2012年9月19日水曜日

「何故を問い続けること」。-ミッションへ疑問を投げかけられるか?-

夜です。涼しいですね。さて、今日も感じたことをまとめておこうと思います。テーマの通り「何故?」という質問へ立ち返ることの重要性です。とは言いつつも、この話を通して、僕自身の性格についても言及しておきたいです。今の僕を見ている人は「超人的」だとか、「人とは違う考え方」をする変な人で、「リスクを恐れない」タイプだと勘違いしている人も居るようなので、むしろ僕が地方から上京してきた一般的な学生であるということを感じつつ、僕の変化に少しでも触れて頂ければ嬉しいです。そして、皆さんの参考になれば喜ばしい限りです。

前回も大学1年生でしたが、今回も大学の初期の頃に話を戻します。タイムトラベルしましょう。
僕が大学2年生の頃なので、2010年。僕は「KBC Innovation Challenge」というイベントの企画・設計に取り組んでしました。しかしながら、この企画「特許、即ち知的財産からどのようにしてアイデアを生み出す」という使命を負って創られたイベントです。当時の僕に取っては、特になじみはない分野であったのですが、理工学部ということ、そして技術をある程度(ほんの少し)理解できることから担当していました。

今回は、重要な教訓を引き出すために、このイベントにご協力頂いた皆様に対して失礼な部分が多々あるのですが、敬意を表しつつ、僕の当時の状況を「今の視点」で振り返ってみたいと思います。ただ、注釈ではないですが、1つだけ断っておきます。このイベントは僕が多くの人に多大なる迷惑をかけましたし、結果として失敗の部分が多々あったことを認めた上で、僕自身の今を形成するとても重要な一部であること、そして昔の僕から今の僕に飛躍的にレベルアップをさせてもらった思い入れのある企画であるということをまずはお伝えしておきます。

さて、この当時の僕は「新しいこと」がしたいという想いは少しあったのですが、一方で踏み出すのが怖いという感情も心のどこかに抱いていました。というよりも、とても怖かったです。いや、むしろ一人だったら何もできないようなビビリの大学生だったと言っても過言ではありません。ただし、ある程度思考力だけはありました。なので、リスクに対して人一倍敏感な人だったと思ってください。

そんな僕が、何かの企画のトップになって責任を取ってまでやりたいと思うでしょうか?いいえ、思いませんよね。達成する自分より、目の前にある困難に目がいくタイプの僕に取ってはとっても難しいことです。前回有名になりたい自分についても書きましたが、この当時もこの想いは健在です。ですが、リスクの方がよく見えるので怖いんですよね。

ですが、2010年3月のことです。代表が変わり、新しい組織体制が組まれました。そして既存の企画に加えて、新企画が2つ立ち上がります。この時偶然1つの企画の企画長のポストが空いており、しかもその企画は「過去にない企画」でした。そのポジションは一度リーダーを決める選挙をしても空席で人がいないという状況だったんです。この時僕はというと、次の年は「別の企画のサポート」をして過ごそうと決めていたのですが、そんな僕を後押ししてくれた人が居ます。当時のKBC実行委員会の実行委員長だった人です。名前は出していいのか分からないので控えますが、仮に、藤井さんとしましょう。

彼に後押しを受けて、実は企画長になりました。煽てられれば、基本何でもやってしまうようなタイプであるということと、意外に説明を聞けば面白そうかもしれないと思って、引き受けてしまうという何ともリスクを恐れていたわりには、リスク管理のできない自分だったわけですが、そんなこんなで企画長です。

そして、イベント開催は11月、企画開始は5月ということで、約5ヶ月の間企画をしていきます。そしてこの中で、僕はたくさんのコトを学んでいくんですが、枚挙に暇がないので大半は省きますが、「問いかけの重要性」だとか、「会議のファシリテーション」とか、「ミッションの意義」とか、「感謝を伝える重要性」とか。この頃に、学びました。ここで学んだことは、いつかどこかでまた感じたときにブログにまとめます。

その中でも特に、「組織のミッション」と「自分のミッション」に従うのかということについて、今になってとても大事だと感じていることがあります。この当時の実行委員長の口癖は「組織のミッションに、何が正しいのかなんていうことは存在しない。自己解釈を加えて、自分なりに進まなくてはならない」ということだったと記憶しています。違っていたら申し訳ないですが、大まかにはそういうことを言っていました。そして、これがいかに難しい課題であるのかもよく理解していましたし、これはミッションを実行委員長が解釈せず相手に解釈させているだけの、責任放棄なのではないかなんて思ったこともありました。

しかし今になって、これだけ厳しく言われてきた、そして自分なりに諦めずに解釈を続けることの意味が分かるんです。もし、実行委員長が「これが答えだよ」と言って、それに従って進んでいくことは非常に簡単です。そして、容易なことですし、ある意味「忠実なる僕」であることを意味しています。しかしながら、この方法では本当の相手の能力を引き出すことができないのではないかということ、そして、組織を引っ張っていく人を育成できないということを当時の実行委員長は知っていたのだと思います。

だからこそ、「自分の価値観で解釈させ、その上で自分で進むべき方向を決めて、組織をより素晴らしい方向に導け」という意味を込めて、僕らにあの当時問いかけていたんだと。そしてその思想は間違っていなかったと今になって確証を持って言えます。そして、その自分なりの解釈を加えることで「組織のミッション」は自分の中に組み込まれます。そして「自分を組織の中に組み込むこと」ができるようになるのです。これによって、私たちは「新しい自分なりの視点」を組織に持ち込み、ミッションを達成するために「独自」の視点を使って、新しいプロジェクトを立ち上げることができるようになったり、既存のモノに縛られることを抜け出し、新たな成長のチカラを手に入れることができるのだと思っています。

つまり、僕らは「何故、自分がやるのか」ということに対して思考し続けることを辞めてはいけないんです。どんな組織にいても、どんなプロジェクトにアサインされていても、ミッションのまま、リーダーの言うままに動いていては、そのプロジェクトが成功しても、その先はありません。そして、リーダーもミッションも万能ではない。特にこの時代では、周囲の環境が目まぐるしく変わり、全てを把握することなんて到底できません。そんな中で、チームには「多様性」が求められると言いますが、多様性とはなんでしょうか?

僕はこの答えは「ミッションに対して、自分なり(独自視点)による解釈を行い、組織に自らのDNAを組み込み、一体となって進んでいけるような人材が多いこと」を指していると思うのです。専門分野の広がりというのがダイバーシティーだというのは馬鹿げています。それ以外にも山ほど「多様性」というものは解釈があります。そもそも生きてきた背景が違うのだから。

脱線しましたが、少なからず僕らは「思考」を辞めてはいけません。特にプロジェクトや組織の「ミッション,目指すべき場所やモノ」は哲学であり、それについて存在意義を問うことは非常に苦しいことですし、時に崩壊を招きます。ですが、いやだからこそ価値があり、本当に必要なものを生み出すためには、常に「目指すべき場所」へ「何故」を問いかけ続けなくてはなりません。そして同時に、プロジェクトやイベントというのは「ミッション」を達成する手段であるということにも意識を向けてみましょう。

ここ数年で、「手段」の「目的」化は進み続けています。ミッションに共感できるなら「何故そのプロジェクトなのか」、何故「その方法をを取るのか」問いかけてみましょう。そして、自分は違うと思うというなら、そこに根拠がなくても違和感があるなら、それが正しいんです。むしろ、馬鹿正直に合理的に否定できないから、やるしかないなんていうことはないのです。潔く「おかしい」と思えば辞めてしまえば良いんです。
一方で、もし違和感があっても「これは自分なりに筋が通る」と思うなら、がむしゃらにやってみれば良いと思います。何故の問いかけを忘れずに。そうすれば少しずつ違和感の正体が明らかになるし、そうしながら進めていけば良いんです。そういう勘は経験ですが9割ぐらいはずれません。

長くなりましたし、支離滅裂な文章を書いてしまったんですけど、僕らは「問いかけ」を続けましょう。その先にしか実現したい未来なんて存在しないんじゃないかなんて思うようになってきています。盲目的になるのをやめて、何となく過ごしていれば良いという日常を去り、新しいモノを生み出すために、僕らは「問いかけ」を続けて、行動を起こしてみましょう。ちょっとだけ、日常が違って見えるかもしれませんよ。

KBC実行委員会という組織に、自分に育ててくれた感謝を込めて。
「ありがとう」と最後に書いておきます。

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