2013年10月5日土曜日

【イベント設計論#1-#3】

【イベント設計論-コンテキストリデザイン】

震災をキッカケに生み出された多くのイベントが今、自分たちの活動のコンテキストと、目的を再考する時期に来ていると思う。震災はあくまで「起点」であったはずなのに、それが「目的化」している組織・イベントが多くある。そして、「起点」となった出来事が世間から忘れ去られたときには、イベントも組織も世間から消えてしまっている。だから、今コンテキストのリデザインを考え直すことには大きな意味がある。これは一過性の「デザイン思考」「フューチャーセンター」「ダイアログ」すべてに共通する。

大きな出来事・概念の発表のあとには、いつも様々なイベントが生まれる。特に大震災は、様々なイベントを生み出した。そして、これからくる2020年東京オリンピックもきっとそうだろう。それが、悪いというわけではないが、つくる「起点」を捉えなおす必要があると思う。

「起点」は常に起点であり、あくまで「起点」である。そのあとに、その起点から私たちは自分の頭で「では、私たちはどうすべきか」を考えなくてはならないと思う。そして、それは「この出来事がなくても、実はかんがえなくてはならなかったもの。」「この出来事がなくても、やらなくてはならなかったもの」でなくてはならないと思う。つまり、「起点」とはいつも「後押し」である。何かをするための「後押し」であると考えなくてはならない。

そして、もう1つは「コンテキストのリデザイン」を失敗するイベント・組織が多く存在すること。震災復興系のイベントが、その文脈からの脱却を試みようとしたのか「地域格差をなくす」組織に変わっていたり、「地方と都市の機会格差の是正」みたいな内容をうたい始めたりしているが、これからはどうも響かない。なんでだろうか。

それは「自分の言葉で語られない」ということがある。多くの「地方格差是正」をうたっている組織は、失礼を承知で言えば、実際の現場に入ったことがない。常にデータで話をしている。だから、「言葉が浮き」「リアリティー」をなくす。本当に現場にいた人であれば、表現をもっと工夫するだろうし、適切な表現を必死で探すだろう(時間がないか、自分本位で伝えているという可能性もあるけれども)。こういう言葉1つ。文章1つへの想いの込め方が浮き足だつとどうしても魅力が半減する。

これらを踏まえて(踏まえているかどうかはわからないけども)重要だなと思うのは「醸成」するという過程です。起点やきっかけをもらって、すぐに動き出すのはとても大事ですが、それを一過性にしない、それから安易なコンテキストに変更したり、語ったりしないためには、自分やチームの中で「想い」「考え方」を醸成する必要があると感じます。



【イベント設計論-TELLとIMPLY】
テーマ:tell or imply

イベント設計には2種類あります。1つは「tell」モデル、もう1つは「imply」モデルです。両方とも「伝える」というニュアンスがありますが、大きな差があります。

tellモデルというのは、伝えたいことを「直接的に言う」ようなイベントです。「震災復興」や「地域活性」、これからであれば「オリンピック」「2020年」をテーマにして開催するようなイベントはすべてこのtellモデルに入ります。

一方で「imply」モデルというのは「伝えたいことを暗に示す, ほのめかす」ようなイベントです。外からみた設計においては、変哲もない、普通のイベントでありながら、中に入ってみると様々なことに「気づく」ことができるイベントです。テーマが別にオリンピックや2020年ではなく、「学びのデザイン」ということであっても設計者が巧みにちりばめた設計によって、参加した人自信が「あ、2020年も考えないといけないんじゃないか」と気づくようなイベントです。

この2つの間には大きな溝があります。前者のイベントは「参加者のために」or「設計者がやりたい」ことをやっているだけのイベント。後者は「設計者が伝えたいことを、参加者の立場に立って伝えている」イベントです。

なぜこういうことを思うのかと言えば、人は誰でも「〇〇をしましょう。〇〇しなくてはなりません。〇〇について考えよう」と言うと、「言われたことをする」のを嫌がるので無理矢理テンションをあげるか、気分が乗らないという状態に陥ります。

ですが、一方で設計者が「伝えようとしていたことを」、参加者自身が発見すれば、それはその人だけの「気付き」になります。人は自分のつくった「アイデア」、自分だけの「気付き」に対しては愛着を持ち、想いを強くします。

この「人」に対する理解がイベント設計においては非常に大事なんだろうなと僕は思うわけです。そして、前者は簡単に設計できるがファンは生まれにくく、後者は設計難易度は高いが多くのファンを生み出すことができます。

やらされた場所は、いつまでもその人の中で思い出には残りません。ですが、何か「気付き」を得たような場所というのは、アイデアと共に場にも愛着が生まれます。そしてそれこそが「忘れられない経験をつくる」という、イベント・ワークショップ設計者に課せられた大きくて、大切なミッションだと僕は思います。



【イベント設計論-テーマの選定】
自分の発見したアイデアや思い付きを一度を捨てること。今はそのときなのではないか。「色濃いテーマ」というのは、コンテンツの魅力をブラインドしてしまう。実際、多くのイベントは、色濃いテーマで実施される。グローバル社会、オリンピック、差別問題、地域格差。確かに非常に参加者に与える印象は強い。でも、これらの話は、そのテーマが魅力的なだけであって、中身がテーマに負けて魅力的にはならないことがよく起こる。

この原因は、単純だ。目の前に周りがダイヤモンドで、中は汚い石である「見た目は宝石」と、周りが石だが、中が宝石になっている「見た目は石」の2つがあるとする。その際、中まで見るとして、手に入れた人はどちらを最後にどちらが幸せに思うだろう。そう考えれば、答えは見えやすい。

誰も目を付けないようなテーマ、一見して魅力があるのか分からないテーマには、未知を掘り進んでいく楽しさをきちんと設計側が意図してつくらなくてはいけない。なぜなら、参加者達はビギナーの心になるからだ。そして進む過程で徐々に気付き、何をすべきかの感覚を吸収していく。そして、だからこそ、その楽しさを生み出し演出するコンテンツやプロセス、演出家、ファシリテーターに強く光が当たるし、場に魅力が生まれる。自分たちの伝えたいメッセージがあるイベントであれば設計するときには尚更、大切なことだ。

テーマに光が当たると、私たち設計者に参加者の意識は向くことはない。彼らが取っ付きやすいテーマだと、それに自分勝手に取り組み始めてしまう。だから、我流になり、私たちの伝えたい物事なんてそっちのけになってしまう。逆に、未知の世界で戦うときには、ガイドが力を発揮し、苦しい中で考えることを通して、協力しあい、場がまとまっていくという現象を起こし、私たちの意図へ導くことができる。

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