2013年5月29日水曜日

「思考」ってなんでしょう。ー心の状態が考え方に影響する話ー

こんばんは。
最近、大学にこもって考えを巡らしています。
いろいろ思いつくので、まとめてブログにしてみます。

さて、問いかけは「デザイン思考」から始まります。昨年1年間、デザイン思考のワークショップなどを通して、デザイン思考ってなんだ?っていうことをずっと考えてきました。で、僕がなんとなく思い始めたのは、デザイン思考はマインドの状態を大事にしていて、実際のところ思考プロセスなんてある種どうでもいいんじゃないかということです(あの5つのステップに意味ってあるのか?そんなに大事か?ってことでもあります)。なので、なんかデザイン思考ってうまくいく人、いかない人が分かれるので、変だよねとずーっと思って、違和感がありました。

じゃあ、思考ってなんでしょうね。

「思考」っていうのは「あなたの心の状態」から生み出されるものだと僕は思います。怒っていると、焦点を絞った考え方をするだろうし、楽しいとまとまりのない散漫な考え方をするでしょう?風邪を引いて、体がしんどければ心は「辛い・苦しい」ことになります。それが、どこに表層化するかと言えば、「話した言葉」「ポストイットへの記述」と「言葉の強弱、アクセント」のような「アウトプット」なんですけどね。

なので、個人的には「思考」に対して、こんな因果関係を持ち込んでみてはどうかな?と思っています。「心の状態」→「考え方」→「アウトプット」。そして、「心の状態」っていうのは、様々なものに影響を受けますよね。仕事の進捗、家族、息子の進学、職場環境、人間関係、生きる目的など全部です。もし、これが正しいとすれば、心の状態をどうベストに持っていくのかを真剣に考えないと、考え方は改善されないということになります。

デザイン思考がうまくいかないというのは、「考え方」にばかり意識がいっていて、「心の状態」へ意識がいっていないから。その人間の「根源的な部分」を自分でケアできてないからなのかなと思います。

もし、この仮説が正しければ、「心を鍛えること」は「考える」という行為を行う上で、非常に大事なことであると言えそうです。心を鍛えるというのは、まだまだ僕の感覚でしかないですが、「やりたくない」と思ったら、「やる」ように決断したり、「やりたい、発言したい」と思ったときに「いや、我慢しよう」とすることであったりします。こういう「訓練」を経ていくと、「心の状態が非常に平和になりますし、小さなことで動揺したり、闘争状態に陥らなくなる」ような気がするんです。

とまぁ、つらつら書きましたが、最近「考える」ってなんだ。「思考」って何だ。そんなことを考える機会があったので、書いてみました。

2013年5月27日月曜日

日本を創り継ぐプロジェクトの設計について


こんにちは。
久々の投稿です。
こういうことをちゃんと書いて残しておかないとと思って、創り継ぐプロジェクトの設計における僕の考え方なんていうのを書こうと思います。自賛している部分も少なからずあるのは、ご容赦ください。

日本を創り継ぐプロジェクトってふと思えばすごいことをしています。普通、イベントというのは、ある一カ所で毎年1回開催されるのが普通のモデルで、開催地を点々とするということはありません。それは、広報や協賛、それから講演者、またオペレーションコストが高くなるということから実施が難しくなるからです。

一方で、そんなことを創り継ぐプロジェクト無視しています。特定の誰かが毎回リーダーになるのではなく、全体のリーダーも企画メンバーも変わりますし、その環境下で5〜7泊という合宿型のプログラムを独自に開発しなくてはなりません。また、創り継ぐプロジェクトというのは外部からの講師は呼ばないことにしているので、合宿中の進行プレゼンテーションや、オペレーションは全て自分たちで行う必要があります。未経験のメンバーにとっては、非常に辛いものがあります。

一方で、何故このように「全てを未経験のメンバー」が、必死に学び、そして地域という障壁さえも越えて、「5日間の合宿」をある意味すべて独力で作るのか。それには2つ大きな理由があります。


1つはプロジェクトのミッションは「日本中の若者の心へ火をつける」であることです。そのため、東京の1カ所でずっと開催しているわけにはいかないのです。思想をリレーし、様々な場所で開催されるようにしないといけません。そのため、毎回のプロジェクトは、未経験な人が、未経験の場所で作るわけですから、非常に負担が重い。でも、それこそが「開拓」で想いを届けるために必要なことです。

もう1つの理由は、私たちは5日間を1つの「作品/劇」と思ってるからこそ、すべて独力で作っています。外部からのノイズは、劇の質を低下させます。筋書きが大事なんです。

最後に、もう1つ課題があります。このプロジェクトの組織としての課題です。それは、「引き継ぐことの難しさ」です。創り継ぐプロジェクトは「劇」だと言いました。劇には必ず「表現したいもの」がなくてはなりません。

これを僕は、企画者の「想い」だと思っています。日本や、地域や、家族など、身の回りでは私たちは様々な人・モノに接しています。それらに対して、何かを変えていきたいと思う人でないと、表現するものが「薄くなり」結局、なんだったんだろうこの合宿となってしまいます。

もちろん、最初からこの「想い」が宿っていることなんてありません。でも、彼らは企画の中で「自分たちは何を、何故表現するのか」を必死で考えます。そのため企画には相当の時間を要していますが、その分、他のイベントとは一線を画すような企画に仕上がっていくのです。しかし、こういうことに時間を必死で割く覚悟をし、コミットメントできる人というのは限られています。場所も関西や九州と移していくためには、それぞれの地域で代表をするようなメンバーが必ず必要です。まだまだ、このプロジェクトは完成品には至っておらず、拡大する最中で、困難と戦っています。

せっかくなので、もう1つこの企画の独特の魅力を紹介しましょう。この企画は「学生」が作っているのではないです。作っているのは「想いのある「学生&社会人」」です。もちろん多くの企画側面は学生が担いますが、社会人も同様にオペレーションに協力し、そして一緒に企画を作り上げています。しかも、社会人がいれば楽勝だと思う人もいらっしゃるかもしれませんが、全然そんなことはありません。社会人の方々も企画途中で一緒に悩んでいます。もちろん、価値観の違いから意見が対立することもあります。特に「想い」や「表現をつくる」というのは、誰しも経験のないことです。自分の意見を的確に表現することだって、そんなにやってない。だから、これは全員が、全員挑戦をしているのと同じことです。
でも、一緒に企画しているのには理由があって、学生だから、社会人だからということに関係なく、「僕ら」は「一緒に未来をつくる」という決意の表明をしたいんです。

長くなりましたが最後に。
日本を創り継ぐプロジェクトは、つまりは「社会を変える劇」です。そして、参加して頂く皆様は、この「劇」のある局面では主人公であり、ある局面では誰かのことを真剣に考える相談役であり、あるときはチームのサポーターになります。そうやって5日間のドラマを作るんです。終わった後に、そのドラマを見返して初めて、「あ、変わったな」と気づくんです。

僕は、大学に入ってからずっと様々な企画を見てきましたが、この企画を越えるものはまだ見ていません。「人を変える」ことを目的にする合宿プログラムはたくさんあります。でも、人が「変わってしまう」プログラムはそう世の中に多くないはずです。

第3回日本を創り継ぐプロジェクトも、関西のメンバーが多くの時間を費やして、表現したいものや、筋書きを創り、開催までもう少しのところまできました。今回も、きっと非常に面白い企画になるはずです。

参加を検討される、皆さんに言えることは、この企画は、上記のような理由から「毎年、開催されるとは限らない」ということ。もちろん、今回が最後かもしれない。そして、参加した時の体感レベルが想像を超えることです。前回の参加者の感想などもウェブで紹介する予定ですが、「衝撃的」「自分自身と戦った」「言葉にならない」などの嬉しいコメントが並びます。

皆さんのご参加をお待ちしています。

2013年5月2日木曜日

【雑記】僕は、本を読むのが遅いー僕の本の読み方。


こんばんは。ふと、書いてみようと思ったので、PCを立ち上げてみました。
今日のテーマは読書のスピードについて。僕の本の「非効率」な読み方について。
です。

ところで、僕は本を読むスピードが皆さんの恐らく10倍から、100倍ぐらい遅いわけです。一冊読むのに少なくとも1週間はかかります。

ほら、わかったでしょ。
まぁ、なんて非効率(苦笑。
1冊に”少なくとも”7日もかかってるんです。

しかも、最初の「はじめに」を読んで、飽きて本を読むのを辞めてしまうことも多い人です。読まない月まであります。年間読んでる本なんて、数知れています。一時期、やたらと多い年もありましたが、今年に入って読んだ本を言えば、両手+αぐらいなんじゃないでしょうか。そして、実用書(How To系)はほとんど読んでいません。読んでいるのは、新書とか、ちょっと変わった思考方法の本とか(ロジカルで体系的な本は苦手です。数学と統計の専門書はもちろん読んでますけど)。でも、随分と1冊を深く読むようにしています。

最近、何のために、「僕は」本を読むんだろうと考えました。もちろん、単純に言えば、新しいことを知りたいからなんですが、もっと大本の目的って何だろうなって。その過程で、人より知識人になりたいとか、そんな色々な純朴さに欠ける欲求もあることが分かって、自分って人からの評価気にしてるんだな。なんて思ったりします。

ちなみに、こういうときには、本を読まないようにしています。邪念が入って、著者の思考がなぞれないからというのと、飽きたりしちゃうからです。読むことに力も入りません。本を読む目的が「ずれる」と読みながら「意味」を探します。そうすると、本の内容はどんなに面白い本でも、大して面白くなくなっています。

では、どんなときに、本を読んでいるのかというと、なんかこう「出会い」を求めているときです。出会いと言っても、「物語」との出会いなのかもしれません。新しい「視点」と言ってもいいかもしれません。特に、誰かに話したくなるようなワクワクする、または驚きを与える「エピソード」などに無性に出会いたくなったとき。刺激に出会いたくて読んでいます。

なので、随分と深く読んでます。小学生時代、読書は、著者との対話だと教えられたことを想い出します。その意味が、だんだんと分かってきたように思います。この人なに言いたいんだろう。ははぁー、こんな経験したから、こういう結論に至ったのか。おー、この発想はなかった!などなど、本1冊で山ほど感動をしています。しかも、途中で自分の経験まで引き出して、比較して、僕ならこう考えるわ!なんて思って、facebook, twitterに書き込んだりするから、更に遅くなる。ああー、なんて悪循環。

あ、話が逸れちゃった。(この後も、きっと何度も脱線します)

あと、本を読むときは「先入観(これにはこういうことを書いているはずだ)」を捨てます。まっさらな頭で読んでいます。だから難しい本が読めないんだと思いますけど笑。とっても苦手です。マルクスにしても、ウェーバーにしても。僕の頭では到底理解できません笑。それと、解釈するだけの事前知識がないだけなんでしょうけど。あ、話がそれました。

で、先入観を捨てるんですけど、すると、色んなことが新鮮に感じられます。同分野の本でも、全く違うことが分かります。僕は「結論」を求めて本を読みません。そこに至る「思考の過程」を知りたいと思っています。結論だけなら、ウェブで〇〇〇〇.pdfで調べれば、答えが出ますもん。

※〇〇〇〇 pdfで検索する方法はオススメです。大体全ての知識と呼ばれる知識、論文などがすべて手に入ります。分からないときは、こういう検索法を使いましょう。

How To本でも同じです。デザイン思考にしても、発想法にしても、そういう本も同じく「何故、この人はデザイン思考の本を書いたんだろう?」とか、「どうして、デザイン思考に彼は出会って、惚れ込んでいったのか」そんなことばかり気になります。そして、結果的に、本の内容にそういうことが書いてないと、読むのを辞めてしまいます。この最たる例が、前書きです。ここがつまらないと、すぐに本を閉じます。


さて、そろそろまとめです。

とにかく、僕は「人の思考をなぞる」こと。これが本の醍醐味だと思っています。だから、新書を読みたい。話がそれたり、全然関係ない世界に飛んでいったり、人間らしいなと思っています。実用的なお話は、大体周りの社会人のみなさんの外部脳に助けて頂いてインプットさせてもらっています。そちらの方が、効率が良くて、大事なことが詰まってる気もします。勉強しないといけないんですけどね。真剣に。

でも、こんな非効率な読み方をして「良かったな」と思うことがあります。それは、人と話しながら、質問に幅ができるようになったことです。そして、会話の中に、答えを焦って求めないこと。そして、質問をするときに純粋な「自然な問いかけ」ができるようになったことです。

「自然な問いかけ」っていうのは、ただ単純に「どうして?」と聞くのではなく、別の当たり前をぶつけてみることです。こういう考え方って、どう思います。ご自分の意見を踏まえて。みたいな質問の仕方です。僕はこう思うんですけどとは、絶対言わないで、相手からずっーと話を聞き続けていくということです。そうすると、インタビューする方も、される方も、何かを得て帰っていく。これは、雑談でも同じです。相手の意見の根拠を引き出すために、どういう風に考えたのかを詰め寄って聞くのではなくて、ゆるゆると話をする中で引き出しちゃう。みたいな感じです。

これが、随分と役に立っています。特に、誰かに道ばたでインタビューするとき、5分だけと言いながら30分近く話し込んだり、終いには友達まで巻き込む始末です。こういうのがなんとも楽しいですね。

さて、長くなっちゃいました。
夜も更けて、もう3時です。
「#もう4時じゃねーの」が懐かしいですね。

本の読み方、皆さんも色々とあると思いますが、僕はこんな感じだよという紹介でした!
それでは、素敵なゴールデンウィークを。
僕は関西で過ごします♪

2013年5月1日水曜日

問いかけー概念を創造し、制約を越えるー

今日、ふと僕が大学2年生(2回目)の終わりの頃にもらったメールを読み返していました。すると、こんなことが書いてありました。

この文章が書かれてあったのは、本文ではなく。P.S.と書かれた後のところ。書いているのは、僕よりも30年以上も前に慶應の理工学部を卒業された先輩です。ですが、久々に読み返したときに、僕も同じような感動をもらいながら、数学という世界に没頭してきたのを想い出します。

ーーーーーーーー引用ーーーーーーーーーーー
関数解析懐かしいです。大学授業のノートで唯一まだ持っているのは、石川先生の関数解析のノートなんです!昨夜、久しぶりに開いて、数式の羅列が読めなくなってる。。。とちょっとショック。条件を入れることで関数空間がつくられていく感じがいい感じで好きでした。
小学校1年のときに、3-5の計算ができないことに理不尽さを感じて、あと2つあれば、計算できるみたいなことを父親にいったら、マイナスの数を教えてもらい、すごい大発見をしたみたいで嬉しかった。

以来、中学校でマイナスの数の平方根はダメと言われたけれど、高校で虚数を習って、また世界が広がって嬉しかった。

大学で数学勉強したいと思ったのは、数学では、勉強すればどんどん世界が広がって楽しいと思ったからですが。。。数理では広大な世界で迷子になって挫折(笑)。でも相変わらず、「平行線は交わらない」じゃなくて、「平行線は交わってもいい?」みたいなところから、非ユークリッド幾何学の体系ができる世界には憧れを感じています。
つまり、あるものを、別な見方(公理)で見て、それに従って論理的に組み立てていくと、全く別な世界が出来る。私自身、イノベーションもこんな感じで起きないかなぁーと思っているかもしれません。今見えているあるものを、全く別の見方でみることで、そこから違った世界が構築できる。
ーーーーーーーーここまでーーーーーーーーーー

この話を聞いたとき、僕はハッとしました。
私たちは、「思考の枠」を破り続けてきたんですね。
それも、「問いかけ」から新しい概念を引き出して。

新しい概念で、できないことを「できる」ようにしてしまう。そして、世界を1つ作ってしまう。そんなことをしてきた偉大な数学者達は、きっとGet Out of the Boxな人(思考のはこの外にいた人)だったんじゃないかなと思います。

僕は、一時期ビジネスの世界の「イノベーション」というものに惹かれました。人々の生活を変えてしまうような、そんな素敵なプロダクトや、サービスを生み出すこと。そんな世界にいた僕は、随分と「数学」をやることを辞めてしまい、最後には「何の、誰の役に立つ」んだろう?と疑問符さえつくようになりました。

でも、高校のときあれだけ好きだった数学です。鮮やかな解放、緻密な論理、色んなことが自分の中から消えていました。そして、大学3年の春に数学の世界に戻って、また色々学ぶようになりました。2年生の基礎ぐらいからやり直さないと行けないレベルにまで能力が落ちていて、なんとも悔しい気持ちでしたけど。

でも、今4年生になって、数学的な思考も、ビジネスにおける思考もそのベースは同じだと気づくようになりました。物事を深め、そしてブレイクを起こすのは「問いかけ」であり、素晴らしい問いかけが、新たな概念を生み出すということに、なんとなく気づきつつあります。そして、その問いかけが、何気ない「当たり前」を捉えたときにこそ、始めて面白い、何かが生まれる。

大学に入って4年間という随分長い時間旅をしました。別に、数学も、統計学も、経営学も、今思い返せば大事なわけじゃなかったです(もちろん無価値といういみではないですよ!)。でも、違和感に「問いかけること」が「新概念の創造」につながっているということが、体感として「分かった」のは、大学に入って得たたった1つの大きな収穫だと思います。これは、僕が接するどの場面でも、状況を変え、ネガティブをポジティブに転換し、場の空気をコントロールする、そんな助けになってくれています。

ともしげ@ふわっと書いた雑記。