2013年10月29日火曜日

TEDxKeioのワークショップより

10月26日、27日と2日間、TEDxKeioのワークショップのメンターをさせていただきました。今回のワークショップの目的は、12月23日に開催されるTEDxKeioの本番に登壇する小中高生(慶應義塾関連校)から見つけよう!ということでした。感想は、純粋に面白かったし、僕自身メンターとして、ワークをする小中高生に付き添って、適宜アドバイスをさせてもらうという役回りでしたが、僕が結果的に終わってみて学ぶことが多かったなと思いました。それをいくつか。



まず1つ目。私たちは、スタッフであろうと、運営者であろうと、メンターであろうと、更にゲストであろうと、全員は参加してくれる人のためにいるということです。参加者に向き合う時、私たちは運営スタッフであろうと、メンターであろうと、それは企画者 vs 参加者の構図が出来上がっている以上、いかにコンテンツに詳しくなくても、いかに知識がなくても、仮に無料のイベントでも、私たち企画者側の人間には、常に価値を出す責任が伴うと思います。これは、ある意味今回自分がイベントにメンターとして参加させてもらって、学ばせてもらったことです(僕は誰かの企画したイベントの運営とかあんまりやる気が起きない人なので。やり始めれば、仕事としてやるモードに切り替えれます。)。

なので、まとめると、誰かのイベントに協力すると決めた瞬間からは、参加してくれる人から見れば、企画者であるわけなので、「好きなコト」かどうかは関係なく、「仕事として」取り組むことが必要ですと。それは、失礼かもしれませんが「ゲスト」だとか、「プレゼンター」でも変わらないことだと思います。ゲストもまた「企画者の一人」であると強く感じました。

続いて、下準備の重要性と、3つの負けの法則について。まず、ワークショップにおいては下準備は欠かせないと思いました。それは、自分の企画したイベントかどうかに関わらずです。具体的には、次のようなことをきちんとやる必要があるのではないかと感じました。
・タイムラインをきちんと一人でシュミレーションし、ワークの姿を頭の中で追いかけておく。
・ワーク中に参加者に意識してもらわないといけない場所や、お伝えするべきメッセージなどをノートにまとめる
・ワーク中に見る動画、資料などは、きちんと事前に目を通す。
・1つ1つのワークの目的と、最終的なアウトプットにつながるイメージに一貫性を持たせる。

これを3つの負けの法則という、「まさに」だと思うことと繋げてみます。3つの負けの法則とは、次のようなものです。
・「情報不足」・・・言葉の通り、何かを達成するために情報が足りていないこと。
・「慢心」・・・自分はできるんだと思ったり、自分を過大評価する精神状態。
・「思い込み」・・・自分の意見や考え方に固執し、論理武装しようとする行為。(受け入れる姿勢の欠如)

今回のワークショップにおいて、自分自身を上記の3つの点から判断するとすれば、きっと1日目と、2日目で大きく評価に差が生まれると思います。1日目は、徹底的に自分の中で慢心と想い込みを減らすために、上でやっていたシュミレーションやノートをしていました。その結果、もちろん想定外もありましたが及第点だなとは思いました。しかし、2日目に関しては自分の中では合格点には至りませんでした。

上記3点を振り返りなおしてみると、まず「情報不足」が目立ちました。もちろん、当日流れるTEDxの映像は事前に2周ぐらいは見ましたし、シュミレーションもある情報でやっていきました。しかしながら、アウトプットにつながるイメージがなかったですし、それぞれのワークの目的も曖昧なままにしてしまいました。しかも、その情報不足をそのままにした点も大きな反省点です。これが「慢心」ですね。それと、自分で事前にスピーチの原稿を作るということをせず、時間感覚を掴むということや、プロセスの構築を行っていませんでした。終わった後気づきましたが、これも「慢心」の一種かなと思います。やっぱり人に何かを教えたり、伝えたりするときには自分自身がまずは、それを創り、きちんと体系立てて説明できるようにしなければならないと思いました。一応、持っている方法もあったのですが、それが中高生に通用すると思っていた「思い込み」も大きな自分の中での反省です。しっかりと自分の中で一般化できていないことや、「人が変われば方法も変わる」という原則を無意識に捨ててしまっていた点が仇になったと思った次第です。と、実は2日目は反省点が自分の中でたくさんありました。なので、うちのチームに限っていえば、2日目はどちらかと言えば、中高生のポテンシャルに救われた感じです。彼らの話す能力や、持っているユニークなテーマなど。それらすべてによって、救われました。

あと、始まる前も、終わった後も、少し気にしていたのが僕は中高生に通じる言葉をどれだけの割合で話していただろうかということですね。この点がもう1つ反省点になりそうです。対話っていうのは、相手の言葉で話すことがとても大事なのに、そこを常に意識できていたかということを一度、きちんと振り返ろうと思います。

----ここからは、中高生への提案-----

さて、長い反省の後に書くのは恐縮ですが、僕がこの2日間中高生と接してきて、感じたことを素直に書きます。結論から言うと、「言葉の数」が足りてないと思います。これは、批判ではなく、彼らが表現したいことが、今みんなが、持っている言葉では表現しきれていないということです。これはとっても勿体ないことだと思います。そして、もちろんまだリベラルアーツと呼ばれる教養も少ないであろう、彼らなので「引用する」という力も、これからつけていって欲しいなと感じました。
これは、何も中高生に限ったことではないかもしれません。僕たち大学生も同じような状況だと思います。接していて言葉の数が足りないと僕は感じることが多いです。正確には、表現の幅の狭さが目立ちます。何を伝えたいのかが、伝わらないということが起こっている気がします。それから例えるチカラも、もっと必要なんじゃないかな?と思ったりもしています。

どうして、これほどに「言葉数」の話をするのかと言えば、「言葉」は非常に強い武器であるからです。表現し、例え、伝える。わかりやすくする。言い回す、解釈をする、考える。これらはすべて「言語活動」です。そして、言葉の数を増やすことが、実は「考える選択肢を増やすこと」になったりするわけです。特に解釈のレパートリーが増えれば、それだけ少ない情報から、全体を見通せるようになるでしょう。相手の言葉から、相手の気持ちをより正確に理解することもできるようになります。今、目の前で議論されていることの主題は何かを見抜くチカラもまた「使える言葉」をどれだけ持っているかに依存します。

それから、「伝えるのではなく、相手に伝わる」ためには、相手に「イメージ」を抱かせることが必要です。そのイメージというのは、相手に自分の経験や話していることを言葉を通して、追体験してもらうことに他なりません。そして、そのイメージを伝えるために人が古来から使ってきたのが「言葉」なわけです。だから、言葉にはあれだけの種類と、意味があるのです。イメージを抱くためには、必ず最初は言葉を使うのです。更に、「イメージできることは、具現化」されます。イメージができるというのは、作るものが理解できるということです。

言葉を磨きましょう。
自分を磨きましょう。
伝えることから、伝わることを目指してみませんか?

さて、最後に。僕が26日、27日に接した皆さんは、僕の高校生の頃とは明らかに違う人でした。仲もいいし、活発に会話もするし、素敵な友達がたくさんいるんだなと見ていて、羨ましく思ったほどです。特にコミュニケーション能力の高さは、当時の僕なんかとは比べものになりません。でも、仲間はいないんだろうなと思いました。共に磨き、高めあうような「仲間」と呼べるような人が、みんなにはいるのかな?とふと、あの場所にいて疑問に思いました。

楽しいことは、心地の良いことです。そして、自分を表現することも。でも、これから、みんなは「高めあう」というステージに歩を進めなくては行けません。是非、TEDxKeioを通して、そんな「仲間」を見つけてください。何も、同世代でなくてもいいのです。自分をぶつけられる諸先輩方はたくさんいらっしゃいますし、自分よりも年上の大学生だってたくさんいるでしょう。慶應義塾の精神である、気品や知徳を身につけ、仲間を見つけてください。

長くなりましたが、この辺で。

2013年10月24日木曜日

自分にとって大切な10のこと

DO NOT JUST DO BUT THINK ABOUT WHAT YOU ARE DOING.
(実行するだけではなく、常に自分が何をしているのか考える)

NOT FOR USERS BUT USER'S VIEWPOINT FIRST
(相手のためではなく。まず、相手の"立場"に立つ。)

TELL YOUR NAME FIRST
(まず、自分から名乗る)

PROBLEM FOLLOWS PURPOSE
(問題は常に目的から生まれる)

REFRAME THE PURPOSE
(目的を定義しなおす)

CREATE CRITERIA FROM PURPOSE AND MISSION
(ミッションと目的から判断軸を生み出す)

DON'T DO WHAT YOU LIKE, DO WHAT YOU SHOULD DO UNTIL YOU SAY "I LOVE THIS"
(好きなことをやるのではなく、やるべきことを好きになるまでやり続ける)

THERE ARE ONLY TWO PURPOSES WHY WE LEARN, "TO SOLVE" AND "TO CREATE".
(私たちが学ぶ理由はたった2つだけだ。1つは解決。もう1つは創造である)

THINK EVERY TIME TO FEEDBACK AND CULTIVATE YOUR THOUGHT AND ACTION.
(自らの思考と行動へフィードバックし磨くために、常に考え続ける)

DON'T FORGET TO EXPRESS GRATITUDE.
(感謝を伝えることを忘れずに)

---追加分
IN UNCERTAIN WORLD, FEELING UNEASY IS MATTER OF COURSE . DON'T WORRY.
(変化の早い世の中において、不安を感じるのは至極当たり前のことである。気にすることはない。)

ADJUST TO CHANGES OF ENVIRONMENT, AND BE HONEST TO YOUR EMOTION
(環境の変化を受け入れ、自分の感情に素直になろう。)

【演説】ニューヨーク証券取引所での安倍首相

ソース:首相官邸のWebより


本日は、このような機会を与えていただき、感謝しています。
世界経済を動かす「ウォール街」。
この名前を聞くと、マイケル・ダグラス演じるゴードン・ゲッコーを思い出します。
1987年の第一作では、「日経平均(Nikkei Index)」という言葉が出てきます。
日本のビジネスマンも登場し、日本経済がジャガーノートであるかに思われていた時代を彷彿とさせるものでした。
しかし、2010年の第二作では、出てくる投資家は中国人、ゴードンが財をなすのはウォール街ではなくロンドン。
日本は、その不在においてのみ目立ちます。「Money never sleeps」のタイトルさながらに、お金は儲かるところに流れる、その原理は極めてシビアです。

たしかに、日本は、バブルが崩壊した後、90年代から20年近くデフレに苦しみ、経済は低迷してきました。
しかし、今日は、皆さんに、「日本がもう一度儲かる国になる」、23年の時を経てゴードンが金融界にカムバックしたように、「Japan is back」だということをお話しするためにやってきました。

さて、明日は、マリアノ・リベラ投手にとって、ヤンキースタジアムでの最終試合です。
ニューヨーク市民にとって、永遠に記憶に残るこの日に、同じ場所で時間を共有できることは、大変幸せなことです。
切れのするどいカットボール。43歳になる今でも、あの一球だけで、どんなバッターも手が出ない。
世界一のクローザーとは、そういうものなのだと思います。
日本が復活するシナリオも、奇を衒う必要はまったくありません。
リベラのカットボールのように、日本が本来持つポテンシャルを、思う存分発揮しさえすれば、復活できる。そう考えています。

身近なものからご説明しましょう。寿司です。ニューヨークには、本格的な寿司バーがたくさんあります。
コメと寿司ネタ、わさびとしょうゆ、そして日本酒の絶妙なコンビネーションを体験した方もいらっしゃるでしょう。
全部があわさって素晴らしいハーモニーが生まれる。
どれかが欠けても物足りない。
日本食は、繊細な「システム」です。

私は、月に一度は、海外に出かけます。
出来る限り日本のビジネスリーダーたちを連れ、日本のポテンシャルを売り込んでいます。
特に日本食を持参し、実際に食べてもらいますが、寿司も、てんぷらも、カウンターはいつも大行列です。
そもそも寿司もてんぷらも、200年以上前、今の東京である江戸の庶民たちが、道端の屋台で食べていたファーストフードでした。
私は、ここニューヨークでも、いつか、40丁目と5番街の交差点にあるホットドッグ屋台の隣に、寿司やてんぷらの屋台が並ぶ日を、夢見ています。

日本の鉄道も、世界に誇る「システム」です。
「新幹線」は、時速205マイルのハイスピードですが、静かで快適。
そして、1964年10月開業以来、一度も、死亡者はおろか、けが人を一人も出したことがない安全性の高さで、世界中から引き合いがあります。
日本の新幹線オペレーターには、その次、超電導リニア技術による新しい鉄道システムがあります。
すでに日本国内では、世界最高の時速311マイルで、乗客を乗せて走る実験を重ねています。
この技術を活用すれば、ニューヨークとワシントンDCは、1時間以内で結ばれます。
毎年44万3千ガロンもの「ガソリン」を浪費させるだけでなく、68万2千もの「時間」を浪費して皆さんをイライラさせる、あの「道路渋滞」からも解消されます。飛行機や自動車と比べて、時間もCO2もカットできる。まさに「夢の技術」です。
日本では、今、東京と名古屋間で開業に向けた準備が進んでいます。
その前に、まずは、ボルチモアとワシントンDCをつないでしまいましょう。私から、すでにオバマ大統領にも提案しています。
皆さんは、シェールガス・シェールオイルで強い経済力を持ち、さらに化石燃料が安くなる、ラッキーな国にお住みです。
日本はそうはいきません。そうはいかないからこそ、イノベーションです。

日本のエネルギー効率は、第四次中東戦争が発生した1973年と比べ、約40%改善しました。
GDP千ドルあたりのエネルギー消費は、石油換算で、アメリカでは0.17トンですが、日本では0.11トンしかありません。
中国は0.6トンですから、日本の省エネ技術の高さは、群を抜いています。
ここに、日本の成長機会があり、皆さんの投資機会があります。
自動車向けのリチウムイオン電池は、世界の7割が日本製です。
アメリカで人気のテスラモーターの電気自動車も、電池は日本製。
次世代の自動車は、「インテル・インサイド」ならぬ、「ジャパン・インサイド」なんです。
高い効率を誇る日本のLED照明。白熱電球と比べ、電力消費は5分の1以下です。
ある試算によれば、65億個にのぼる世界の白熱電球需要を、すべて日本のLED電球に置き換えれば、最新の原発200基分以上の省エネとなります。
そして、日本は、原発の安全技術で、これからも世界に貢献していきます。
放棄することはありません。福島の事故を乗り越えて、世界最高水準の安全性で、世界に貢献していく責務があると考えます。
その福島の海では、未来の発電技術が開花しようとしています。「浮体式」の洋上風力発電技術です。
現在、2メガワットクラスのものしか世界には存在しません。
しかし、私たちは、今回、福島沖で7メガワットクラスに挑戦します。
高さ200メートルの巨大な風車が、波の揺れにも耐えて発電する。
世界に名だたる鉄鋼メーカー、重工メーカー、電機メーカーなどが参加する、日本の総力を結集する一大プロジェクトとなります。
日本のエネルギー技術は、ポテンシャルの塊です。
だからこそ、私は、電力システム改革を進めます。
こうしたダイナミックなイノベーションを、もっと加速していくために、電力自由化を成し遂げて、日本のエネルギー市場を大転換していきます。

新たなチャレンジには、さまざまな規制が立ちはだかります。
例えば、燃料電池の開発実証には、多くの規制をクリアしなければならない。
これでは、創意工夫はできません。
私は、フロンティア技術を実証したい企業には、独自に安全を確保する措置を講ずれば、規制をゼロにする新しい仕組みをつくろうと考えています。

昔ながらの頭の固い大企業は、奮起が必要かもしれません。
私は、日本を、アメリカのようにベンチャー精神のあふれる、「起業大国」にしていきたいと考えています。
規制改革こそが、すべての突破口になると考えています。
「本当に改革ができるのか?」と懐疑的な方もいるかもしれません。
たしかに、日本は、この数年間「決められない政治」の代表でありました。
しかし、この7月、日本国民は大きな選択をしました。
「決められない政治」を生み出してきた、衆議院・参議院間の「ねじれ」を解消する選択です。
私が率いる連立与党が、衆参両院で多数を取りました。
政権与党のリーダーとして、私は、必ずや、言ったことは実行していきます。
「実行なくして成長なし」。
アクションこそが、私の成長戦略です。

私が、日本を出発する前に、ある野球記録が塗り替えられました。
1964年に、王貞治という選手が作ったシーズン55本のホームラン記録が、カリブ海出身のバレンティン選手によって更新されたのです。
ここニューヨークでは、イチロー選手が日米4000本安打という偉大な記録をつくりました。
日本で海外の選手が活躍し、米国で日本の選手が活躍する。もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。
世界の成長センターであるアジア・太平洋。
その中にあって、日本とアメリカは、自由、基本的人権、法の支配といった価値観を共有し、共に経済発展してきました。
その両国が、TPPをつくるのは、歴史の必然です。
年内の交渉妥結に向けて、日米でリードしていかなければなりません。
自由で、創造力に満ち溢れる大きな市場を、米国とともに、このアジア・太平洋に築き上げたい。
私は、そう考えています。

さて、私は、ハフィントン・ポストのブロガーもつとめております。
アリアナ・ハフィントンさんには明日もまたお目にかかる予定ですが、ストレートな語り口は彼女の魅力です。
そのアリアナさんが、かつてこう語ったそうです。
「もし、リーマンブラザーズが、リーマンブラザーズ&シスターズだったら、今も存続していたのではないか。」と。
男たちは、「睡眠時間が少ないことを自慢」し、「超多忙なことが、超生産的だ」と誤解している。
そのような男たちは、行く先で待ち構える「氷山」を見過ごしがちだ、と彼女は言うのです。
私も、男たちの一人として、また、総理就任以来、休む暇なく働いてきた者として、この言葉が身に沁みます。
この夏は、ハフィントンさんの言葉を胸に刻んで、しっかり休暇をとりました。

いずれにせよ、日本の中に眠っている、もう一つの大きなポテンシャル。
それは、女性の力です。
ここニューヨーク証券取引所の初の女性会員は、ミュリエル・シーバートさんです。
46年前の出来事でありました。ミッキーの言葉が頭をよぎります。
「アメリカの経済界は、女性役員こそが、人口の半分の男だけに頼っている日本やドイツに対抗する上で、強力な競争力向上の武器になることを気づくだろう」まさにその言葉を、身を持って証明し、アメリカにおける女性の活躍をリードしてきたミッキーが、先月お亡くなりになったと聞きました。
ご冥福をお祈りするとともに、これまでのパイオニアとしての活躍に、深い敬意を表したいと思います。

そして、「人口の半分の男だけに頼ったせいで」閉塞感に直面している日本を、私は、大きく転換してまいります。
日本には、まだまだ高い能力を持ちながら、結婚や出産を機に仕事を辞める女性がたくさんいます。
こうした女性たちが立ちあがれば、日本は力強く成長できる。そう信じます。
そのために、日本から、「待機児童」という言葉を一掃します。
2年間で20万人分、5年間で40万人分の保育の受け皿を、一気に整備します。
すでにこの夏の時点で、12万人分を整備する目途がつきました。

繰り返しになりますが、アクションこそ、アベノミクスです。
足元の日本経済は、極めて好調です。
私が政権をとる前の昨年7-9月期にマイナス成長であった日本経済は、今年に入って二期連続で年率3%以上のプラス成長となりました。
これは、大胆な金融緩和による単なる金融現象ではありません。
生産も、消費も、そしてようやく設備投資も、プラスになってきました。
長いデフレで縮こまっていた企業のマインドは、確実に変わってきています。

ここで成長戦略を実行し、先ほど述べた様々なポテンシャルを開花させていけば、日本を再び安定的な成長軌道に乗せることができる。
これが、私の「三本の矢」政策の基本的な考え方です。
日本に帰ったら、直ちに、成長戦略の次なる矢を放ちます。
投資を喚起するため、大胆な減税を断行します。
世界第三位の経済大国である日本が復活する。
これは、間違いなく、世界経済回復の大きなけん引役となります。
日本は、アメリカからたくさんの製品を輸入しています。
日本の消費回復は、確実にアメリカの輸出増大に寄与する。そのことを申し上げておきたいと思います。
ゴードン・ゲッコー風に申し上げれば、世界経済回復のためには、3語で十分です。
「Buy my Abenomics」ウォール街の皆様は、常に世界の半歩先を行く。
ですから、今がチャンスです。

先日、サンクトペテルブルグで、オバマ大統領からエールをもらい、その後23時間かけてブエノスアイレスに飛びました。
その結果、2020年のオリンピック・パラリンピックが、東京で開催されることとなりました。
49年前の東京オリンピックは、日本に高度成長時代をもたらしました。
日本は、再び、7年後に向けて、大いなる高揚感の中にあります。
あたかもそれは、ヤンキースタジアムにメタリカの「Enter Sandman」が鳴り響くがごとくです。
もう結果は明らかです。
偉大なるクローザー、リベラ投手の長年の活躍に最大の敬意を表しつつ、私のスピーチをおわりたいと思います。

2013年10月5日土曜日

【イベント設計論#1-#3】

【イベント設計論-コンテキストリデザイン】

震災をキッカケに生み出された多くのイベントが今、自分たちの活動のコンテキストと、目的を再考する時期に来ていると思う。震災はあくまで「起点」であったはずなのに、それが「目的化」している組織・イベントが多くある。そして、「起点」となった出来事が世間から忘れ去られたときには、イベントも組織も世間から消えてしまっている。だから、今コンテキストのリデザインを考え直すことには大きな意味がある。これは一過性の「デザイン思考」「フューチャーセンター」「ダイアログ」すべてに共通する。

大きな出来事・概念の発表のあとには、いつも様々なイベントが生まれる。特に大震災は、様々なイベントを生み出した。そして、これからくる2020年東京オリンピックもきっとそうだろう。それが、悪いというわけではないが、つくる「起点」を捉えなおす必要があると思う。

「起点」は常に起点であり、あくまで「起点」である。そのあとに、その起点から私たちは自分の頭で「では、私たちはどうすべきか」を考えなくてはならないと思う。そして、それは「この出来事がなくても、実はかんがえなくてはならなかったもの。」「この出来事がなくても、やらなくてはならなかったもの」でなくてはならないと思う。つまり、「起点」とはいつも「後押し」である。何かをするための「後押し」であると考えなくてはならない。

そして、もう1つは「コンテキストのリデザイン」を失敗するイベント・組織が多く存在すること。震災復興系のイベントが、その文脈からの脱却を試みようとしたのか「地域格差をなくす」組織に変わっていたり、「地方と都市の機会格差の是正」みたいな内容をうたい始めたりしているが、これからはどうも響かない。なんでだろうか。

それは「自分の言葉で語られない」ということがある。多くの「地方格差是正」をうたっている組織は、失礼を承知で言えば、実際の現場に入ったことがない。常にデータで話をしている。だから、「言葉が浮き」「リアリティー」をなくす。本当に現場にいた人であれば、表現をもっと工夫するだろうし、適切な表現を必死で探すだろう(時間がないか、自分本位で伝えているという可能性もあるけれども)。こういう言葉1つ。文章1つへの想いの込め方が浮き足だつとどうしても魅力が半減する。

これらを踏まえて(踏まえているかどうかはわからないけども)重要だなと思うのは「醸成」するという過程です。起点やきっかけをもらって、すぐに動き出すのはとても大事ですが、それを一過性にしない、それから安易なコンテキストに変更したり、語ったりしないためには、自分やチームの中で「想い」「考え方」を醸成する必要があると感じます。



【イベント設計論-TELLとIMPLY】
テーマ:tell or imply

イベント設計には2種類あります。1つは「tell」モデル、もう1つは「imply」モデルです。両方とも「伝える」というニュアンスがありますが、大きな差があります。

tellモデルというのは、伝えたいことを「直接的に言う」ようなイベントです。「震災復興」や「地域活性」、これからであれば「オリンピック」「2020年」をテーマにして開催するようなイベントはすべてこのtellモデルに入ります。

一方で「imply」モデルというのは「伝えたいことを暗に示す, ほのめかす」ようなイベントです。外からみた設計においては、変哲もない、普通のイベントでありながら、中に入ってみると様々なことに「気づく」ことができるイベントです。テーマが別にオリンピックや2020年ではなく、「学びのデザイン」ということであっても設計者が巧みにちりばめた設計によって、参加した人自信が「あ、2020年も考えないといけないんじゃないか」と気づくようなイベントです。

この2つの間には大きな溝があります。前者のイベントは「参加者のために」or「設計者がやりたい」ことをやっているだけのイベント。後者は「設計者が伝えたいことを、参加者の立場に立って伝えている」イベントです。

なぜこういうことを思うのかと言えば、人は誰でも「〇〇をしましょう。〇〇しなくてはなりません。〇〇について考えよう」と言うと、「言われたことをする」のを嫌がるので無理矢理テンションをあげるか、気分が乗らないという状態に陥ります。

ですが、一方で設計者が「伝えようとしていたことを」、参加者自身が発見すれば、それはその人だけの「気付き」になります。人は自分のつくった「アイデア」、自分だけの「気付き」に対しては愛着を持ち、想いを強くします。

この「人」に対する理解がイベント設計においては非常に大事なんだろうなと僕は思うわけです。そして、前者は簡単に設計できるがファンは生まれにくく、後者は設計難易度は高いが多くのファンを生み出すことができます。

やらされた場所は、いつまでもその人の中で思い出には残りません。ですが、何か「気付き」を得たような場所というのは、アイデアと共に場にも愛着が生まれます。そしてそれこそが「忘れられない経験をつくる」という、イベント・ワークショップ設計者に課せられた大きくて、大切なミッションだと僕は思います。



【イベント設計論-テーマの選定】
自分の発見したアイデアや思い付きを一度を捨てること。今はそのときなのではないか。「色濃いテーマ」というのは、コンテンツの魅力をブラインドしてしまう。実際、多くのイベントは、色濃いテーマで実施される。グローバル社会、オリンピック、差別問題、地域格差。確かに非常に参加者に与える印象は強い。でも、これらの話は、そのテーマが魅力的なだけであって、中身がテーマに負けて魅力的にはならないことがよく起こる。

この原因は、単純だ。目の前に周りがダイヤモンドで、中は汚い石である「見た目は宝石」と、周りが石だが、中が宝石になっている「見た目は石」の2つがあるとする。その際、中まで見るとして、手に入れた人はどちらを最後にどちらが幸せに思うだろう。そう考えれば、答えは見えやすい。

誰も目を付けないようなテーマ、一見して魅力があるのか分からないテーマには、未知を掘り進んでいく楽しさをきちんと設計側が意図してつくらなくてはいけない。なぜなら、参加者達はビギナーの心になるからだ。そして進む過程で徐々に気付き、何をすべきかの感覚を吸収していく。そして、だからこそ、その楽しさを生み出し演出するコンテンツやプロセス、演出家、ファシリテーターに強く光が当たるし、場に魅力が生まれる。自分たちの伝えたいメッセージがあるイベントであれば設計するときには尚更、大切なことだ。

テーマに光が当たると、私たち設計者に参加者の意識は向くことはない。彼らが取っ付きやすいテーマだと、それに自分勝手に取り組み始めてしまう。だから、我流になり、私たちの伝えたい物事なんてそっちのけになってしまう。逆に、未知の世界で戦うときには、ガイドが力を発揮し、苦しい中で考えることを通して、協力しあい、場がまとまっていくという現象を起こし、私たちの意図へ導くことができる。