2012年1月11日水曜日

数学科のお話〜極限を例に〜

高校数学の問題
皆さんが、おそらく知らないであろう”数学科”の行っていることを少し紹介しようと思います。数学科というと、毎日”計算”ばかりしているのかなぁ・・・なんて思われていますが、計算は今はコンピューターがありますからほとんどやっていないというのが正直なところです。

じゃあ、何してるんだ言うと”証明”と”存在”というものを行っています。問題には大きく分けて、高校の頃からでも3種類あると思います。
(1)計算問題
(2)証明問題
(3)存在問題

正直な話をすれば、理工学を学ぶ人でも数学科にいかない限りは、意味不明な(2)と(3)を扱うことなんてありません。物理、化学、生物のどれをとっても、”計算”は少なからずありますが、証明や存在についての議論はほとんどないのです。しかも”計算”はコンピューターが複雑なものは処理してくれますので、対してそう言う部分での苦はない。なので逆に言えば、高校生の皆さんは数学科に行かない限り”好奇心”を大事にして理工学部を志してくれればOKです!(実験したいぜ!って言って入れば1年生/2年生の基礎教養でちょろっと証明が出るぐらいで、計算問題がほとんどなので3年生からは楽勝です。実験は大変ですが。)

 ただ、数学科はそんなわけにもいきません。高校レベルの数学が大好きで”数学科”に進む人は多くの場合”後悔”をします。大学の数学に”〇〇の体積を求めよ”や”ここの角度は?”などの問題はないです。皆無です!こういうある程度”センス”や機転を利かせれば解けるような問題はあんまりないですし、解いて計算値が合っているから”やったー”なんて言う喜びも期待しないでください。”これは完璧な証明だ”ということに快感を覚えられないと正直やっていけません。ちょっと具体的に問題を出してみましょう。簡単な問題です。
問題1:lim(1/n) (n→∞)を計算せよ
問題2:lim(sin(x)/x) (n→0)を計算せよ

高校では理系と呼ばれる人たちの常識ですね
lim(1/n)=0 (n→∞)
lim(sin(x)/x)=1 (n→0)
となります。これらは、高校で十分に演習しているはずで今更とやかく言うような問題ではありません。(覚えとけ!っていうレベルです)。ただ、アルキメデスや、ニュートン、ガウスの時代はこの問題意識だったんです。これで、「ニュートン力学」が成立しているのでかなり強力な武器です。アインシュタインももしかしたらここからの話は気にしてなかったかもしれません。理工学部でも数学科・数理学科以外はここまでで十分です。ですが、ここからが数学科のやることです。


問題1:lim(1/n) (n→∞)を証明せよ
問題2:lim(sin(x)/x) (n→0)を証明せよ

この問題になると、「lim」のコーシーの定義が基本で、これを覚えておかなければ手も足も出ないということが起こります。え、なにそれ・・・おいしいのって感じですね。

さらにこんな問題が
問題3:lim(1-1/2+1/3-1/4+・・・・・+((-1)^n+1)/n)(n→∞)の存在を示せ
こうなってくると、実数論の公理(デデキント)を覚えておかないといけません。以下の(a)〜(c)は証明は省きますが、どれも同値な主張であり、「実数論の公理」と言えます。
(a):上に有界な集合A(in R(実数全体集合)はsupAを持つ
(b):R(実数全体集合)内のコーシー列は収束する
(c):R(実数全体集合)内の上に有界な単調増加列{Xn}(n=1 to ∞)は収束する

コーシー・リーマンの定理
そして、こういう問題を解いていく過程で直面する問題を、みんなは”問題”として認識し、自らの論を展開し解き、証明をしていく。数学科ってそういう場所です。なんか自己満足っぽいですが、そういう面も否めないです。ですが、数学科がやることはこれだけではないんです。ここからたくさんの世界が広がっています。コンピューターサイエンスや、情報処理、アルゴリズムの構築などの分野には、少なからず上のようなことで発見されてきた公理・定義・定理がベースになっている。

空を飛んで、社会を俯瞰するのと同様に、原理・原則という深く潜ることから見える、大きなテクノロジーの動きもまたおもしろいと感じています。

コンテスト形式〜その意味は?〜

ここ数年のことですが、様々な場所で”ビジネスコンテスト”を始めとする、”コンテスト”なるものに接してきました。その中で感じることがあったので、書いておこうと思います。

出会いの場
「コンテストを実施する意味」について考えたことがあるでしょうか。正確には何故”コンテスト”なのかということです。僕は、3年間もこういう世界にいるためか、毎回ビジネスコンテストが”何故”コンテストという形式でイベントを行うのかを考えてしまいます。

 審査をするだけで、優勝を決めるのであれば別にそんな形式はいりません。審査員7名と参加者を集めてそこで審査をすれば良いだけです。それで賞金を渡して、頑張ってくれ!って言えばそれで事足りるのではないですか?

 では、参加者の意識的なゴール設定という役割でしょうか。でも、考えてください。コンテストをゴールにしたいと思っている人はいないはずです。そこには、おそらく”次に羽ばたいて欲しい”という想いが込められてるのではないでしょうか。ただ、皆無ではありませんね、一時的なゴール設定とモチベーションの維持という役割を仮のゴールという意味でコンテストは果たしています。ですが、コンテストでなくても、それは果たせるはずでしょう?

 もう少し”違う”例を挙げましょう。”優勝チーム”へ「伯」を付けるためですか?いえ、ビジコンにおいても「伯」は大した財産になってはいません。それは”学生”だから通用している話のように思えます。
 じゃあ、もし何かのコンテストで優勝したとしてそれが”就職活動”に影響しているでしょうか。聞く話によれば、”大して影響していません”。これが結論です。別にコンテストで優勝したことが、求められる能力があることに直結しているわけではないのです。もちろん、これをスキルだと思ってみてしまう場合がありますが、多くの場合見誤ります。

 僕は、こういう風に考えていく中で「今の世の中」の多くのコンテストは、コンテストという形式を取らないでも良いと考えています。そこには、最後は”大きな”ことをしたいとか、団体の広報になるとか、参加者の”欲・優勝したら名誉がある”なんていうモチベーションのかき立てを行う材料でしかない。こういう目的のもとで開催されるコンテストは、今後のびていかないでしょう。自分たちが何故コンテストという形式を取るのかについてもっと真剣に考える必要があります。

 ただ、ここで終わってしまってはおもしろくないので、僕のいる組織が何故”コンテスト”を開く意味があるのかについて、自分なりの見解を述べておこうと思います。

結論から言えば「コミュニティー」を形成するためです。

 私たちの組織は、慶應義塾をインキュベーションのプラットフォームとして機能させることを目指しているため、コンテストの大きな特徴は”大学”であり、かつ卒業生の強い起業支援ネットワークが存在するということがあります。
 このような、バックグラウンドが存在する中で”コンテスト”が果たす役割は、慶應の学生で起業する人が、起業を支援する卒業生と出会うためのきっかけであり、支援者が一同に集う”きっかけ”としての役割を果たしています。
 また、支援者も多くの方は卒業生ですから、支援者同士のネットワークも強固であり、更に新しい支援者を連れてきたりします。しかも、連れてきてもすぐに馴染むことができる。このような出会いの場として機能している。即ち、コミュニティー形成の役割が強いわけです。
 そのため、コンテストで意図が読めない”経営者”の講演などは絶対にしないようにしています。それは、コミュニティー形成に何の関係も生まないし、それ以上にその後に繋がることはありません。
 また、コンテストにおいて(本年は違い、振り返って反省していますが)観覧者が質問できない状況は”コミュニケーション”の妨げです。なので、審査を2部制にし、「審査員の前での発表」及び「観覧者の前での発表」という形式に分けています。

 コンテストには、コンテストにしか果たせない役割があります。そして、意図が必ずあるのです。僕が改めて”問いかけたい”のはコンテストをやる意味です。企業に営業に行けば、”コンテストには〇〇人来るので、そこに広報できます”なんていうことを言いますが、あなたは何故”コンテスト”という形式を取るのかの意味が、人集めのためだったり、大きくやっていることを見せたいだけなら、それはコンテスト形式が”機能不全”に陥っているということを認識した方が良いと思います。

 私はコンテストが役割は”恊働”という言葉に尽きると思います。人と人が出会い、紹介し合い、新しい動きがどんどん加速されていく”きっかけ”の場としての機能です。これをわからずして、コンテストを実行しているのは”わかっている観覧者”から見ればすぐに飽きてしまう。 だから、コンテストにいれる観覧も実は”質”を問われているということ。運営者は”紹介して人と人を繋ぐ”という役割を果たしてるのかをみられているということ。(よくスーツで後ろに立っている人を見ていると、仕事ないなら逆に休んでくださいって思います。)

 皆さんが、もしコンテストを開催するのであれば”その意図”は?というのを明確にしていくことをお勧めします。そうしないと、コンテストという形式が”意味がない”にもかかわらず、協賛金のためだけにせっせと開催準備をしないといけなくなります。それぞれの組織に合った形で、イベントは設計され、課せられたミッションを達成していくことこそ望ましい姿だと私は思います。それがいかに小さいイベントであろうとも、意図ある設計は必ず評価されます。

 もし、今学生組織の皆さんが”何か”不安になって、悩んでいるんだとすればそれは自分たちの過去の継続を考えるというところに問題があるからです。今はどこの組織も”量”よりも”質”を求められるような時代になっている。だからみんな悩む。意味・意図なきモノは”消える定め”だと思います。これが皆さんの活動の少しでも考え直すきっかけになればとてもうれしく思います。

【転載】僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった

素敵な記事を見つけたので、シェアしたいなーと思って。
元記事の内容をそのままコピーさせて頂きました。
元記事:http://d.hatena.ne.jp/tictac/20120110/p1
Redditで話題になっていたポストを訳してみた。

僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかったという高校生の独白にたいしてつけられたこのちょっと長めの返信がとても的確で示唆に富んでおり、多くの人のこころをつかんでいました。私自身、勇気づけられるというか身につまされるところがあり、忘れないために翻訳をしてみました。

まずは高校生の独白から。

僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった
僕はいま高校の最終学年で、次の6月に卒業する予定です。高校の成績は、いままでずっとAを取りつづけていましたが、去年始めてBをとってしまいました。もしそのBがなければ、卒業生総代に選ばれていたでしょう。

総代にふさわしいのは自分だ、つまりクラスで本当に一番頭がいいのは自分だと思いたいです。でもこの一年で、僕にそれほどの知性はないし、僕より頭のいい人はたくさんいるんだということを思い知らされました。

また僕は、自分の頭のよさについて、少なくとも自分自身に対して嘘をついているところがあります。成績表からAがひとつ盗まれちゃったんだということにして、自分自身を納得させようとしているんです。でも心の奥では分かっています。あのBは、僕への正当な評価だということを。あれ以外にも、他のいくつかの科目でBをもらってしかるべきでした。どうにかそれは避けられたわけですが。

最近、SAT (大学進学適性試験)を受けたら1900台のスコアでした。ただ単に怠けていたからこの結果だけど、本気を出したらもっと全然すごいスコアがとれるはずと考えました。なので、その後もう一度受けてみました。よく出来た感触はありましたが、結果は前回よりたった約40点よかっただけでした。

昔は、自分はMITに行けるものだといつも思っていました。でも、その可能性はゼロに等しいんだという厳しい現実が明らかになってしまいました。たぶん親元を離れずに地元のつまらない大学にいくことになるんだろう、と今になって悟りました。あぁ。

あーそれに、僕の趣味といえばゲームとRedditだけなんです。クラブ活動とかも全くしてないし。車の免許さえ持ってない。終わってる。まぁ、これはぼくの知性とはなんの関係もないことですが。。。ただの愚痴です。

対する返信。
どうも、遅れてすいません。新年を祝うのに忙しくて(笑)。君がまだこのスレをみているとよいのですが。

さて。私はちょっとユニークな視点を持っていると思います。私は、MITの入学試験をいままで様々な視点で見てきました。受験生として、学生として、教師として、そして今は有望な学生を面接する卒業生として。君がMITに触れているのをみて私は、ちょっと時間をかけていい返信をすべきだなと思いました。

入学試験に関する標準的なアドバイスから書き始めるつもりでした。(例えば、SATのスコアは大した問題じゃないよ、とか。)そんなアドバイスもありでしょう。しかし君の抱えている問題は入試云々よりも遥かに大きなものです。君が遭遇しているのと同じ問題に同級生たちがぶつかるのを私は何度となくみてきました。もし昔の記憶をここに再現できるなら、新入生の頃の私を君にみせてあげたい。

私は意気揚々とMITの寮に引っ越してきました。とりあえずMITに入学したのです。加えて、一年生の微積分と物理の単位をすでに取っていました。つまり一年先の数学、微分方程式と、物理2という難しい方の物理から始めることができたのです。履修登録は簡単にできて、私は自分の決断に満足でした。

時間が経ち、壁にぶち当たりました。私は高校時代それほどよい生徒ではありませんでした。悪い成績をとれば、適当ないいわけをしたものです。そんなものどうでもいいとか、忙しすぎたとか、やる気がでないとか、(そしてたいていの場合には)他にやるべきことがあったからだなどと言って。いい成績をとれば、エゴが満たされました。自分はちょっとやる気がないだけで、他の誰よりも頭がいいんだと思えました。しかしいまや、そんな考え方は通用しませんでした。私はそれまでMITを全く見くびっていたのです。ほんとうに惨めな気持ちでした。

幸運なことに、私のとなりの部屋にはRという賢いやつが住んでいました。Rは、控えめに言っても、優秀な学生でした。彼は2年生でしたが、学部で最も進んだ数学のクラスにすでに出席していました。彼はMITに来て、微積分、多変量微積分、微分方程式、線形代数、実解析(MITで最も難しいと悪名高いクラス)、そしてその他多くの数学の単位を取得しました。そしてなにより、彼は魅力的で、やる気があって、社交的でした。人間なら1つや2つあるだろう欠点もこれといってありませんでした。

微分方程式に半学期悩まされたあと、プライドを捨ててようやくRのところへ助けを求めに行きました。確か彼は私の教科書を一晩借りて復習して(彼は小学3年生からの全ての授業内容を憶えているわけではない)、その後、私の分からないところをひとつひとつ丁寧に解説して教えてくれました。その結果、学期末に私はB+をとり難を逃れることができました。ここでひとつ大切なことがあります。それは、彼が教えてくれたことのなかに、頭の回転が早くなければ理解できないことなどひとつもなかったということです。彼のことを知るにつけ分かったことは、彼の知性と実績のほとんどは、まさに勉強と鍛錬によってもたらされているということでした。そして、必要に応じて学んで訓練をした知性の道具や数学の道具を蓄積した結果として、彼の大きな道具箱があるのだと知りました。彼はそれらの道具をいくつか見せてくれましたが、私にとっての本当の収穫は、自分独自の道具をどうやって探して、つくって、改良するかという方法を理解したことでした。Rに憧れ、尊敬をしていました。私は、彼のずば抜けた能力と張り合えるようには一生なれないだろうと思うと同時に、その原因がなんだかも分かっていました。私と彼を比較すれば、私は信念に欠如しており、彼は信念にあふれているということです。遺伝子の偶然などということではなく。

「頭がいい」ことが成績の良し悪しを決めるのだと言って自分自身を欺くのは簡単なことです。とても多くの場合で、これはあり得るなかで最も安易な説明です。なぜなら、これを認めれば努力をする必要もありませんし、自分の失敗をただちに正当化してくれるからです。君はいま気づかずにこの罠にはまろうとしています。君は最初の2段落では自分の知性を問題としていますが、続けて、自分にはふさわしくない良い成績をとったと言って卑下していますね。やる気のなさが、クラブ活動をしていないことの要因だとは君は思っていますが、SATスコアの要因とは思っていないようですね。(おもしろい事実:SATの成績と最も相関の高い変数はSATのために費やした勉強時間です。)君のこの最後の一文は、投稿した文章全体にもあてはまってしまうでしょう。

> まぁ、これはぼくの知性とはなんの関係もないことですが。。。ただの愚痴です。

君がAをとったのは、君が勉強をしたかあるいは授業内容が簡単だったからです。君がBをとったのは、おそらく、どうやって扱ったらいいのか分からないことや、そう簡単には腑に落ちないようなことをすぐ理解してしまうのに慣れすぎたからだと思います。思うに、君は早いうちに認知と知性に関する道具をつくり上げて、新しいことを身につけたり処理したりということを素早くできるようになったのです。でも、あまりにもそれに頼り過ぎてしまって、それだけでは対処できない事態に必要となる、ちゃんとした道具一式を全く発達させなかったのです。私がそうでした。でも、大学一年の一学期に壁にぶつかるまではそれに気づきませんでした。君に質問があります。だれか今までに時間をかけて勉強の仕方を教えてくれた人はいますか?それとは別に、先生やカリキュラムなしで自分自身で勉強する方法を君は学んだことがありますか?これらは習得することのできる最も重要な道具です。なぜなら、この道具を使って、さらに強力でさらに遠くを見通すことのできる道具をつくることができるからです。それがだた雪だるま式に大きくなることで、Rのようなひとになるのです。

MITの卒業率は97%です。つまり入学したほとんどの人が卒業します。3%の卒業できない人とその他の卒業できる人を分けるものがなんだか分かりますか?私には分かります。私は何回もそれをみてきましたし、私自身危うく卒業できないところでした。MITの4年間を、卒業できないほどの悪い成績で過ごす人はほとんどいません。実際、そういう人を一人もすぐには思い出すことができません。MITを卒業するのに失敗する人というのは、入学して、いままでに経験したなによりも難しい問題に遭遇し、助けを求める方法も問題と格闘する方法も知らないために燃え尽きてしまうのです。うまくやる学生はそういう困難にぶつかったとき、自分の力不足と馬鹿さ加減に滅入る気持ちと闘い、山のふもとで小さな歩みを始めます。彼らは、プライドに傷がつくことは、山頂からの景色を眺めるためであれば取るに足らないということを知っているのです。彼らは、自分が力不足であると分かっているので助けを求めます。彼らは知性の欠如ではなく、やる気の欠如が問題だと考えます。私は、やる気をみつける方法を教えてくれる人と出会えて幸運でした。インターネット上でできることは小さなものですが、私があなたに対してその役割を果たすことが出来ればと願っています。私は大学一年目の挫折から立ち直り、学業がとてもうまくいくようになり、同級生、下級生のティーチングアシスタントを務めるまでになりました。4年生のときには、寮で新入生の横に座り、私がかつて先輩から教えてもらったことと同じことを教えたものでした。そして彼らが、かつての私が抱いたものと同じ感情と闘い、それを克服するのをみてきました。MITを卒業するまでに私は、入学時に尊敬していた人になっていたのです。

君はとても若い。頭があんまり良くないのではなどと悩むには本当に若すぎる。年をうんととってボケ始めるまでは、「頭がよく」なるチャンスはあるのです。括弧付きで言ってみたのは、「頭がよい」というのは単に、「とても多くの時間と汗を費やしたので、難なくやっているようにみえるまでになった」ということを言い換えているに過ぎないからです。君は、自分は燃え尽きてしまった、あるいは、燃え尽きてしまうかどうかの岐路に立っているという風に感じています。でも実際には、燃え尽きることにするかしないかを決断する岐路に立っているのです。これが決断であるということを認めるのは怖いことです。なぜならそれは、君にはなにかをする責任があるということですから。でも、それは力が湧いてくる考え方でもあります。君にできるなにかがあるということですから。

さぁ、やってごらん。

2012年1月9日月曜日

〜日本のこれから〜マクロを読み解く


家にこもってテスト勉強×読書を満喫した1日でした。
本で読んで考えさせられたことです。

マクロな視点を忘れて、目先のビジネスにばかり惹かれていると、後々とんでもないことになりかねない。マクロもミクロどちらも、しっかりと見ることで始めて見えてくる真実があるんじゃないかと最近感じている。
ミクロな流れの多くの体験と情報は”Social"や"ネットの海”に溢れているし、人に会えば聞き出すことが可能だが、残念なことにマクロな流れはこのような手段で得られることが少ない。ミクロな情報に惑わされているせいか、日本では空前絶後の起業ブームだ(ほぼ全部、IT/Web)。さて、彼らは、マクロな視点を忘れていないだろうか。

最近の話を少ししておくと、”日本の経済”について話すとき、ファクトに基づいた”分析”と”意見”が言えない人が多いような気がしている。”デフレ”だの”景気が悪い”だの、その原因に”国際競争力が落ちている”や挙げ句の果てに”中国の台頭が著しい”なんていう事実をあげてしまう。
前者は何を根拠に言っているのかわからないし、スイスIMDデータを見て17位(?)だったことを指して発言してるのなら、「あなたは、自分の健康診断の総合評価がC(A/B/C/D/E)だからといって、対処できますか?」という質問を投げ返さなくてはならない気がします。というもの、原因を国際競争力なんていう意味不明な抽象的な順位で説明されて、順位が低下していることが原因ですは、対処の使用がありません。それ問題の本質じゃないですよねと返されてしまいます。
それと後者の”中国の台頭”問題ですか。。。なくなれば、稼ぎ柱がなくなりますよってなもんですが、大丈夫ですか?。これを学生に混ざって社会人があげてしまっている現状に不安を隠せないです。マスコミもひどいもんだなぁと、最近テレビを見て(Youtubeですが)感じています。

こんな偉そうなことを書いていますが、僕も2年前まで同じようなことを言っていた”くそ学生”です。ですが、ある人と会って、そんな軽率な考え方じゃダメだと指摘受け姿勢を変えて真面目に経済学を勉強してきました。すると、データを見るだけでたくさんのコトがわかるんですね。国が出している様々なデータは読み解き方を知らないと、ミスリードしてしまいます。是非一度”経済学”を学んでみてください。すると、おもしろいぐらい”視えてくる”ものがあります。

Joseph E. Stiglitz著
経済学を学ぶなら、僕はこの本がおすすめです。おそらく、経済学部の人なら一度はしっかり読んでいるであろう経済学の王道のような教科書。
ただ、少し難解な部分があるかもです。

2012年1月7日土曜日

学生組織の紹介


 今、関東で活躍中のビジネスコンテスト、政策立案コンテスト、起業サークルを紹介します。学生の皆さん、一度は所属してみるといいかもしれません。本当に、得るものもたくさんあるし、何よりたくさんの素敵な出会いがあります。人としての成長機会もあると思います。


ーーーーでは、紹介!(追加等あれば連絡ください)ーーーーー

☆applim ( http://applim.jp/ )
 applimアプリムは大学生を対象としたマーケティングコンテストを主催する学生団体。「新しいマーケティング手法に触れ自らマーケティング手法を創るを理念に掲げ2010年度にソーシャルアプリとスマートフォンアプリを題材とした二度コンテスト開催し2011 年は企業商品をアプリケーションを用いてマーケティングするコンテストを開催している本年も活動を行予定

F-DooRs ( http://fdoors.web.fc2.com/ )
 F-DooRsとは過去7回にわたって開催されている 立命館大学学生ベンチャーコンテストを運営する学生団体学生ベンチャーコンテストみならず講演会や立命館大学ビジネスアイデアコンテスト など企画運営を行 F-DooRs自身は自ら考え行動し学ぶ学生を立命館大学から発掘育成輩出するを団体理念として活動

☆em factory ( http://www.em-factory.com/ )
em factoryは2004年に発足し、em factory2012で10年目を迎える全国学生環境ビジネスコンテストを企画・運営する学生団体。全国から集まった仲間と共に過ごす充実した一週間の合宿を通して、 環境を事業として取組む必要性と可能性を体感してもらうことを目的にコンテストを開催してる。
 学生ため国際ビジネスコンテストOVAL2005年から今回で10回目を迎えるアジア最大級ビジネスコンテスト日本中国韓国学生90名が泊まり込みで英語によるビジネスプランニングを行い優勝を目指す異国学生と真剣な議論を通して価値観相互理解国際的視野獲得を目指している

 学生のためのビジネスコンテストKINGは、1996年から学生のみで運営されている日本最大級のビジネスコンテスト。全国から応募し、高い倍率の予選を勝ち抜いた学生120名が、6人チームに分かれ78日の合宿を通して、優秀なビジネスプランの策定を行うコンテストを運営している。2012年は825日~92日の78日間でKING2012を開催する予定。

GEIL ( http://www.geil.jp/ )
「学生のための政策立案コンテストGEIL2011」は今年で13回目を迎える日本最大級の政策立案コンテストです。毎年、経済産業省・東京都・松下政経塾などのご後援や多数の企業からの協力のもとにコンテストを運営を行っている。2012年も開催予定
KBC実行委員会http://www.keio-contest.org/ )
 KBC実行委員会は、慶應義塾からアントレプレナー精神溢れる人材を輩出し、未来への先導を果たす新事業を世界へ創出することを設立当初から変わらないミッション掲げて活動を行っている慶應義塾の学生のみで構成される組織。慶應義塾の卒業生や、大学組織との連携を活かし、ビジネスコンテスト等を開催している。

☆See-D Contest ( http://see-d.jp/ )※学生組織ではない。
See-D contestは、日本の技術力と途上国のニーズをつなげ、途上国が抱える課題を解決する製品をより多く生み出すことを目的として活動している。2010年度は、東ティモールをパイロットテスト地に選んで、製品開発・普及モデルを開発している。現在、コンテスト出場チームが製品開発を行い、導入を目指している。
 TNKは東京大学唯一の起業サークル。この団体では、新たな価値を創造し社会の未来を切り開くリーダー=「創新者」の輩出を理念として掲げ、わたしたち自らが創新者たるべく日々夢を持った仲間たちが切磋琢磨しております。具体的には勉強会や講演会を開催している。

 TRIGGERは日本最大の学生向け起業直結型のビジネスコンテスト。TRIGGER運営委員会は、参加者が自分自身の未来を切り開くためのきっかけ、そしてその舞台を提供し、共に新しい未来を創ることを目的に活動を展開している。ビジネスコンテストに加え、講演会やセミナーなども開催をしている。
一橋起業部 ( http://www.kigyoubu.com/ )
 起業に関心のある学生に対して、情報共有・交流・スタートアップのためのプラットフォーム作り。とりわけ、ITの分野でのスタートアップに関して活動を展開している。セミナーや勉強会を中心に活動を行っている。

明治大学ビジネスコンテストhttp://mbc-meiji.com/ )
 明治大学内で明治大学生による学生団体2011年4月26日に設立され、「ビジネスコンテストを通じて明治大学底上げををコンセプトに未来起業家創出起業家精神育成を掲げ、「明治大学から起業家増加をビジョンにコンテスト交流会セミナー講演会等を行明治大学生による学生団体

2012年1月2日月曜日

マネジメントの精神〜Drucker〜

昨年2011年は経営学、その中でもとりわけ”Drucker経営学"がブームのようになっていました。その代表的な本は「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネージメント」を読んだら」(通称「もしドラ」)ですね。この本は爆発的なヒットを記録し、ドラッカー経営学がビジネスの世界から、一般の人にも受け入れられた瞬間だったのかな。と思います。


経営学の本は一般の生活をしている人には大して興味を引かないものが多いです。難解なものも多く、名著「競争の戦略」(ポーター)などはページ数も多く、実感が湧かないこともあり、正直読んでいて苦痛です。ですが、ドラッカー経営学は多くの人を惹きつけた。(と言っても、”マネジメント 課題・責任・実践”を読んだ人はそう多くはないと思います)

その理由は何でしょう?

ドラッカーの著書を全て読んだわけでは有りませんが、4,5冊読んでみて感じることは”人間に笑点を当てて、本質を突き、複雑なことをシンプルに整理して伝えてくれるからだ”と思っています。断片的ですが、「同じ事実を違ったように見ていることを互いに知ること自体が、コミュニケーションである」や「意思決定で大事なのは、問題への答えではなく、問題についての理解である」などの言葉は、まさに人間が”実体験”として理解でき、更に本質的です。

また、今の時代が大きな転換点であることも、私たちがドラッカーに惹きつけられる理由かも知れません。工業化社会はとうの昔にピークを過ぎました。僕なんて1990年生まれですから物心ついたときからほぼ無縁です。第二次産業の中心は中国や東南アジアの国々に移りつつあります。精神的に、”モノを持つことから豊かさは感じられなくなっています”。(他にも、就職難とか、経済停滞とか、将来の希望も消えていくような気がしますね)

ドラッカーは”社会生態学者”と名乗るように、社会を生き物としてみてきました。生き物の特徴の一つは”変化”をし続けることです。ドラッカーのマネジメント論は一貫して、変化する社会の中で、または組織の中で”マネージャー”は何をすべきなのかを語っています。だからこそ、変化の時代を生きる私たちの心をとらえるのかもしれません。

さらに、学者であるドラッカーが経営の実務家を惹きつけている理由は、ドラッカー経営学が”実践”に重きを置いているからだと思っています。(GMなどもドラッカーに声をかけている)。高尚な理論も現場で役に立たなければ何の意味もありません。ドラッカーは成果重視です。
「よいことを行うための基礎は、よく行うことであるということである。よき意図は無能の言いわけにはならない。」とドラッカーは言っています。つまり、「私は、医者として患者を救う仕事をしています」と言っても、本当に患者を救えていないのなら意味はない。いいことをしているということを、自分の無能の言いわけにしてはいけないということです。これは、厳しい現場主義・成果主義の精神ですよね。

年明けから、ドラッカーを読んで自分の戒めにしようと思って今日1日過ごしました。ドラッカーのいう”真摯さ(integrity of character)”を大切にして今年1年間過ごそうと思います。

もし、興味があってドラッカーを読んでみたいという人は、原書から入ることはお勧めしません。
そういう人は”究極のドラッカー”から読むことをお勧めします。ドラッカーの根底に流れる基本的な考え方がわかりますし、ここから学ぶことがたくさんあります。
これを読み終えた後に”エッセンシャル版のマネジメント”を読むのが良いかと思います。




P.S.
ドラッカーには、もっと早く出会いたかった。
でも、もっと早く出会っていても”理解”できなかった。
というのが正直な感想です。
必要なものは、必要なときに、自分の前にあるものですね。

(※)「もしドラ」の登場人物である”みなみ”はAKB48の峰岸みなみがモデルであることはよく知られています(?)が、何故ドラマで主演が前田敦子になったのかは疑問でなりませんね。

2012年1月1日日曜日

"内発的動機付け理論” ~これからのマネージメント~

明けましておめでとうございます。(と、常套句はさておき)
今日は、一日中スタバにこもってDruckerの書籍を読み漁って勉強をしているわけですが息抜きに、少し書いておこうと思います。(と言っても、内容はDruckerではありません)

今年に入り、様々な自己啓発本を書店で目にするようになりました。Daniel Pinkの”Drive"(モチベーション3.0)や、”ハイ・コンセプト”などが始まりだったように感じます。さらに遡ればTED TalksでDaniel Pinkが”やる気に関する驚きの科学”というスピーチを行っていて、これも関係しているかもしれません。

更に、学生組織が勢いを増しその中でメンバーへ”自主性”を求めるようになっていると感じています。
・自分で考えて、行動することが大事だ
・自主性を重んじよう
などの意見はよく聞きますし、こうするためにはどうすれば良いですかという相談もたまに受けるようになりました。

これは、大まかに言えば経済的な豊かさにより、”餓え”や”不安”に苦しむことがなくなり、別のところに欲求のベクトルが向いていることがあげられそうです。このような”不安”を煽って、仕事をさせ、報酬を与えるようなやり方を”アメとムチ”なんて言ったりしますが、ムチの本質が”恐怖”である以上、恐怖がなくなれば機能しなくなります。学生組織にはそもそも、金銭のインセンティブがあるどころか交通費で自分の身を削るので尚のことありませんね

さて、このような背景もあり”アメとムチ”以外のマネージメントスタイルが研究されました。その始まりは”心理学”です。有名なのは”マズローの5段階欲求”です。
「生理的欲求」→「安全欲求」→「社会的欲求」→「承認欲求」→「自己実現欲求」
このように低次なものから高次なものに進んでいくという考え方です。

次に”マクレガー”が異なる2種類の人間観と、それに対応するマネージメントスタイルを提唱しました。”マクレガーのX理論Y理論”です。X理論は、そもそも人間は怠惰で働くのが嫌いなため、アメとムチでうまく使いこなさなくてはならないという考え方。Y理論は、そもそも人間は働きたいという心理的欲求があり、達成感や責任を求める存在であり、自ら目標を設定したり自己管理したりすることが大事だという考え方です。(X:マズローの低次、Y:マズローの高次、と言えるかもしれません)

さらに発表されたときには画期的だ!と言われた”ハーズバーグの2要因理論”というのもあります。知識労働者がどんなときに満足を感じ、どんなときに不満足に感じるのかを調査しました。その過程でわかったことは”満足に関する要因”(動機付けの要因)と”不満足に関する要因”(衛生要因)があると言い出したことです。それまでは、人間は何かが有れば満足を感じ、それがなくなれば不満足を感じると言っていたのでそれとは一線を画した考え方です。

動機付けの要因:達成感、承認、仕事そのもの、責任、成長
衛生要因:組織の方針や経営、監督、給与

不満足を感じるときは、関心が主に衛生要因に向いており、満足を感じるときは関心が”仕事そのもの”に向いていることが多いと言います。

それ以外にも、”マクレランドの欲求理論”など様々な有名な研究がされていますが、これらの論理からわかるように、ほとんどの理論において自己実現も含めた”何かを達成したい”という欲求が仕事のモチベーションに大きく影響しています。
@Idea Contest

身近な話に戻せば、もし組織に属していてメンバーが不満を感じていれば、それは”リーダーや幹部が方針を持っていないことや、しっかりと伝えていないこと、さらには監督者・監督方法”に問題が有るのかもしれませんね。あとは、このようにマネージメントという分野は人間に近いため様々な研究がなされています。もし、組織を運営しているような方がいればこのような書籍などを読めば新しい組織運営の方法が見つかるかもしれませんよ。

(また、夜に更新します)

Tomoshige Nakamura