Collaboration人材を目指す |
「何をするかではなく、誰とするかだ」という言葉は、ここ数ヶ月で僕はよく耳にしている。それは、僕の所属している団体のみではなく、どの学生組織でも先輩はこの言葉を後輩に投げているだろう。特にこの時期は、多くの組織が路頭に迷ったり、大交代をするから先輩と後輩の接点が多いだろう。
でも、この言葉には大きな罠が有るように思うのだ。考えて欲しい、そして”こういう”疑問を投げかけてみよう。
「この言葉はあなたに何を教えているんだい?」
「だからどうすればいいんだい?」
この言葉を聞いた、僕ら(後輩)が知りたいのは”「何故」これが正しいと言えるのか”という立証に加えて、もっと知りたいのは、”正しい”のなら、どうやってここで言及される「誰」を見つけるのかという方法論のはずだ。それを知れないのなら、この言葉は自分に取って何の役にも立たないわけである。
こういう、素敵な言葉を発する先輩方はたくさんいるが、それは「本当?」(どんな経験からそう思っているんですか?)ということと、「どうやったらできるのか?」という2つの疑問を絶対に忘れないで欲しい。(この言葉に限らずだ)
僕も、この言葉を苦しくも安易に使ってしまっているが(もっと正確で、正しい表現に今後直す必要を感じている)、多くの人は、その理由を聞かない。それでは、一切意味がない。それの意味が分かり、実践できてこそ、その人の話を聞く価値が有るのでは?なんておもってしまうこともある。
次に僕なりに「何をするかではなく、誰とするかだ」と解釈しておこうと思う。
答えだけ示しておけば、「本当に分かっている人は、多くはないだろう。正直、これを以下の意味で体現できている人は素晴らしい人材だ」ということだ。ということで、僕には荷が重い言葉だ。
この言葉を聞いたとき、僕は2年生のあるプロジェクトを終了したときだったんだが、そのプロジェクトはよく言っても成功とは「ほど遠い」ものだった。メンバーも僕について来れず離れていったし、うまくコミュニケーションも取れない人だった。そのときに聞いた言葉だったからメンバー選びって大事だなと思っていた。そのころは、自分自身まだまだ(お祭り以外の)プロジェクトのリーダーなんていうものに慣れていなかったし、もっとも人のマネージメントなんてやってる余裕すら持てない人間だった。あとこの頃は、かなりシャイなこともあったし、人と会っても自分に自信がなかったから(特に実績もなく…って実は自分の魅力に気付けてないだけ)ネットワークもほとんどなかった。正直、社会人の知り合いも20人ぐらいだっただろう。
でも今年1年間学生団体やベンチャーに入ってマネージメントを体験していくこと、そして「禅の精神」や「東洋哲学」に加えて、経営学やマネージメントを勉強していく中で、この思考が”逃げ”だということに気付いた。
自分の周りに素敵な人がいない、または一緒にプロジェクトをする魅力的な人がいないのは、まさに「自分に魅力がないか、魅力を伝えられていないからだ」ということに気付いた。もっと言えば、「人を魅力的にする術」を自分が持っていないということに気付いた。
人に対して気を使えたり、育てようなんていう意志の出てくる人は、本当に余裕を持てている人だと思っている。僕はこういうことをできている人を本当に心から尊敬するし、素敵だと思っている。勘違いしないで欲しいが、人を育てるというのは、”弱者側に立って、それを保護したりする”とは意味が違う。自分のプロジェクトメンバーの中にはできる人もできない人もいるはずだ。彼らそれぞれの求めるマネージメントの方法を提供し、一体感を出しながらも、スピードを落とさないということのできる人たちだ。
だから、この言葉を安易に使っている人は、僕からすれば「思考停止」だ。魅力的な人間に自分がならない限りは、自分の周りに素敵な人は寄ってこないのだ。それに気付けず、この言葉に逃げ続けている人はろくでもない。特に、学生ならこんなこと考える場合じゃなく、自分の魅力をもっと磨いていくべきだと思う。(もちろん自分もだ)
ただ、他人から「自分自身の魅力」について教えてもらい、謙虚に受け止められるようになったとき、そして相手の魅力に気付くことができ、それを伸ばしてあげることができるようになったときこそ、一緒に仕事をする仲間を「選ぶ」側に立つ時が来るのだろう。そのときに「誰とするか」をしっかり考える必要がある。という意味だと思っている。
だから、この言葉を聞いて「新入生」を「選定したり」・「選抜」したりしている人はそもそも「自分自身に魅力がない」と思った方が良い。できるやつは「育てる」余裕を持っているし、自分でできなくても、新人を育てるのを助けてくれる人を仲間に持てているものだ。
もし下のようなことをみじんにでも思っている人がいたら自分を見つめ直した方が良い。「新人よりも自分たちの方ができるから教えてやる。」これは、まさに思考停止人材の傾向だ。それに加えて、人を育てることのできない、もっといえば一緒に仕事をしたくない人の典型だと思う。こう変えて欲しい。「新人の優れた部分を発見し、自分を超える人材にする」こういうスタンスで人には接していくことだ。
人を信頼するのは非常に難しい。人の責任はできればかぶりたくないものだ。だから始めは、信用できるだけの力量をつける自分になることから始めよう。そうすれば、自分に余裕ができる、人の面倒をみるのはその後だ。そして、その人に仕事を任せて、責任を自分持ちにできるのはもっと後の段階だろう。
もちろん、こういう話を偉そうに書いている僕自身も精進しないといけないし、より素敵な人間関係や、創発を生み出すーコラボレーションーを目指すなら、「人として魅力に溢れている」人材となる必要がある。そしてそういう人が社会に溢れる必要がある。それはスキルに左右されるものではなく、まさに「人間として」魅力溢れることだ。(この意味をもっと具体的にというのは、難しい問いだから僕自身も全く見当がつかない。でもそういう人は周りにいるから少しでも言語化しようと思っている。)
ただ、一つだけ僕にとって「魅力溢れる人」は、
「全てを自己責任と想い、常に自省し続けること。これが、最も自分を成長させる近道であり、尊敬を勝ち得る方法である」と無意識に分かっている人である。
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