はこの2年間で随分と「考え方」に修正を加えてきました。
最初は、「デザイン思考っていうのは、、、ユーザーの視点に基づいて、新しいモノを発想するから、ユーザーが欲しいもの・買いたいもの」が生まれるという仮説から始まりました。他の人は「多様な視点からの問題解決」と言ったり、「多様性が生み出すコラボレーション」とか、またある人は「ユーザーに寄り添う方法」と言います。結論から言うと、大体みんな同じことを言ってます。
あと、随分勘違いした人は「イノベーションを生み出す方法」なんてことも言ってます。これに関しては、僕は「間違い」であると思います。この発言は「取り消した方がいい」と思います。確かにデザイン思考は「イノベーション」と呼ばれる過去に起こった出来事をリバースエンジニアリングして生まれた手法です。その結果として、観察、定義、創造、試作、テストが生まれているわけです。ただし、これは結果論でしかないんです。つまり、因果関係が大きく間違っています。
仮に「イノベーションを生み出したプロダクト」ならば、「デザイン思考」をしている。が正しいと仮定します。では、逆である「デザイン思考」をすれば、「イノベーションを生み出せる」は成り立つでしょうか。時系列など様々な要素があるとはいえ、これは安易に「真」ということはできません。「デザイン思考」は「イノベーションを生み出す方法」であるという根拠のないロジックを世の中に広めるのは、やめてください。そして、イノベーションを生み出す方法論であるというなら、なぜそれを「あなた」が実践してイノベーションを起こさないんでしょうか。これは矛盾だと思います。
さて、話は変わって。ここで疑問です。このデザイン思考が本当に「買いたいもの」を生み出しているのかということです。つまり、「デザイン思考」→「買いたいもの」という論理が成り立つのかどうかについて強い疑問が最近あります。そもそも、欲しいものさえ生まれないんじゃないかと。
すこしここ4年間を振り返ってみましょう。デザイン思考が日本で芽を出したのは4年前の2009年ですから、ここから「デザイン思考」を用いて世界に旅たったプロダクトやサービスをがあるでしょうか。答えは簡単「NO」です。デザイン思考を用いても、結果的に売れる製品は生まれていないんですよね。これ、なんででしょう。デザイン思考を研究している方々は、これに明確な答えをだせるでしょうか。Wiiは2003年に開発が始まり、2006年に世界に羽ばたきました。期間である4年間が短いというのは明確な「理由」にはならないはずです。
つまり、「売れる製品が生まれない」、原因を「ユーザー視点」だの、プロトタイプだの、結果的に「デザイン思考」に持ち込むのは随分、強引な気がします。もし、デザイン思考はイノベーションに結びつくというのなら、この点を突破して欲しいなぁと思います。実際、僕は結果的に、突破できませんでした。
ところで、僕は最近新しい仮説があります。
新しいもの、革新的なものが作れなくなった原因って、ユーザー視点ができないことでも、ビジネスモデルがうまく作れないからでも、ビジネスプランを書けないからでもないのかもしれない。自分の腹の底にある、黒い部分と真剣に向き合ったり(自分の”エゴ”と向き合うことだと、僕は思いますが)をせずに、うまく表出させる方法を学ばなかったからじゃないだろうか。
というものです。
ビジネスやプロダクトをつくる人は、ユーザー視点は本当に大事なのはきっとみんなよくわかってると僕は思うんです。でもそれだけだと何か足りなんじゃないかと。
例えば、スープを作るとする。すると、ユーザーのみを考えると、「ただの」おいしいスープができてしまう。もちろん美味しい。でも飲み飽きてるとしたら、ユーザーが求めてるのは「未知」とか「わくわく」とか。エゴっていうちょっぴり毒薬のはいったスープになる。うまく例えられてないけど。
それから、2年前から思ってたのは、ユーザー視点、ユーザーのためだけを思っていても、長いスパンではやっぱりいつかモチベーションはなくなるということ。僕がワークショップをしたいのは、ワークショップっていうのが楽しくて、その世界で一番になりたい!っていう想いがあったからだなと今振り返って思います。
創り継ぐプロジェクトもそうでした。実際、僕が思い描いていたのは「人が発火すること」でしたが、それは、「人を発火させるようなイベント」なんて誰にも作れないと思ったからです。それを成し遂げれば、すごいことなんじゃないか!っていう想いがありました。だから、ある意味ものすごい頑張れたんです。
長くなったので、この辺で締めますが、人間の最大のエンジンってやっぱり「エゴ」だと思うんです。あなたは、どうなりたい?誰から評価を得たい?どんな足跡を「この世界」に残したい?そんな、これまで誰からも聞かれなかったような質問に真剣に回答する時がきているんじゃないかなと。
それがきっと、自分を動かし、人を動かし、ユーザーを動かす原動力なんじゃないかなと。ユーザー視点は大事です。でも、何故ユーザー視点になるのでしょう。それは、あなたが仮に世界を変えるプロダクトを作るとして、ユーザーの視点を失うと、的外れなモノになり過ぎるからです。でも、ユーザーの視点だけぢゃダメです。僕はどんな未来を描きたい。ユーザーがなんと言おうと、その世界へ引きづりこんでやる!そんなユーザーとは遠い視点もまた大事なんだと思います。
最近好きな言葉は。
始まりは”エゴ”から。
ハチャメチャな文章ですが、最後まで読んでくれてありがとうございます。
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