2012年4月30日月曜日

【EVENT】Design Thinking Crash Workshop#2

遂にデザイン思考のCrash Workshop Japanが関西へ上陸します!まさか第2回目が関西で開催させて頂けることになるとは非常に嬉しい限りです。地元である関西で、こういうワークショップを開催させて頂けるのはワクワクです。そこで、今回はイベントの告知とデザイン思考と僕というテーマでブログを書きます。(イベントの情報は最後)

via d.school
【Crash Workshopとは】
Stanford d.schoolが彼らの創ったDesign Thinkingを外部(世界)へ発信し、世界中の人に体験してもらうためにオンラインで創った80分のワークショップです。(映像も公開されています:http://dschool.stanford.edu/dgift/



【Design Thinking】
デザイン思考とはその名の通り、デザインをすることです。ですが、皆さんが知っているような「絵を描く」や「形を…」をというようなデザインとは違う部分があります。それは、「人の経験」をベースにしてデザインをするという点で大きく異なります。つまり、天才的なデザイナーが自分の感性だけを頼りに革新的なものを創るというわけではありません。

具体的にデザイン思考では大まかに以下5つのプロセスを用います。この最初のEmpathy=つまり共感するというところから始まります。つまり、人があるときに感じていた”めんどくさい”とか、”こうあってほしかったなぁ”というのをインタビューをしながら引き出していきます。そのあと、Define=問題定義をします。彼が抱える本当の問題は何でしょうか?というところを詰めていく作業です。そのあと、問題を解決アイデアを出し、それを”すぐに実際の形あるもの”=プロトタイプ(試作品)に落としこみ、ユーザーへテストをします。
このような流れを経ることで、ユーザー自身が本当に欲していたサービス・製品を素早く・的確に作り上げることができるというわけです。このワークショップでは実際にこれを皆さんに体験してもらうということになります。


(※実はもっと大きなスケールで大事な話も、細かい話も、もっといえば何故今この思考が必要なのかなど、たくさん書かないといけないことはありますが、ここでは皆さんにまずはどんなことをしているのかを伝える目的で書かせてもらったので、いろいろ省略しています。ご容赦ください)

【デザイン思考と僕】
さて、そんなデザイン思考を最初に日本でワークショップのような形に落としたのは何故か学生組織(KBC実行委員会)だったんですね。そのこともあってか、僕自身が3年間デザイン思考に触れ合って大学生活を送ってきました。最初はとっても胡散臭かったです。なんだこの胡散臭い方法は!と思っていました。そして意味も分からず、たぶんみんな”何となくこれはいい方法なんじゃないか、次の時代を創る思考法なのかも!”とか思いながらやっていたんだと思います。

そんな、デザイン思考の試行錯誤の期間を経て、これまで4年間デザイン思考をベースにした合宿を敢行してきたわけです。だから、胡散臭いとは思いつつも、僕の中でも何か思い入れがある方法だったのは間違いありません。今、多くの人がデザイン思考、デザイン思考叫んでいるのを見ると、「あぁ、広まってきたんだなぁ」と思うと同時に、「なんか、軽はずみになってしまったなぁ」と思う2つの感情がありますが、手探りの中、素材を組み合わせてデザインプロセスを組み上げてきた人々は本当に偉大だったと思います。それを見てきたからこそ、僕もデザインプロセスに可能性を感じることができたし、それを更に新しい形へ、もっと素敵なものへしていきたい自分がここにいるのだと思っています。

【Crash Workshop開催へ】
さて、話は少し飛んで、このクラッシュワークショップを何で始めようと思ったのかというキッカケについてです。それはとても些細なことで、僕がKBC実行委員会を卒業したので何か新しい活動始めてみようと思い立ち、自分で何かワークショップを企画してみようと思ったことです。そしてそう思っていたときに、KBC実行委員会の人から1年生向けにやってくれないかという機会を頂き開催させて頂くことにしました。とても嬉しかったです。こんなに偶然って重なるもんなんだなと思っています。感謝。

第1回は、僕の過去所属していた団体であるKBC実行委員会(URL:http://www.keio-contest.org/)と一緒に、KBCに入る新入生向けとして慶應大学の教室を使って開催させて頂きました。そのときの映像はコチラ:(映像が粗くてごめんなさい)


【第2回へ向けて】
第2回目は、第1回目のテストをフィードバックしてプログラムを組み直してパワーアップさせました。そして、場所を探していたところ、立命館大学で決定しました。

実は、立命館大学とは僕が前に所属していたKBC実行委員会とのつながりが強くて毎年、彼らがビジネスコンテストを開催すると聞くと、東京から見るために足を運んでいました。どんどん素晴らしい環境を創っていく立命館大学で、僕なんかがワークショップをさせて頂くのは、非常に光栄なことです。

【詳細】
ー日時:5月20日14:00〜18:00
ー場所:立命館大学びわこくさつキャンパス
ー内容:デザイン思考で新しい”もの・サービス”をデザインする
ー料金:無料
ー申込:表立って募集はしてません。参加したい人は僕に連絡くれればみたいな感じです。(今回も学生限定かな...)
ー協力:F-DooRs(本当に感謝してます!ありがとうございます!)

2012年4月16日月曜日

超える〜beyond yourself〜

大学が始まってもう2週間が経った。前年度と違って真面目に学校に通うようになった。なんだろう、学校が楽しくなった。学校なんて意味がない、そう世間では言われているみたいだけど、実はそんなこともなくて、一歩一歩遅いかもしれないけど、物事の深いところを理解しているような気がする。掘るためには時間がかかる。


僕は今、数学を勉強している。あと、統計学とか、アルゴリズムとか。全部言ってしまえば”数学”をベースに展開される話ばっかりだ。統計学という学問で多くの人が思い浮かべるのは「グラフ」かもしれないが、統計学では「何をどう解析すれば、求める結果を得られるか」ということを学ぶ。多くのグラフは間違った解析の賜物だということがよくわかる。Rを使った解析から始まり、latexも扱うし、C言語もやる。と言ってもほとんどが今注目を受けるwebやサービスとはほど遠いと言ってもいいかもしれない。

数学では、関数論、確率論、線形、非線形解析など、多岐に渡る分野を学ぶ。といっても、ほとんどが証明で、専ら数式と文字を書き続ける。計算なんて存在しない。それは数学ではなく計算機がやってくれればいいことだ。僕らより、計算機の方が優れている。僕らは、何を解くべきかを学ぶ、そして解いたときの正当性を検証する。それが数学だという。高校のときとは全く比べ物にならない世界。1/nのlimが収束するのさえ、いちいち証明する。こんな我慢強いことを自分にもできるのだと案外自分自身に感心するぐらいだ。

さて、こんなことを書こうと思ったのは学生団体を引退してから1ヶ月経ったからだ。僕は学生団体を3年間やって来た。その中である意味自分の専攻である数学を捨てて、必死に事業創造や事業支援システム、経営学を学んできたし、イベントの設計、参加者の対応そういうものを必死に行ってきた。もちろん完璧とはほど遠くて、いろんな人からアドバイスをもらった。もちろん、そのアドバイスにイライラしたこともあった。でも、それも一つ勉強だった。できない自分を認めたくない自分というのがいた。だから人のせいにして逃げていく。でも、それじゃダメだというのに気づかせてくれたものまたKBC実行委員会という場所にいたからだと思う。人は逃げるのがうまい。自分ができないことを恥ずかしい、恥だと思う。でも、それを乗り越えないと、自分を次に進ませることはできないんだということを学んだ。でも、よく考えたら”相手”は「もっと良くなって欲しい」と思ってアドバイスをしてくれてる。そう思えば、全然恐れることなんてない。

そして、この組織を卒業して見える世界がまた変わった。大学という場所を改めて見る機会になった。その前に、僕にとって大事だった3月と言う時期は僕にとってはとても大事な時期だったことを書いておく必要がある。この時期に自分はたくさんのことを思い出し、そして新しいことを学んだ。落ち着いて時間ができたので全然知らない分野を学び始めた。経済、政治、哲学、これまでいろんなところで雑誌の記事を見たことがないぐらいの僕が、改めて本を買って(と言っても新書ぐらいだけど)勉強し始めた。これが、面白くてたまらなかった。世界が広がっていった。人と新しい会話ができるようになった。そして、”出現する未来”という場の理論について学んだ。未来は誰が先導していくのか、考えるようになった。そのために自分に何ができるのか考えようと思った。

そんな時期を経て4月で大学に戻った。普通の何もないごく普通の大学生活へ。始めはかなり違和感があった、というか学年が留年で1つ違うので、友達もいなくて...いまはできた。でも、大学って素敵なところだと思った。自分の姿勢次第でどんな風なことも学べる場所だと思った。みんなはこの素敵な場所の活かし方を知らないで、大学とか行くぐらいだったら早く就職した方がいいなんて言う。

僕は、今だから反対したい。大学には可能性がある。でも、それを使う人がいない。僕も3年前大学にいた頃は、”大学なんて使えない”そんなことを思う一人だった。でも、ビジネスという世界に出会って、自分と出会って、そして大学に戻ってみると開ける世界はたくさんある。攻めの大学生活とは、大学を飛び出して、社会でインターンすることではない。その経験を通じて大学に価値を見いだし、それを活かす人になることだと思う。

僕は少なくとも後2年間大学にいる、でも全然苦しくないし、焦ることも何も感じていない。だってそこには素敵な環境があるから、学びたいこともたくさんある。空いた時間にやりたいこともたくさんある。夢で溢れてる。僕にはそういう風に「大学」という時間、場所が視えている。だから大学生という時間を、今は社会で「働く」なんていうことに使いたくはない。軸足を大学において、存分に活かしたいなと思っている。

新しい出会いと、新しいチャンスが見える場所にいる。
そして好きに、追いかけられる場所って大学しかない。
そんな時間を謳歌することは今しかできないと思っている。

大学は、今を生きる人と出会う場所であり、これまでを生きた人と出会う場所でもある。
だからこそ、僕は大学という場所をもっと素敵な場所に変えたいと思う。
そして、大学を変えるため必要なのは独善的なリーダーシップではなく、人と人をコラボレーションさせて共に変えていくという姿勢を貫ける人格者であると思って止まない。