
まず1つ目。私たちは、スタッフであろうと、運営者であろうと、メンターであろうと、更にゲストであろうと、全員は参加してくれる人のためにいるということです。参加者に向き合う時、私たちは運営スタッフであろうと、メンターであろうと、それは企画者 vs 参加者の構図が出来上がっている以上、いかにコンテンツに詳しくなくても、いかに知識がなくても、仮に無料のイベントでも、私たち企画者側の人間には、常に価値を出す責任が伴うと思います。これは、ある意味今回自分がイベントにメンターとして参加させてもらって、学ばせてもらったことです(僕は誰かの企画したイベントの運営とかあんまりやる気が起きない人なので。やり始めれば、仕事としてやるモードに切り替えれます。)。
なので、まとめると、誰かのイベントに協力すると決めた瞬間からは、参加してくれる人から見れば、企画者であるわけなので、「好きなコト」かどうかは関係なく、「仕事として」取り組むことが必要ですと。それは、失礼かもしれませんが「ゲスト」だとか、「プレゼンター」でも変わらないことだと思います。ゲストもまた「企画者の一人」であると強く感じました。
続いて、下準備の重要性と、3つの負けの法則について。まず、ワークショップにおいては下準備は欠かせないと思いました。それは、自分の企画したイベントかどうかに関わらずです。具体的には、次のようなことをきちんとやる必要があるのではないかと感じました。
・タイムラインをきちんと一人でシュミレーションし、ワークの姿を頭の中で追いかけておく。
・ワーク中に参加者に意識してもらわないといけない場所や、お伝えするべきメッセージなどをノートにまとめる
・ワーク中に見る動画、資料などは、きちんと事前に目を通す。
・1つ1つのワークの目的と、最終的なアウトプットにつながるイメージに一貫性を持たせる。
これを3つの負けの法則という、「まさに」だと思うことと繋げてみます。3つの負けの法則とは、次のようなものです。
・「情報不足」・・・言葉の通り、何かを達成するために情報が足りていないこと。
・「慢心」・・・自分はできるんだと思ったり、自分を過大評価する精神状態。
・「思い込み」・・・自分の意見や考え方に固執し、論理武装しようとする行為。(受け入れる姿勢の欠如)
今回のワークショップにおいて、自分自身を上記の3つの点から判断するとすれば、きっと1日目と、2日目で大きく評価に差が生まれると思います。1日目は、徹底的に自分の中で慢心と想い込みを減らすために、上でやっていたシュミレーションやノートをしていました。その結果、もちろん想定外もありましたが及第点だなとは思いました。しかし、2日目に関しては自分の中では合格点には至りませんでした。
上記3点を振り返りなおしてみると、まず「情報不足」が目立ちました。もちろん、当日流れるTEDxの映像は事前に2周ぐらいは見ましたし、シュミレーションもある情報でやっていきました。しかしながら、アウトプットにつながるイメージがなかったですし、それぞれのワークの目的も曖昧なままにしてしまいました。しかも、その情報不足をそのままにした点も大きな反省点です。これが「慢心」ですね。それと、自分で事前にスピーチの原稿を作るということをせず、時間感覚を掴むということや、プロセスの構築を行っていませんでした。終わった後気づきましたが、これも「慢心」の一種かなと思います。やっぱり人に何かを教えたり、伝えたりするときには自分自身がまずは、それを創り、きちんと体系立てて説明できるようにしなければならないと思いました。一応、持っている方法もあったのですが、それが中高生に通用すると思っていた「思い込み」も大きな自分の中での反省です。しっかりと自分の中で一般化できていないことや、「人が変われば方法も変わる」という原則を無意識に捨ててしまっていた点が仇になったと思った次第です。と、実は2日目は反省点が自分の中でたくさんありました。なので、うちのチームに限っていえば、2日目はどちらかと言えば、中高生のポテンシャルに救われた感じです。彼らの話す能力や、持っているユニークなテーマなど。それらすべてによって、救われました。
あと、始まる前も、終わった後も、少し気にしていたのが僕は中高生に通じる言葉をどれだけの割合で話していただろうかということですね。この点がもう1つ反省点になりそうです。対話っていうのは、相手の言葉で話すことがとても大事なのに、そこを常に意識できていたかということを一度、きちんと振り返ろうと思います。
----ここからは、中高生への提案-----
さて、長い反省の後に書くのは恐縮ですが、僕がこの2日間中高生と接してきて、感じたことを素直に書きます。結論から言うと、「言葉の数」が足りてないと思います。これは、批判ではなく、彼らが表現したいことが、今みんなが、持っている言葉では表現しきれていないということです。これはとっても勿体ないことだと思います。そして、もちろんまだリベラルアーツと呼ばれる教養も少ないであろう、彼らなので「引用する」という力も、これからつけていって欲しいなと感じました。
これは、何も中高生に限ったことではないかもしれません。僕たち大学生も同じような状況だと思います。接していて言葉の数が足りないと僕は感じることが多いです。正確には、表現の幅の狭さが目立ちます。何を伝えたいのかが、伝わらないということが起こっている気がします。それから例えるチカラも、もっと必要なんじゃないかな?と思ったりもしています。
どうして、これほどに「言葉数」の話をするのかと言えば、「言葉」は非常に強い武器であるからです。表現し、例え、伝える。わかりやすくする。言い回す、解釈をする、考える。これらはすべて「言語活動」です。そして、言葉の数を増やすことが、実は「考える選択肢を増やすこと」になったりするわけです。特に解釈のレパートリーが増えれば、それだけ少ない情報から、全体を見通せるようになるでしょう。相手の言葉から、相手の気持ちをより正確に理解することもできるようになります。今、目の前で議論されていることの主題は何かを見抜くチカラもまた「使える言葉」をどれだけ持っているかに依存します。
それから、「伝えるのではなく、相手に伝わる」ためには、相手に「イメージ」を抱かせることが必要です。そのイメージというのは、相手に自分の経験や話していることを言葉を通して、追体験してもらうことに他なりません。そして、そのイメージを伝えるために人が古来から使ってきたのが「言葉」なわけです。だから、言葉にはあれだけの種類と、意味があるのです。イメージを抱くためには、必ず最初は言葉を使うのです。更に、「イメージできることは、具現化」されます。イメージができるというのは、作るものが理解できるということです。
言葉を磨きましょう。
自分を磨きましょう。
伝えることから、伝わることを目指してみませんか?
さて、最後に。僕が26日、27日に接した皆さんは、僕の高校生の頃とは明らかに違う人でした。仲もいいし、活発に会話もするし、素敵な友達がたくさんいるんだなと見ていて、羨ましく思ったほどです。特にコミュニケーション能力の高さは、当時の僕なんかとは比べものになりません。でも、仲間はいないんだろうなと思いました。共に磨き、高めあうような「仲間」と呼べるような人が、みんなにはいるのかな?とふと、あの場所にいて疑問に思いました。
楽しいことは、心地の良いことです。そして、自分を表現することも。でも、これから、みんなは「高めあう」というステージに歩を進めなくては行けません。是非、TEDxKeioを通して、そんな「仲間」を見つけてください。何も、同世代でなくてもいいのです。自分をぶつけられる諸先輩方はたくさんいらっしゃいますし、自分よりも年上の大学生だってたくさんいるでしょう。慶應義塾の精神である、気品や知徳を身につけ、仲間を見つけてください。
長くなりましたが、この辺で。