2013年12月31日火曜日

【2013年の振り返り】日本を創り継ぐプロジェクト

ブログを書くのも久しぶりです。毎年、振り返りとかしないんですけど、今年は僕に取って、とっても大事な1年間だったのでしっかり振り返りたいとおもって、2013年のことを書きます。ワークショップから方向転換をした話は、fbに書いているので、その他で大きかった出来事である「日本を創り継ぐプロジェクト」についてメインに書きます。今だからかける内容もあるし、振り返えったことを言語化するのはこれが初めてです。(語尾とか適当なので、読んでくださっている方ごめんなさい。)

第2回日本を創り継ぐプロジェクト!

日本を創り継ぐプロジェクトは、2011年にNTTデータと、野村総合研究所が東日本大震災の復興アイデアを学生がつくるという文脈からスタートしたイベント。僕もこのとき、元いたKBC実行委員会(http://www.keio-contest.org)で、デザイン系の合宿を企画していたこともあって、ブルーマンのサポートをお願いされて、参加させてもらいました。
当時の感想は、今だから正直に書けるけど、「プロセスの設計」とか「費用対効果」に疑問を持ちました。反面、運営している、大人の人をみて、「この人たち、気持ちはいってるな」と思いました。実際に、その場にいたのは最初の2日間だけだったけど、楽しかったのはよく覚えています。(そして2日目の朝のミーテイングに寝坊したのも笑)

さて、このプロジェクトは、単発で本来2011年で終わるはずでした。主催していた2社が来年はやらないことにしたから。でも、このイベントを開催してきたNTTデータの熱い大人と、野村総合研究所の大人達が、引き継いでいった方がいいといって、本当に個人的に、GOB Labという組織を作って、その組織で運営していくことになったんです(実際に当初は、正式に引き継いでいなくて、そのあと権利譲渡とかさせてもらった。)。GOB Labは今でもあって、イベントの開催をメインに活動(株式会社だけど、完全に非営利)しています。実は代表だったりするんだけど。(http://www.gob-lab.com)

そのGOB Labの中で、日本を創り継ぐプロジェクトの第2回の企画を始めたのは2012年4月から。僕はこのときは、関わっていなかった。でも、ミーティングには顔を出していたんですけどね。動き出しは、いろんな大人達、そして過去にイベントを運営してきた学生達が新たなチームを作って企画を始めることになった。企画が始まった当初、このイベントは、第1回の開催の当時に感じた「熱気」や、「若者の心に火をつける」をつくることにフォーカスが当たっていた。

第3回日本を創り継ぐプロジェクト
僕が、第2回の日本を創り継ぐプロジェクトにジョインしたのは、2012年10月頃から(アドバイザーっぽい立ち位置って言われてた覚えがあるけど)。当時のことを振り返ると、議論が迷走していて、結構ひどい状態だった(マスタースケジュールがどんどんおくれていったり笑)。

で、最初に手をつけたのは広報。2月の開催は決まっていたし、となれば10月の段階で広報の実働が始まっていないのはまずいと思ったので、まずウェブをつくり、もう一人には広報の戦略・学生対応をお願いした(そのもう一人が、スペック高過ぎて焦ったんだけど)。11月下旬に無事に募集を開始してからは、ブルーマン集めを始めた。

日本を創り継ぐプロジェクトは、デザインシンキング(デザイン思考)と呼ばれるプロセスに則って、参加した学生が4人1チームになって、あるテーマに沿って問題を設定し、皆生するプロジェクト。ブルーマンは、イベント当日に、チームに張り付いて、プロセスを管理し、議論を円滑化する人のこと。

そのブルーマンが、11月当初であと6人足りなかった。そこで、学生団体をやっていた仲間に声をかけて、お願いしたら全員とはいかないまでも、意外にも多くの人が、快く引き受けてくれた。もう、イベントはいいやって言われると思ってたんだけど。でも、そのとき、学生団体でやってきた3年間って、知識とか経験以上に人の繋がりとして、生きてるんだなと思ったのは本当に印象的だった。実際、最終確定は1月の中旬ぐらいでした。

そんなこんなで12月になって、広報をしつつ、今度は企画の中身とかを詰め始めた。周りからは第1回のままでいいとか、もっと「イノベーション的な」方法を入れろとか、いろんなことを言われてきたけど、でもこのとき僕らの、少なくとも僕の頭の中には、「当日プログラム」はできあがっていた。(実際、議論の中には、不毛な部分もあったけど、ミッションとプロセスをすり合わせていくのはなかなか楽しかった。プロセス1つ1つに意味付けをしていった)。
第2回メンバーでプログラムのテスト合宿

そして、12月末の応募者の1次締切では、嬉しいことに35名の応募者があって、ほっとしたのを覚えてる。特に、第2回は第1回から1年以上経っていて、第1回の人と、第2回の人は、大人を介さないとほとんど接点がなかった。そういう意味では、本当に初年度のような気持ちで広報していた。このときも、学生団体のときに知り合った、友達、仲間にお願いをした。本当に助けられました。ありがとう!

そのあと、年が明けて、色々あって代表が僕に交代になりました。もう1年前だから、書いてもいいと思うけど、僕は「組織」というのは初期形成期が本当に大事だと思っています。それに失敗してつぶれていく組織がたくさんある。そして、組織の文化っていうのは、どうあれ立ち上げ期に決まる。同様に、役職にある人間がどう振る舞わなきゃいけないのかもそのとき決まる。

僕は、そういう意味で、もしこの日本を創り継ぐプロジェクトが、これから継がれていくにあたって、どんな文化を残したいのかを考えて、そして実際にできたかは別にして、代表とは何かをきちんと示して組織を継ぎたいと思ったんですよね。そんなことで、本当に自信はなかったけど、代表をやらせてもらうことになりました。

そのあと、代表になって、最初に考えたのは、僕らが掲げるミッション「若者の心に火をつける」っていうのは、自分たちに取って、どんな意味があるんだろうということだった。チームのみんながどうだったかは知らないけど、僕は、このミッションの元でやるのは、そんなに惹かれなかった。上から目線で、しかも第1回から継がれたものだから(後半はエゴですよ笑)。

第1回と同じことを、似たようなプロセスでやるなら、それは僕らがやる必要なんてないと思ってました。しかも、第2回っていうのは、第1回とは組織体も違って、新たな日本を創り継ぐプロジェクトであると思ったし、ここでやったことがこの後の組織あり方に強く影響すると思った。

だから、僕らには、継がれたものではなく、僕ら自身の想いがあるべきだと思った。そして、それは「これまで誰もやってきたことがないこと」であるべきだし、「僕らにだからできること」でなくてはならないと。それは、僕らが常に「挑戦者」であるために必要な精神だった。そして、だいいち僕には「若者の心に火がつく」ことが必要とは思わないし、僕自身、今でも必要だとは思っていません。だって、それは人それぞれの人生があって、どんなテンションで生きても、どんな生き方をしてもそれはその人の自由であると思ったから。

でも「参加してくれた人の期待を、越えるようなもの」を創りたいとは思った。参加した人が「驚く」ようなもの。これは、「確かになかったし、これに参加してよかった」と思ってもらえるものを創りたいと思った。

そんな中から僕が生み出した第2回のコンセプトは、7日間を通して「5年後に、あの場所があったから、今の私があります」と参加してくれる人に言ってもらえる場所にするということだった。それは「心に火がつくこと」ではなくてもいい。ある日の、ある出来事が本当に印象に残るそんなことでも良かった。

そのためには、第2回は参加してくれる人にとって「未知の体験」で溢れ、「驚き、衝撃を受ける場所」でなくてはならなかった。そして、人は「全力になるときに、変わる」という根拠ない持論を持っていたので、参加してくれた人が「プロセス、人に向き合うこと」全力になってもらうための仕掛けを用意する必要があると考えました。

同時に、大変な問題が残っていた。開催するための協賛金。Ready Forだけでは、開催資金が足りなかった。そして、過去の主催企業は1回アタックしていたが、何故か話し合いが止まっていて、一説には協賛金を出してくれなくなってるということになっていた。それから、fbアカウントの権利問題、名称使用権などの話し合いもストップしていてた。

でも、このままだとどうしようもないので、もう一度アタックさせてもらって、話し合いをさせてもらった。話し合いを進めていくと、本当に暖かい人ばかりで、無理な提案もいくつも聞いて頂いた。その裏では、GOB Labのメンバーに、話を事前に通して頂いたり、会計などをサポートして頂いた。本当に、今でも頭が上がらないぐらい感謝しています。そして、Ready Forまで協力して頂いた。更に、僕が企業との話し合いに時間を取られている間に、裏ではメンバーが学生対応や、備品の購入オペレーションをしてくれていて、本当にキツかったけど、みんなのお陰でスムーズにことをすすめることができた。

そして、2月の開催直前に、プログラムの最後の詰めに入った、具体的なプロセスは担当してくれた人のおかげで、ほとんど完成していて、残りは1日目のコンテンツと、毎日の終わりに何をするかという箇所が残っていた。(毎日の終わりのコンテンツも、振り返り的なとは決まっていたが、どんな振り返りにするかは決まっていなかった)。実は、開催の3日前まで何も考えていなかったんだけど、3日前にはさすがに本気で考えないとまずいということになって。1日目のコンテンツから考え始めた。

1日目のコンテンツはダイアログや、いろんな候補があったが、このとき「人が変わる」ことを体験できるためにはどうすればいいのかを考えた。そこで、想い付いたのが、「7日後の自分へ手紙を書く」というコンテンツだった。ここで書いた7日前の自分の手紙をみれば、変化がわかるかもしれないという考えからだ。これを中心にして、コンテンツを組み立ててみることを想い付いて、「自分の人生を振り返える時間」とか、「チームってそもそも何だ」ということを考えるコンテンツとか、そういうのをうまく繋げて、1日目の最初のコンテンツを「ミッションステートメント」とした。この名前は思い付きで、「7日間自分、チームに課すミッションを宣言せよ」という意味でつくった。(実は、このコンテンツの作成には、酒井穣さんの講演で聴かせて頂いた内容が強く反映されている。)

印象深かった酒井さんの講演会(GOB Talk#2)

それから、振り返りもつくりはじめた。振り返りというのは本来「自分一人」でやるもののように思われているが、経験上、自分で振り返ってどうだったかなんてわからない。そこで、誰かからフィードバックをもらうという形式を考えた。この形式は、同じく酒井譲さんの講演で聴いた、チームの組成は「感情の谷」と「論理の谷」を越えないとはじまらないという話に基づいて想い付いた。お互いが素直に相手に意見を言いあうことによって、分かりあえる何かがあり、チームがまとまっていくと考えたからである。でも、ただ、フィードバックを言うだけではよくない。ただの否定になってしまう。そこで、d.schoolで使われるプロジェクトへのフィードバック方式を混ぜることにした。
d.schoolの「プロジェクト」へのフィードバックは"I like, I wish, how might we..."と言われる。「私は、プロジェクトのここが好きだ。でも、ここはもっとこうして欲しい。だから、こうやってみないか?」という否定から入らないフィードバック方式である。

これを創り継ぐでは、プロジェクトへのフィードバックではなく、「人」へのフィードバックに使えるようにした。そして、名前を"I Like, I Wish"とした。"I Like, I Wish"は(あなたのここが素敵。もっとここをこうすると、あなたはもっと素晴らしくなる)というフィードバック形式である。想い付いたはいいが、機能するかどうかは本番試すまで実はわからなくて、本当にどきどきしていた。

開催前日は全ブルーマンが会議室に揃うことができて、無事にスタートを切れた。ちなみに、この日がブルーマンが全員揃った最初の日だった。でも、不思議と団結力はあったのは印象的だった。大半が、一緒に仕事をしたことをあるメンバーだったし、それ以上に場所は違えど共通の経験をしてきたことは本当に大きかった。

開催当日は、ブルーマン同士、本当に抜群のコンビネーションでした。当日、ブルーマン同士が、プロセスの進め方で揉めたり、真剣になり過ぎて意見の相違で喧嘩していたり、なんか泣き始めたりしてた人もいましたけど、ブルーマンの熱量がとにかくすごかった。本当に代表してて、最高のチームでした。

第2回日本を創り継ぐプロジェクトブルーマンズ!

それから、第1回のブルーマンの方、GOB Labの方、皆さんが来て盛り上げてくださって、マシュマロチャレンジをやってもらったり、最終日前日に熱の入る講演をして頂いたり、途中の中間発表でフィードバックをして頂いたり、最終発表に来て頂いて最後のフィードバックを頂いたりと、会場に学生だけでは創り出せない素晴らしい空気を持ち込んでくださいました。

バックエンドを支えて頂いたGOB Labの皆さん!

熱(すぎる)講演をして頂いたGOB Labの皆さん!

当日の詳しいことは、ブルーマンや、参加してくれた人のほうがリアルに話してもらえると思うので、振り返りはここまでにします。かなり駆け足で、そして記憶が定かではないような情報も多々ありますけど。

第2回というイベントは、間違いなくこれまで存在していたイベントとは一線を画していました。5年間イベントの企画をやってきた僕に取って本当に「初めての」成功でした。そして、今振り返って代表として何かできたかと言えば、全く分からないのですが、「あの人が最後なんとかするっしょ!」って言うぐらいの防護壁ぐらいの役割を果たせていたら嬉しく思います。

そして、なにより企画が成功したのは、GOB Labから支えて頂いた社会人の皆様、協賛企業の暖かい方々、第1回のブルーマンの皆さん、何よりブルーマンとしてジョインしてくれたみんなのお陰でした。それから参加してくださった皆さんにも、本当に感謝しています。第2回の代表をさせてもらえた経験は、僕に取ってこれからも「宝物」です。そして、何よりみんなと企画をできて楽しくって、ワクワクしました。いつかなにかの形で、協力して頂いた皆さんに返していきたいと思っています。

第2回日本を創り継ぐプロジェクトメンバーズ
それから、この後、第3回が2013年8月に開催されました。第3回は第2回に参加した関西のメンバーが中心になって企画・運営をしてくれました。そして、大阪の社会人の方が働いている中でも、ほぼフルタイムで支援して頂きました。この第3回も、第2回の終わりに「第3回を大阪で」やりたいと言い始めたことがきっかけでいろんな人を巻き込むことになってしまったんですけど。でも、本当に継いで頂いたのは、第2回の企画者として嬉しく、そして本当に感謝しています。こんなことを書くのは僕らしくないかもしれないけど、よく開催しきった!って言いたいです。

第3回日本を創り継ぐプロジェクトブルーマンズ!

次は、第4回日本を創り継ぐプロジェクトが東京で開催されます。今回は、徐々に作ってきた創設メンバーの手を離れ、世代交代をして組織として巣立ちつつあります。僕に取っては、育ててきた組織なので去るのは悲しいことなのですが、成功することを陰ながら応援していこうと思っています。(http://www.tsukutsugu.net)

2013年10月29日火曜日

TEDxKeioのワークショップより

10月26日、27日と2日間、TEDxKeioのワークショップのメンターをさせていただきました。今回のワークショップの目的は、12月23日に開催されるTEDxKeioの本番に登壇する小中高生(慶應義塾関連校)から見つけよう!ということでした。感想は、純粋に面白かったし、僕自身メンターとして、ワークをする小中高生に付き添って、適宜アドバイスをさせてもらうという役回りでしたが、僕が結果的に終わってみて学ぶことが多かったなと思いました。それをいくつか。



まず1つ目。私たちは、スタッフであろうと、運営者であろうと、メンターであろうと、更にゲストであろうと、全員は参加してくれる人のためにいるということです。参加者に向き合う時、私たちは運営スタッフであろうと、メンターであろうと、それは企画者 vs 参加者の構図が出来上がっている以上、いかにコンテンツに詳しくなくても、いかに知識がなくても、仮に無料のイベントでも、私たち企画者側の人間には、常に価値を出す責任が伴うと思います。これは、ある意味今回自分がイベントにメンターとして参加させてもらって、学ばせてもらったことです(僕は誰かの企画したイベントの運営とかあんまりやる気が起きない人なので。やり始めれば、仕事としてやるモードに切り替えれます。)。

なので、まとめると、誰かのイベントに協力すると決めた瞬間からは、参加してくれる人から見れば、企画者であるわけなので、「好きなコト」かどうかは関係なく、「仕事として」取り組むことが必要ですと。それは、失礼かもしれませんが「ゲスト」だとか、「プレゼンター」でも変わらないことだと思います。ゲストもまた「企画者の一人」であると強く感じました。

続いて、下準備の重要性と、3つの負けの法則について。まず、ワークショップにおいては下準備は欠かせないと思いました。それは、自分の企画したイベントかどうかに関わらずです。具体的には、次のようなことをきちんとやる必要があるのではないかと感じました。
・タイムラインをきちんと一人でシュミレーションし、ワークの姿を頭の中で追いかけておく。
・ワーク中に参加者に意識してもらわないといけない場所や、お伝えするべきメッセージなどをノートにまとめる
・ワーク中に見る動画、資料などは、きちんと事前に目を通す。
・1つ1つのワークの目的と、最終的なアウトプットにつながるイメージに一貫性を持たせる。

これを3つの負けの法則という、「まさに」だと思うことと繋げてみます。3つの負けの法則とは、次のようなものです。
・「情報不足」・・・言葉の通り、何かを達成するために情報が足りていないこと。
・「慢心」・・・自分はできるんだと思ったり、自分を過大評価する精神状態。
・「思い込み」・・・自分の意見や考え方に固執し、論理武装しようとする行為。(受け入れる姿勢の欠如)

今回のワークショップにおいて、自分自身を上記の3つの点から判断するとすれば、きっと1日目と、2日目で大きく評価に差が生まれると思います。1日目は、徹底的に自分の中で慢心と想い込みを減らすために、上でやっていたシュミレーションやノートをしていました。その結果、もちろん想定外もありましたが及第点だなとは思いました。しかし、2日目に関しては自分の中では合格点には至りませんでした。

上記3点を振り返りなおしてみると、まず「情報不足」が目立ちました。もちろん、当日流れるTEDxの映像は事前に2周ぐらいは見ましたし、シュミレーションもある情報でやっていきました。しかしながら、アウトプットにつながるイメージがなかったですし、それぞれのワークの目的も曖昧なままにしてしまいました。しかも、その情報不足をそのままにした点も大きな反省点です。これが「慢心」ですね。それと、自分で事前にスピーチの原稿を作るということをせず、時間感覚を掴むということや、プロセスの構築を行っていませんでした。終わった後気づきましたが、これも「慢心」の一種かなと思います。やっぱり人に何かを教えたり、伝えたりするときには自分自身がまずは、それを創り、きちんと体系立てて説明できるようにしなければならないと思いました。一応、持っている方法もあったのですが、それが中高生に通用すると思っていた「思い込み」も大きな自分の中での反省です。しっかりと自分の中で一般化できていないことや、「人が変われば方法も変わる」という原則を無意識に捨ててしまっていた点が仇になったと思った次第です。と、実は2日目は反省点が自分の中でたくさんありました。なので、うちのチームに限っていえば、2日目はどちらかと言えば、中高生のポテンシャルに救われた感じです。彼らの話す能力や、持っているユニークなテーマなど。それらすべてによって、救われました。

あと、始まる前も、終わった後も、少し気にしていたのが僕は中高生に通じる言葉をどれだけの割合で話していただろうかということですね。この点がもう1つ反省点になりそうです。対話っていうのは、相手の言葉で話すことがとても大事なのに、そこを常に意識できていたかということを一度、きちんと振り返ろうと思います。

----ここからは、中高生への提案-----

さて、長い反省の後に書くのは恐縮ですが、僕がこの2日間中高生と接してきて、感じたことを素直に書きます。結論から言うと、「言葉の数」が足りてないと思います。これは、批判ではなく、彼らが表現したいことが、今みんなが、持っている言葉では表現しきれていないということです。これはとっても勿体ないことだと思います。そして、もちろんまだリベラルアーツと呼ばれる教養も少ないであろう、彼らなので「引用する」という力も、これからつけていって欲しいなと感じました。
これは、何も中高生に限ったことではないかもしれません。僕たち大学生も同じような状況だと思います。接していて言葉の数が足りないと僕は感じることが多いです。正確には、表現の幅の狭さが目立ちます。何を伝えたいのかが、伝わらないということが起こっている気がします。それから例えるチカラも、もっと必要なんじゃないかな?と思ったりもしています。

どうして、これほどに「言葉数」の話をするのかと言えば、「言葉」は非常に強い武器であるからです。表現し、例え、伝える。わかりやすくする。言い回す、解釈をする、考える。これらはすべて「言語活動」です。そして、言葉の数を増やすことが、実は「考える選択肢を増やすこと」になったりするわけです。特に解釈のレパートリーが増えれば、それだけ少ない情報から、全体を見通せるようになるでしょう。相手の言葉から、相手の気持ちをより正確に理解することもできるようになります。今、目の前で議論されていることの主題は何かを見抜くチカラもまた「使える言葉」をどれだけ持っているかに依存します。

それから、「伝えるのではなく、相手に伝わる」ためには、相手に「イメージ」を抱かせることが必要です。そのイメージというのは、相手に自分の経験や話していることを言葉を通して、追体験してもらうことに他なりません。そして、そのイメージを伝えるために人が古来から使ってきたのが「言葉」なわけです。だから、言葉にはあれだけの種類と、意味があるのです。イメージを抱くためには、必ず最初は言葉を使うのです。更に、「イメージできることは、具現化」されます。イメージができるというのは、作るものが理解できるということです。

言葉を磨きましょう。
自分を磨きましょう。
伝えることから、伝わることを目指してみませんか?

さて、最後に。僕が26日、27日に接した皆さんは、僕の高校生の頃とは明らかに違う人でした。仲もいいし、活発に会話もするし、素敵な友達がたくさんいるんだなと見ていて、羨ましく思ったほどです。特にコミュニケーション能力の高さは、当時の僕なんかとは比べものになりません。でも、仲間はいないんだろうなと思いました。共に磨き、高めあうような「仲間」と呼べるような人が、みんなにはいるのかな?とふと、あの場所にいて疑問に思いました。

楽しいことは、心地の良いことです。そして、自分を表現することも。でも、これから、みんなは「高めあう」というステージに歩を進めなくては行けません。是非、TEDxKeioを通して、そんな「仲間」を見つけてください。何も、同世代でなくてもいいのです。自分をぶつけられる諸先輩方はたくさんいらっしゃいますし、自分よりも年上の大学生だってたくさんいるでしょう。慶應義塾の精神である、気品や知徳を身につけ、仲間を見つけてください。

長くなりましたが、この辺で。

2013年10月24日木曜日

自分にとって大切な10のこと

DO NOT JUST DO BUT THINK ABOUT WHAT YOU ARE DOING.
(実行するだけではなく、常に自分が何をしているのか考える)

NOT FOR USERS BUT USER'S VIEWPOINT FIRST
(相手のためではなく。まず、相手の"立場"に立つ。)

TELL YOUR NAME FIRST
(まず、自分から名乗る)

PROBLEM FOLLOWS PURPOSE
(問題は常に目的から生まれる)

REFRAME THE PURPOSE
(目的を定義しなおす)

CREATE CRITERIA FROM PURPOSE AND MISSION
(ミッションと目的から判断軸を生み出す)

DON'T DO WHAT YOU LIKE, DO WHAT YOU SHOULD DO UNTIL YOU SAY "I LOVE THIS"
(好きなことをやるのではなく、やるべきことを好きになるまでやり続ける)

THERE ARE ONLY TWO PURPOSES WHY WE LEARN, "TO SOLVE" AND "TO CREATE".
(私たちが学ぶ理由はたった2つだけだ。1つは解決。もう1つは創造である)

THINK EVERY TIME TO FEEDBACK AND CULTIVATE YOUR THOUGHT AND ACTION.
(自らの思考と行動へフィードバックし磨くために、常に考え続ける)

DON'T FORGET TO EXPRESS GRATITUDE.
(感謝を伝えることを忘れずに)

---追加分
IN UNCERTAIN WORLD, FEELING UNEASY IS MATTER OF COURSE . DON'T WORRY.
(変化の早い世の中において、不安を感じるのは至極当たり前のことである。気にすることはない。)

ADJUST TO CHANGES OF ENVIRONMENT, AND BE HONEST TO YOUR EMOTION
(環境の変化を受け入れ、自分の感情に素直になろう。)

【演説】ニューヨーク証券取引所での安倍首相

ソース:首相官邸のWebより


本日は、このような機会を与えていただき、感謝しています。
世界経済を動かす「ウォール街」。
この名前を聞くと、マイケル・ダグラス演じるゴードン・ゲッコーを思い出します。
1987年の第一作では、「日経平均(Nikkei Index)」という言葉が出てきます。
日本のビジネスマンも登場し、日本経済がジャガーノートであるかに思われていた時代を彷彿とさせるものでした。
しかし、2010年の第二作では、出てくる投資家は中国人、ゴードンが財をなすのはウォール街ではなくロンドン。
日本は、その不在においてのみ目立ちます。「Money never sleeps」のタイトルさながらに、お金は儲かるところに流れる、その原理は極めてシビアです。

たしかに、日本は、バブルが崩壊した後、90年代から20年近くデフレに苦しみ、経済は低迷してきました。
しかし、今日は、皆さんに、「日本がもう一度儲かる国になる」、23年の時を経てゴードンが金融界にカムバックしたように、「Japan is back」だということをお話しするためにやってきました。

さて、明日は、マリアノ・リベラ投手にとって、ヤンキースタジアムでの最終試合です。
ニューヨーク市民にとって、永遠に記憶に残るこの日に、同じ場所で時間を共有できることは、大変幸せなことです。
切れのするどいカットボール。43歳になる今でも、あの一球だけで、どんなバッターも手が出ない。
世界一のクローザーとは、そういうものなのだと思います。
日本が復活するシナリオも、奇を衒う必要はまったくありません。
リベラのカットボールのように、日本が本来持つポテンシャルを、思う存分発揮しさえすれば、復活できる。そう考えています。

身近なものからご説明しましょう。寿司です。ニューヨークには、本格的な寿司バーがたくさんあります。
コメと寿司ネタ、わさびとしょうゆ、そして日本酒の絶妙なコンビネーションを体験した方もいらっしゃるでしょう。
全部があわさって素晴らしいハーモニーが生まれる。
どれかが欠けても物足りない。
日本食は、繊細な「システム」です。

私は、月に一度は、海外に出かけます。
出来る限り日本のビジネスリーダーたちを連れ、日本のポテンシャルを売り込んでいます。
特に日本食を持参し、実際に食べてもらいますが、寿司も、てんぷらも、カウンターはいつも大行列です。
そもそも寿司もてんぷらも、200年以上前、今の東京である江戸の庶民たちが、道端の屋台で食べていたファーストフードでした。
私は、ここニューヨークでも、いつか、40丁目と5番街の交差点にあるホットドッグ屋台の隣に、寿司やてんぷらの屋台が並ぶ日を、夢見ています。

日本の鉄道も、世界に誇る「システム」です。
「新幹線」は、時速205マイルのハイスピードですが、静かで快適。
そして、1964年10月開業以来、一度も、死亡者はおろか、けが人を一人も出したことがない安全性の高さで、世界中から引き合いがあります。
日本の新幹線オペレーターには、その次、超電導リニア技術による新しい鉄道システムがあります。
すでに日本国内では、世界最高の時速311マイルで、乗客を乗せて走る実験を重ねています。
この技術を活用すれば、ニューヨークとワシントンDCは、1時間以内で結ばれます。
毎年44万3千ガロンもの「ガソリン」を浪費させるだけでなく、68万2千もの「時間」を浪費して皆さんをイライラさせる、あの「道路渋滞」からも解消されます。飛行機や自動車と比べて、時間もCO2もカットできる。まさに「夢の技術」です。
日本では、今、東京と名古屋間で開業に向けた準備が進んでいます。
その前に、まずは、ボルチモアとワシントンDCをつないでしまいましょう。私から、すでにオバマ大統領にも提案しています。
皆さんは、シェールガス・シェールオイルで強い経済力を持ち、さらに化石燃料が安くなる、ラッキーな国にお住みです。
日本はそうはいきません。そうはいかないからこそ、イノベーションです。

日本のエネルギー効率は、第四次中東戦争が発生した1973年と比べ、約40%改善しました。
GDP千ドルあたりのエネルギー消費は、石油換算で、アメリカでは0.17トンですが、日本では0.11トンしかありません。
中国は0.6トンですから、日本の省エネ技術の高さは、群を抜いています。
ここに、日本の成長機会があり、皆さんの投資機会があります。
自動車向けのリチウムイオン電池は、世界の7割が日本製です。
アメリカで人気のテスラモーターの電気自動車も、電池は日本製。
次世代の自動車は、「インテル・インサイド」ならぬ、「ジャパン・インサイド」なんです。
高い効率を誇る日本のLED照明。白熱電球と比べ、電力消費は5分の1以下です。
ある試算によれば、65億個にのぼる世界の白熱電球需要を、すべて日本のLED電球に置き換えれば、最新の原発200基分以上の省エネとなります。
そして、日本は、原発の安全技術で、これからも世界に貢献していきます。
放棄することはありません。福島の事故を乗り越えて、世界最高水準の安全性で、世界に貢献していく責務があると考えます。
その福島の海では、未来の発電技術が開花しようとしています。「浮体式」の洋上風力発電技術です。
現在、2メガワットクラスのものしか世界には存在しません。
しかし、私たちは、今回、福島沖で7メガワットクラスに挑戦します。
高さ200メートルの巨大な風車が、波の揺れにも耐えて発電する。
世界に名だたる鉄鋼メーカー、重工メーカー、電機メーカーなどが参加する、日本の総力を結集する一大プロジェクトとなります。
日本のエネルギー技術は、ポテンシャルの塊です。
だからこそ、私は、電力システム改革を進めます。
こうしたダイナミックなイノベーションを、もっと加速していくために、電力自由化を成し遂げて、日本のエネルギー市場を大転換していきます。

新たなチャレンジには、さまざまな規制が立ちはだかります。
例えば、燃料電池の開発実証には、多くの規制をクリアしなければならない。
これでは、創意工夫はできません。
私は、フロンティア技術を実証したい企業には、独自に安全を確保する措置を講ずれば、規制をゼロにする新しい仕組みをつくろうと考えています。

昔ながらの頭の固い大企業は、奮起が必要かもしれません。
私は、日本を、アメリカのようにベンチャー精神のあふれる、「起業大国」にしていきたいと考えています。
規制改革こそが、すべての突破口になると考えています。
「本当に改革ができるのか?」と懐疑的な方もいるかもしれません。
たしかに、日本は、この数年間「決められない政治」の代表でありました。
しかし、この7月、日本国民は大きな選択をしました。
「決められない政治」を生み出してきた、衆議院・参議院間の「ねじれ」を解消する選択です。
私が率いる連立与党が、衆参両院で多数を取りました。
政権与党のリーダーとして、私は、必ずや、言ったことは実行していきます。
「実行なくして成長なし」。
アクションこそが、私の成長戦略です。

私が、日本を出発する前に、ある野球記録が塗り替えられました。
1964年に、王貞治という選手が作ったシーズン55本のホームラン記録が、カリブ海出身のバレンティン選手によって更新されたのです。
ここニューヨークでは、イチロー選手が日米4000本安打という偉大な記録をつくりました。
日本で海外の選手が活躍し、米国で日本の選手が活躍する。もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。
世界の成長センターであるアジア・太平洋。
その中にあって、日本とアメリカは、自由、基本的人権、法の支配といった価値観を共有し、共に経済発展してきました。
その両国が、TPPをつくるのは、歴史の必然です。
年内の交渉妥結に向けて、日米でリードしていかなければなりません。
自由で、創造力に満ち溢れる大きな市場を、米国とともに、このアジア・太平洋に築き上げたい。
私は、そう考えています。

さて、私は、ハフィントン・ポストのブロガーもつとめております。
アリアナ・ハフィントンさんには明日もまたお目にかかる予定ですが、ストレートな語り口は彼女の魅力です。
そのアリアナさんが、かつてこう語ったそうです。
「もし、リーマンブラザーズが、リーマンブラザーズ&シスターズだったら、今も存続していたのではないか。」と。
男たちは、「睡眠時間が少ないことを自慢」し、「超多忙なことが、超生産的だ」と誤解している。
そのような男たちは、行く先で待ち構える「氷山」を見過ごしがちだ、と彼女は言うのです。
私も、男たちの一人として、また、総理就任以来、休む暇なく働いてきた者として、この言葉が身に沁みます。
この夏は、ハフィントンさんの言葉を胸に刻んで、しっかり休暇をとりました。

いずれにせよ、日本の中に眠っている、もう一つの大きなポテンシャル。
それは、女性の力です。
ここニューヨーク証券取引所の初の女性会員は、ミュリエル・シーバートさんです。
46年前の出来事でありました。ミッキーの言葉が頭をよぎります。
「アメリカの経済界は、女性役員こそが、人口の半分の男だけに頼っている日本やドイツに対抗する上で、強力な競争力向上の武器になることを気づくだろう」まさにその言葉を、身を持って証明し、アメリカにおける女性の活躍をリードしてきたミッキーが、先月お亡くなりになったと聞きました。
ご冥福をお祈りするとともに、これまでのパイオニアとしての活躍に、深い敬意を表したいと思います。

そして、「人口の半分の男だけに頼ったせいで」閉塞感に直面している日本を、私は、大きく転換してまいります。
日本には、まだまだ高い能力を持ちながら、結婚や出産を機に仕事を辞める女性がたくさんいます。
こうした女性たちが立ちあがれば、日本は力強く成長できる。そう信じます。
そのために、日本から、「待機児童」という言葉を一掃します。
2年間で20万人分、5年間で40万人分の保育の受け皿を、一気に整備します。
すでにこの夏の時点で、12万人分を整備する目途がつきました。

繰り返しになりますが、アクションこそ、アベノミクスです。
足元の日本経済は、極めて好調です。
私が政権をとる前の昨年7-9月期にマイナス成長であった日本経済は、今年に入って二期連続で年率3%以上のプラス成長となりました。
これは、大胆な金融緩和による単なる金融現象ではありません。
生産も、消費も、そしてようやく設備投資も、プラスになってきました。
長いデフレで縮こまっていた企業のマインドは、確実に変わってきています。

ここで成長戦略を実行し、先ほど述べた様々なポテンシャルを開花させていけば、日本を再び安定的な成長軌道に乗せることができる。
これが、私の「三本の矢」政策の基本的な考え方です。
日本に帰ったら、直ちに、成長戦略の次なる矢を放ちます。
投資を喚起するため、大胆な減税を断行します。
世界第三位の経済大国である日本が復活する。
これは、間違いなく、世界経済回復の大きなけん引役となります。
日本は、アメリカからたくさんの製品を輸入しています。
日本の消費回復は、確実にアメリカの輸出増大に寄与する。そのことを申し上げておきたいと思います。
ゴードン・ゲッコー風に申し上げれば、世界経済回復のためには、3語で十分です。
「Buy my Abenomics」ウォール街の皆様は、常に世界の半歩先を行く。
ですから、今がチャンスです。

先日、サンクトペテルブルグで、オバマ大統領からエールをもらい、その後23時間かけてブエノスアイレスに飛びました。
その結果、2020年のオリンピック・パラリンピックが、東京で開催されることとなりました。
49年前の東京オリンピックは、日本に高度成長時代をもたらしました。
日本は、再び、7年後に向けて、大いなる高揚感の中にあります。
あたかもそれは、ヤンキースタジアムにメタリカの「Enter Sandman」が鳴り響くがごとくです。
もう結果は明らかです。
偉大なるクローザー、リベラ投手の長年の活躍に最大の敬意を表しつつ、私のスピーチをおわりたいと思います。

2013年10月5日土曜日

【イベント設計論#1-#3】

【イベント設計論-コンテキストリデザイン】

震災をキッカケに生み出された多くのイベントが今、自分たちの活動のコンテキストと、目的を再考する時期に来ていると思う。震災はあくまで「起点」であったはずなのに、それが「目的化」している組織・イベントが多くある。そして、「起点」となった出来事が世間から忘れ去られたときには、イベントも組織も世間から消えてしまっている。だから、今コンテキストのリデザインを考え直すことには大きな意味がある。これは一過性の「デザイン思考」「フューチャーセンター」「ダイアログ」すべてに共通する。

大きな出来事・概念の発表のあとには、いつも様々なイベントが生まれる。特に大震災は、様々なイベントを生み出した。そして、これからくる2020年東京オリンピックもきっとそうだろう。それが、悪いというわけではないが、つくる「起点」を捉えなおす必要があると思う。

「起点」は常に起点であり、あくまで「起点」である。そのあとに、その起点から私たちは自分の頭で「では、私たちはどうすべきか」を考えなくてはならないと思う。そして、それは「この出来事がなくても、実はかんがえなくてはならなかったもの。」「この出来事がなくても、やらなくてはならなかったもの」でなくてはならないと思う。つまり、「起点」とはいつも「後押し」である。何かをするための「後押し」であると考えなくてはならない。

そして、もう1つは「コンテキストのリデザイン」を失敗するイベント・組織が多く存在すること。震災復興系のイベントが、その文脈からの脱却を試みようとしたのか「地域格差をなくす」組織に変わっていたり、「地方と都市の機会格差の是正」みたいな内容をうたい始めたりしているが、これからはどうも響かない。なんでだろうか。

それは「自分の言葉で語られない」ということがある。多くの「地方格差是正」をうたっている組織は、失礼を承知で言えば、実際の現場に入ったことがない。常にデータで話をしている。だから、「言葉が浮き」「リアリティー」をなくす。本当に現場にいた人であれば、表現をもっと工夫するだろうし、適切な表現を必死で探すだろう(時間がないか、自分本位で伝えているという可能性もあるけれども)。こういう言葉1つ。文章1つへの想いの込め方が浮き足だつとどうしても魅力が半減する。

これらを踏まえて(踏まえているかどうかはわからないけども)重要だなと思うのは「醸成」するという過程です。起点やきっかけをもらって、すぐに動き出すのはとても大事ですが、それを一過性にしない、それから安易なコンテキストに変更したり、語ったりしないためには、自分やチームの中で「想い」「考え方」を醸成する必要があると感じます。



【イベント設計論-TELLとIMPLY】
テーマ:tell or imply

イベント設計には2種類あります。1つは「tell」モデル、もう1つは「imply」モデルです。両方とも「伝える」というニュアンスがありますが、大きな差があります。

tellモデルというのは、伝えたいことを「直接的に言う」ようなイベントです。「震災復興」や「地域活性」、これからであれば「オリンピック」「2020年」をテーマにして開催するようなイベントはすべてこのtellモデルに入ります。

一方で「imply」モデルというのは「伝えたいことを暗に示す, ほのめかす」ようなイベントです。外からみた設計においては、変哲もない、普通のイベントでありながら、中に入ってみると様々なことに「気づく」ことができるイベントです。テーマが別にオリンピックや2020年ではなく、「学びのデザイン」ということであっても設計者が巧みにちりばめた設計によって、参加した人自信が「あ、2020年も考えないといけないんじゃないか」と気づくようなイベントです。

この2つの間には大きな溝があります。前者のイベントは「参加者のために」or「設計者がやりたい」ことをやっているだけのイベント。後者は「設計者が伝えたいことを、参加者の立場に立って伝えている」イベントです。

なぜこういうことを思うのかと言えば、人は誰でも「〇〇をしましょう。〇〇しなくてはなりません。〇〇について考えよう」と言うと、「言われたことをする」のを嫌がるので無理矢理テンションをあげるか、気分が乗らないという状態に陥ります。

ですが、一方で設計者が「伝えようとしていたことを」、参加者自身が発見すれば、それはその人だけの「気付き」になります。人は自分のつくった「アイデア」、自分だけの「気付き」に対しては愛着を持ち、想いを強くします。

この「人」に対する理解がイベント設計においては非常に大事なんだろうなと僕は思うわけです。そして、前者は簡単に設計できるがファンは生まれにくく、後者は設計難易度は高いが多くのファンを生み出すことができます。

やらされた場所は、いつまでもその人の中で思い出には残りません。ですが、何か「気付き」を得たような場所というのは、アイデアと共に場にも愛着が生まれます。そしてそれこそが「忘れられない経験をつくる」という、イベント・ワークショップ設計者に課せられた大きくて、大切なミッションだと僕は思います。



【イベント設計論-テーマの選定】
自分の発見したアイデアや思い付きを一度を捨てること。今はそのときなのではないか。「色濃いテーマ」というのは、コンテンツの魅力をブラインドしてしまう。実際、多くのイベントは、色濃いテーマで実施される。グローバル社会、オリンピック、差別問題、地域格差。確かに非常に参加者に与える印象は強い。でも、これらの話は、そのテーマが魅力的なだけであって、中身がテーマに負けて魅力的にはならないことがよく起こる。

この原因は、単純だ。目の前に周りがダイヤモンドで、中は汚い石である「見た目は宝石」と、周りが石だが、中が宝石になっている「見た目は石」の2つがあるとする。その際、中まで見るとして、手に入れた人はどちらを最後にどちらが幸せに思うだろう。そう考えれば、答えは見えやすい。

誰も目を付けないようなテーマ、一見して魅力があるのか分からないテーマには、未知を掘り進んでいく楽しさをきちんと設計側が意図してつくらなくてはいけない。なぜなら、参加者達はビギナーの心になるからだ。そして進む過程で徐々に気付き、何をすべきかの感覚を吸収していく。そして、だからこそ、その楽しさを生み出し演出するコンテンツやプロセス、演出家、ファシリテーターに強く光が当たるし、場に魅力が生まれる。自分たちの伝えたいメッセージがあるイベントであれば設計するときには尚更、大切なことだ。

テーマに光が当たると、私たち設計者に参加者の意識は向くことはない。彼らが取っ付きやすいテーマだと、それに自分勝手に取り組み始めてしまう。だから、我流になり、私たちの伝えたい物事なんてそっちのけになってしまう。逆に、未知の世界で戦うときには、ガイドが力を発揮し、苦しい中で考えることを通して、協力しあい、場がまとまっていくという現象を起こし、私たちの意図へ導くことができる。

2013年8月8日木曜日

【この時代に生きる 私たちの矛盾】

僕がよく、気がめいったとfacebookに書くと
僕の敬愛する起業家が、これを読んでみるといいよと送ってくれるんです。
その度に、とっても悲しいけど、温かい気持ちになります。

Bob Mooreheadという牧師さんの言葉です。
意訳されています。
気になる方は、原文を見てください。


【この時代に生きる 私たちの矛盾】

ビルは高くなったが 人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 視野は狭くなり
お金を使ってはいるが 得る物は少なく
たくさん物を買ってはいても 楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 家庭は小さくなり
より便利になったが 時間は前よりもなく
高い学歴をもっていても 感性は貧しく
知識は増えても 決断することは少ない
専門家は大勢いるが 問題は増えている
薬も増えたが 健康状態は悪くなるばかり

飲みすぎ吸いすぎで浪費し 笑うことは少なく
猛スピードで運転し すぐ怒り 
夜更かしをしすぎて 起きた時は疲れている
読むことはまれで テレビは長く見るが 祈ることは稀である
持ち物は増えているが 自分の価値は下がるばかり
饒舌ではあるが 愛することは稀である それどころか憎むことが多すぎる

生計のたて方は学んだが 人生を学んではいない
長生きするようになったが 今を生きてはいない
月まで行き来できるのに 近所同士の争いは絶えず
世界は支配したが 自分の心をコントロールできず
大規模なことはなしえたが より良いことはなしえていない

空気を浄化できても 魂を汚し
原子核を分裂させられるが 偏見を取り去ることはできない
急ぐことは学んだが 待つことを学んでいない
計画は増えたが 成し遂げられていない
たくさん書いているが 学びはせず
情報を手に入れ 多くのコンピューターを操るのに
コミュニケーションはどんどん減るばかり

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 人格は小さく
利益に没頭し 人間関係は軽薄になっている
世界平和の時代といわれるのに 家族の争いは絶えず
レジャーは増えても 楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても 栄養は少ない

夫婦で稼いでも 離婚も増え
家は立派になったが 家庭は壊れている

忘れないでほしい
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 1円もかからない

忘れないでほしい 
あなたのパートナーや愛する者に「愛している」ということを 心を込めて
あなたの心からのキスと抱擁は傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい 
もう逢えないかもしれない人の手を握り
その時間を慈しむことを
愛し 話し あなたの心の中にあるかけがえのない思いを分かち合おう

人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない
どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ

2013年6月26日水曜日

組織へ「デザイン思考」を普及させる方法について

こんにちは。
梅雨は雨ばかりで気持ちがブルーになりますね。


いやはや、いやはや。
久々にブログを更新します。
今日のテーマは「組織にデザイン思考を普及させるために」です。

ーーー

とあるワークショップの質疑で頂いた質問に、どうすれば「デザイン思考を組織に普及させることができる」のかって言う話がありました。この質問への回答を、ここに書かせてもらいます。

デザイン思考を組織に普及させる視点からみると、あの時は、「一人ひとり」とワークショップなりを通して価値観を変えていくしかないという話をしました。もう1つお話ししていないものとして、「あなたが、デザイン思考を通して、成果を生み出す」ことがあげられるはずです。手法の研究をするのではなく、まず「あなたは何をするのか」を決めて、それをデザインのプロセスに従って進めるということです。

実際、どうすれば「広められますか」という質問は、想像もつかない「素晴らしい答え」を求めているわけですけど、そういうのがないってみんな知ってるはずですよね。でも、どこかにすがってしまう弱い自分がいるのではないでしょうか。その弱い自分を越えないと、何かを変えていくことってそうそうできないんじゃないかなと思います。特に、向き合うものが「文化」や「価値基準」という無意識の行動であれば尚更です。

ある意味、求めている回答としては、「勉強やってない人に、勉強しろ!って言って変えたい」ぐらいの気持ちだと思います。言って変わるぐらいの手軽さを求めてるのではないでしょうか。でも、想い出して欲しいのです、「誰かに言われてやるようになった経験」がありますか?実際ないですよね。これは同様に「デザイン思考やってない人に、デザイン思考しなさいと言って、やるようになる経験」は生み出せないということです。ある意味、人の行動を変えるためには「手軽な方法」はないです。

では、次のシチュエーションについて考えてみます。「高校2年生から僕たちは勉強をある程度自発的に始める」という現象です。これについて考えることで求めている解に近づけるかもしれません。高校2年生、3年生で勉強を始める現象には、2つの側面(要因)があると考えることが自然だと思います。1つは外的、もう1つは内的です。

外的な要因としては、勉強しないといけない外部環境(受験は失敗すれば、何かを失う恐怖)があります(人を動かす外的要因は多くの場合恐怖です)。これは何かできれば、インセンティブがあるというものではなく、何もしないと失うという恐怖です。インセンティブだけだと、別にやらなくてもいいわけなので、やりませんよね。例えば、これに即して普及させるための方法をお話しすれば、どんな新しいコト・モノ・サービスを生み出したかを業務の査定項目に盛り込めばいいと思います。

もう1つは内的な要因です。具体的には、何か目標ができる場合です。「東京大学に行きたい」という漠然としたものから、「僕は、〇〇を研究してノーベル賞を」という大きなものまであるかもしれませんが、多くの人はこの前者であると仮定をします(実際、肌感覚でそうですよね。東大に入るとすごいぐらいの動機かもしれませんし)。この自分で定める「動機」があると、人は動き出します。ですが、ここで注意したいのは、この「東大に行きたい」というモチベーションは「受験」という環境のなかで生み出されているものであることに注意してください。何も制約がなければ内的動機は生み出されません。

では、ここまでをまとめましょう。1つは「外的環境」の話です。外的環境をある意味、何かに向かうように最適化しないといけません。特にデザイン思考をすることが必要である環境の設定です。それから、内的な動機付けを生み出すために、デザイン思考ができる人は「すごい、かっこいい、クール」という状況を生み出せるかどうかにかかっていると言えるでしょう。

そして、この2つを生み出すためには、先ほどの話の繰り返しですが、外的要因として「イノベーションを評価基準に」持ち込むこと。それから、もう1つは「デザイン思考ができることはかっこいい」という想い込みを生み出すことです。特に、後者はイメージですから、「デザイン思考を通して生み出された輝かしい成果」が必要です。それは「東大に合格する人は、頭がいい」という想い込みを作らせるのと同じです。

ですが、今はデザイン思考というのはどの組織の中でもまだまだ小さい一派なはずで、どこでも黎明期なわけです。これは環境としてはスタートアップと同じ状況です。このような状況では、まずは「応援者を作ること」から始めないといけません。今回のワークショップもその一環だと思います。それから、「早い段階で真剣に取り組み小さくても良いので、成果を上げていく」ことも重要です。論文や方法論の研究ではなく、デザイン思考を用いてこんな成果が上がったという証拠を生み出しましょう。これはある意味、プロトタイプ+テストと同じです。このようにして、応援者を増やしていくことで、メインストリームをコチラに徐々に引き寄せることができます。それが、私のお話しした「一人ひとりを向き合って、話していくしかない」ということです。まずは応援者を徐々に増やしていきましょう。

2013年6月15日土曜日

新しいモチベーション - ”EGO”

こんにちは。
トモシゲです。
昨日の、とあるT.Y.さんとの議論から派生して感じたことをメモ。

デザイン思考っていうものに出会ってもう4年です。そして、デザイン思考をワークショップや教育、人材育成の世界で使って2年ぐらい経ちました。このデザイン思考について、僕はこの2年間で随分と「考え方」に修正を加えてきました。

最初は、「デザイン思考っていうのは、、、ユーザーの視点に基づいて、新しいモノを発想するから、ユーザーが欲しいもの・買いたいもの」が生まれるという仮説から始まりました。他の人は「多様な視点からの問題解決」と言ったり、「多様性が生み出すコラボレーション」とか、またある人は「ユーザーに寄り添う方法」と言います。結論から言うと、大体みんな同じことを言ってます。

あと、随分勘違いした人は「イノベーションを生み出す方法」なんてことも言ってます。これに関しては、僕は「間違い」であると思います。この発言は「取り消した方がいい」と思います。確かにデザイン思考は「イノベーション」と呼ばれる過去に起こった出来事をリバースエンジニアリングして生まれた手法です。その結果として、観察、定義、創造、試作、テストが生まれているわけです。ただし、これは結果論でしかないんです。つまり、因果関係が大きく間違っています。

仮に「イノベーションを生み出したプロダクト」ならば、「デザイン思考」をしている。が正しいと仮定します。では、逆である「デザイン思考」をすれば、「イノベーションを生み出せる」は成り立つでしょうか。時系列など様々な要素があるとはいえ、これは安易に「真」ということはできません。「デザイン思考」は「イノベーションを生み出す方法」であるという根拠のないロジックを世の中に広めるのは、やめてください。そして、イノベーションを生み出す方法論であるというなら、なぜそれを「あなた」が実践してイノベーションを起こさないんでしょうか。これは矛盾だと思います。

さて、話は変わって。ここで疑問です。このデザイン思考が本当に「買いたいもの」を生み出しているのかということです。つまり、「デザイン思考」→「買いたいもの」という論理が成り立つのかどうかについて強い疑問が最近あります。そもそも、欲しいものさえ生まれないんじゃないかと。

すこしここ4年間を振り返ってみましょう。デザイン思考が日本で芽を出したのは4年前の2009年ですから、ここから「デザイン思考」を用いて世界に旅たったプロダクトやサービスをがあるでしょうか。答えは簡単「NO」です。デザイン思考を用いても、結果的に売れる製品は生まれていないんですよね。これ、なんででしょう。デザイン思考を研究している方々は、これに明確な答えをだせるでしょうか。Wiiは2003年に開発が始まり、2006年に世界に羽ばたきました。期間である4年間が短いというのは明確な「理由」にはならないはずです。

つまり、「売れる製品が生まれない」、原因を「ユーザー視点」だの、プロトタイプだの、結果的に「デザイン思考」に持ち込むのは随分、強引な気がします。もし、デザイン思考はイノベーションに結びつくというのなら、この点を突破して欲しいなぁと思います。実際、僕は結果的に、突破できませんでした。

ところで、僕は最近新しい仮説があります。

新しいもの、革新的なものが作れなくなった原因って、ユーザー視点ができないことでも、ビジネスモデルがうまく作れないからでも、ビジネスプランを書けないからでもないのかもしれない。自分の腹の底にある、黒い部分と真剣に向き合ったり(自分の”エゴ”と向き合うことだと、僕は思いますが)をせずに、うまく表出させる方法を学ばなかったからじゃないだろうか。

というものです。

ビジネスやプロダクトをつくる人は、ユーザー視点は本当に大事なのはきっとみんなよくわかってると僕は思うんです。でもそれだけだと何か足りなんじゃないかと。

例えば、スープを作るとする。すると、ユーザーのみを考えると、「ただの」おいしいスープができてしまう。もちろん美味しい。でも飲み飽きてるとしたら、ユーザーが求めてるのは「未知」とか「わくわく」とか。エゴっていうちょっぴり毒薬のはいったスープになる。うまく例えられてないけど。

それから、2年前から思ってたのは、ユーザー視点、ユーザーのためだけを思っていても、長いスパンではやっぱりいつかモチベーションはなくなるということ。僕がワークショップをしたいのは、ワークショップっていうのが楽しくて、その世界で一番になりたい!っていう想いがあったからだなと今振り返って思います。

創り継ぐプロジェクトもそうでした。実際、僕が思い描いていたのは「人が発火すること」でしたが、それは、「人を発火させるようなイベント」なんて誰にも作れないと思ったからです。それを成し遂げれば、すごいことなんじゃないか!っていう想いがありました。だから、ある意味ものすごい頑張れたんです。

長くなったので、この辺で締めますが、人間の最大のエンジンってやっぱり「エゴ」だと思うんです。あなたは、どうなりたい?誰から評価を得たい?どんな足跡を「この世界」に残したい?そんな、これまで誰からも聞かれなかったような質問に真剣に回答する時がきているんじゃないかなと。

それがきっと、自分を動かし、人を動かし、ユーザーを動かす原動力なんじゃないかなと。ユーザー視点は大事です。でも、何故ユーザー視点になるのでしょう。それは、あなたが仮に世界を変えるプロダクトを作るとして、ユーザーの視点を失うと、的外れなモノになり過ぎるからです。でも、ユーザーの視点だけぢゃダメです。僕はどんな未来を描きたい。ユーザーがなんと言おうと、その世界へ引きづりこんでやる!そんなユーザーとは遠い視点もまた大事なんだと思います。

最近好きな言葉は。
始まりは”エゴ”から。

ハチャメチャな文章ですが、最後まで読んでくれてありがとうございます。

2013年5月29日水曜日

「思考」ってなんでしょう。ー心の状態が考え方に影響する話ー

こんばんは。
最近、大学にこもって考えを巡らしています。
いろいろ思いつくので、まとめてブログにしてみます。

さて、問いかけは「デザイン思考」から始まります。昨年1年間、デザイン思考のワークショップなどを通して、デザイン思考ってなんだ?っていうことをずっと考えてきました。で、僕がなんとなく思い始めたのは、デザイン思考はマインドの状態を大事にしていて、実際のところ思考プロセスなんてある種どうでもいいんじゃないかということです(あの5つのステップに意味ってあるのか?そんなに大事か?ってことでもあります)。なので、なんかデザイン思考ってうまくいく人、いかない人が分かれるので、変だよねとずーっと思って、違和感がありました。

じゃあ、思考ってなんでしょうね。

「思考」っていうのは「あなたの心の状態」から生み出されるものだと僕は思います。怒っていると、焦点を絞った考え方をするだろうし、楽しいとまとまりのない散漫な考え方をするでしょう?風邪を引いて、体がしんどければ心は「辛い・苦しい」ことになります。それが、どこに表層化するかと言えば、「話した言葉」「ポストイットへの記述」と「言葉の強弱、アクセント」のような「アウトプット」なんですけどね。

なので、個人的には「思考」に対して、こんな因果関係を持ち込んでみてはどうかな?と思っています。「心の状態」→「考え方」→「アウトプット」。そして、「心の状態」っていうのは、様々なものに影響を受けますよね。仕事の進捗、家族、息子の進学、職場環境、人間関係、生きる目的など全部です。もし、これが正しいとすれば、心の状態をどうベストに持っていくのかを真剣に考えないと、考え方は改善されないということになります。

デザイン思考がうまくいかないというのは、「考え方」にばかり意識がいっていて、「心の状態」へ意識がいっていないから。その人間の「根源的な部分」を自分でケアできてないからなのかなと思います。

もし、この仮説が正しければ、「心を鍛えること」は「考える」という行為を行う上で、非常に大事なことであると言えそうです。心を鍛えるというのは、まだまだ僕の感覚でしかないですが、「やりたくない」と思ったら、「やる」ように決断したり、「やりたい、発言したい」と思ったときに「いや、我慢しよう」とすることであったりします。こういう「訓練」を経ていくと、「心の状態が非常に平和になりますし、小さなことで動揺したり、闘争状態に陥らなくなる」ような気がするんです。

とまぁ、つらつら書きましたが、最近「考える」ってなんだ。「思考」って何だ。そんなことを考える機会があったので、書いてみました。

2013年5月27日月曜日

日本を創り継ぐプロジェクトの設計について


こんにちは。
久々の投稿です。
こういうことをちゃんと書いて残しておかないとと思って、創り継ぐプロジェクトの設計における僕の考え方なんていうのを書こうと思います。自賛している部分も少なからずあるのは、ご容赦ください。

日本を創り継ぐプロジェクトってふと思えばすごいことをしています。普通、イベントというのは、ある一カ所で毎年1回開催されるのが普通のモデルで、開催地を点々とするということはありません。それは、広報や協賛、それから講演者、またオペレーションコストが高くなるということから実施が難しくなるからです。

一方で、そんなことを創り継ぐプロジェクト無視しています。特定の誰かが毎回リーダーになるのではなく、全体のリーダーも企画メンバーも変わりますし、その環境下で5〜7泊という合宿型のプログラムを独自に開発しなくてはなりません。また、創り継ぐプロジェクトというのは外部からの講師は呼ばないことにしているので、合宿中の進行プレゼンテーションや、オペレーションは全て自分たちで行う必要があります。未経験のメンバーにとっては、非常に辛いものがあります。

一方で、何故このように「全てを未経験のメンバー」が、必死に学び、そして地域という障壁さえも越えて、「5日間の合宿」をある意味すべて独力で作るのか。それには2つ大きな理由があります。


1つはプロジェクトのミッションは「日本中の若者の心へ火をつける」であることです。そのため、東京の1カ所でずっと開催しているわけにはいかないのです。思想をリレーし、様々な場所で開催されるようにしないといけません。そのため、毎回のプロジェクトは、未経験な人が、未経験の場所で作るわけですから、非常に負担が重い。でも、それこそが「開拓」で想いを届けるために必要なことです。

もう1つの理由は、私たちは5日間を1つの「作品/劇」と思ってるからこそ、すべて独力で作っています。外部からのノイズは、劇の質を低下させます。筋書きが大事なんです。

最後に、もう1つ課題があります。このプロジェクトの組織としての課題です。それは、「引き継ぐことの難しさ」です。創り継ぐプロジェクトは「劇」だと言いました。劇には必ず「表現したいもの」がなくてはなりません。

これを僕は、企画者の「想い」だと思っています。日本や、地域や、家族など、身の回りでは私たちは様々な人・モノに接しています。それらに対して、何かを変えていきたいと思う人でないと、表現するものが「薄くなり」結局、なんだったんだろうこの合宿となってしまいます。

もちろん、最初からこの「想い」が宿っていることなんてありません。でも、彼らは企画の中で「自分たちは何を、何故表現するのか」を必死で考えます。そのため企画には相当の時間を要していますが、その分、他のイベントとは一線を画すような企画に仕上がっていくのです。しかし、こういうことに時間を必死で割く覚悟をし、コミットメントできる人というのは限られています。場所も関西や九州と移していくためには、それぞれの地域で代表をするようなメンバーが必ず必要です。まだまだ、このプロジェクトは完成品には至っておらず、拡大する最中で、困難と戦っています。

せっかくなので、もう1つこの企画の独特の魅力を紹介しましょう。この企画は「学生」が作っているのではないです。作っているのは「想いのある「学生&社会人」」です。もちろん多くの企画側面は学生が担いますが、社会人も同様にオペレーションに協力し、そして一緒に企画を作り上げています。しかも、社会人がいれば楽勝だと思う人もいらっしゃるかもしれませんが、全然そんなことはありません。社会人の方々も企画途中で一緒に悩んでいます。もちろん、価値観の違いから意見が対立することもあります。特に「想い」や「表現をつくる」というのは、誰しも経験のないことです。自分の意見を的確に表現することだって、そんなにやってない。だから、これは全員が、全員挑戦をしているのと同じことです。
でも、一緒に企画しているのには理由があって、学生だから、社会人だからということに関係なく、「僕ら」は「一緒に未来をつくる」という決意の表明をしたいんです。

長くなりましたが最後に。
日本を創り継ぐプロジェクトは、つまりは「社会を変える劇」です。そして、参加して頂く皆様は、この「劇」のある局面では主人公であり、ある局面では誰かのことを真剣に考える相談役であり、あるときはチームのサポーターになります。そうやって5日間のドラマを作るんです。終わった後に、そのドラマを見返して初めて、「あ、変わったな」と気づくんです。

僕は、大学に入ってからずっと様々な企画を見てきましたが、この企画を越えるものはまだ見ていません。「人を変える」ことを目的にする合宿プログラムはたくさんあります。でも、人が「変わってしまう」プログラムはそう世の中に多くないはずです。

第3回日本を創り継ぐプロジェクトも、関西のメンバーが多くの時間を費やして、表現したいものや、筋書きを創り、開催までもう少しのところまできました。今回も、きっと非常に面白い企画になるはずです。

参加を検討される、皆さんに言えることは、この企画は、上記のような理由から「毎年、開催されるとは限らない」ということ。もちろん、今回が最後かもしれない。そして、参加した時の体感レベルが想像を超えることです。前回の参加者の感想などもウェブで紹介する予定ですが、「衝撃的」「自分自身と戦った」「言葉にならない」などの嬉しいコメントが並びます。

皆さんのご参加をお待ちしています。

2013年5月2日木曜日

【雑記】僕は、本を読むのが遅いー僕の本の読み方。


こんばんは。ふと、書いてみようと思ったので、PCを立ち上げてみました。
今日のテーマは読書のスピードについて。僕の本の「非効率」な読み方について。
です。

ところで、僕は本を読むスピードが皆さんの恐らく10倍から、100倍ぐらい遅いわけです。一冊読むのに少なくとも1週間はかかります。

ほら、わかったでしょ。
まぁ、なんて非効率(苦笑。
1冊に”少なくとも”7日もかかってるんです。

しかも、最初の「はじめに」を読んで、飽きて本を読むのを辞めてしまうことも多い人です。読まない月まであります。年間読んでる本なんて、数知れています。一時期、やたらと多い年もありましたが、今年に入って読んだ本を言えば、両手+αぐらいなんじゃないでしょうか。そして、実用書(How To系)はほとんど読んでいません。読んでいるのは、新書とか、ちょっと変わった思考方法の本とか(ロジカルで体系的な本は苦手です。数学と統計の専門書はもちろん読んでますけど)。でも、随分と1冊を深く読むようにしています。

最近、何のために、「僕は」本を読むんだろうと考えました。もちろん、単純に言えば、新しいことを知りたいからなんですが、もっと大本の目的って何だろうなって。その過程で、人より知識人になりたいとか、そんな色々な純朴さに欠ける欲求もあることが分かって、自分って人からの評価気にしてるんだな。なんて思ったりします。

ちなみに、こういうときには、本を読まないようにしています。邪念が入って、著者の思考がなぞれないからというのと、飽きたりしちゃうからです。読むことに力も入りません。本を読む目的が「ずれる」と読みながら「意味」を探します。そうすると、本の内容はどんなに面白い本でも、大して面白くなくなっています。

では、どんなときに、本を読んでいるのかというと、なんかこう「出会い」を求めているときです。出会いと言っても、「物語」との出会いなのかもしれません。新しい「視点」と言ってもいいかもしれません。特に、誰かに話したくなるようなワクワクする、または驚きを与える「エピソード」などに無性に出会いたくなったとき。刺激に出会いたくて読んでいます。

なので、随分と深く読んでます。小学生時代、読書は、著者との対話だと教えられたことを想い出します。その意味が、だんだんと分かってきたように思います。この人なに言いたいんだろう。ははぁー、こんな経験したから、こういう結論に至ったのか。おー、この発想はなかった!などなど、本1冊で山ほど感動をしています。しかも、途中で自分の経験まで引き出して、比較して、僕ならこう考えるわ!なんて思って、facebook, twitterに書き込んだりするから、更に遅くなる。ああー、なんて悪循環。

あ、話が逸れちゃった。(この後も、きっと何度も脱線します)

あと、本を読むときは「先入観(これにはこういうことを書いているはずだ)」を捨てます。まっさらな頭で読んでいます。だから難しい本が読めないんだと思いますけど笑。とっても苦手です。マルクスにしても、ウェーバーにしても。僕の頭では到底理解できません笑。それと、解釈するだけの事前知識がないだけなんでしょうけど。あ、話がそれました。

で、先入観を捨てるんですけど、すると、色んなことが新鮮に感じられます。同分野の本でも、全く違うことが分かります。僕は「結論」を求めて本を読みません。そこに至る「思考の過程」を知りたいと思っています。結論だけなら、ウェブで〇〇〇〇.pdfで調べれば、答えが出ますもん。

※〇〇〇〇 pdfで検索する方法はオススメです。大体全ての知識と呼ばれる知識、論文などがすべて手に入ります。分からないときは、こういう検索法を使いましょう。

How To本でも同じです。デザイン思考にしても、発想法にしても、そういう本も同じく「何故、この人はデザイン思考の本を書いたんだろう?」とか、「どうして、デザイン思考に彼は出会って、惚れ込んでいったのか」そんなことばかり気になります。そして、結果的に、本の内容にそういうことが書いてないと、読むのを辞めてしまいます。この最たる例が、前書きです。ここがつまらないと、すぐに本を閉じます。


さて、そろそろまとめです。

とにかく、僕は「人の思考をなぞる」こと。これが本の醍醐味だと思っています。だから、新書を読みたい。話がそれたり、全然関係ない世界に飛んでいったり、人間らしいなと思っています。実用的なお話は、大体周りの社会人のみなさんの外部脳に助けて頂いてインプットさせてもらっています。そちらの方が、効率が良くて、大事なことが詰まってる気もします。勉強しないといけないんですけどね。真剣に。

でも、こんな非効率な読み方をして「良かったな」と思うことがあります。それは、人と話しながら、質問に幅ができるようになったことです。そして、会話の中に、答えを焦って求めないこと。そして、質問をするときに純粋な「自然な問いかけ」ができるようになったことです。

「自然な問いかけ」っていうのは、ただ単純に「どうして?」と聞くのではなく、別の当たり前をぶつけてみることです。こういう考え方って、どう思います。ご自分の意見を踏まえて。みたいな質問の仕方です。僕はこう思うんですけどとは、絶対言わないで、相手からずっーと話を聞き続けていくということです。そうすると、インタビューする方も、される方も、何かを得て帰っていく。これは、雑談でも同じです。相手の意見の根拠を引き出すために、どういう風に考えたのかを詰め寄って聞くのではなくて、ゆるゆると話をする中で引き出しちゃう。みたいな感じです。

これが、随分と役に立っています。特に、誰かに道ばたでインタビューするとき、5分だけと言いながら30分近く話し込んだり、終いには友達まで巻き込む始末です。こういうのがなんとも楽しいですね。

さて、長くなっちゃいました。
夜も更けて、もう3時です。
「#もう4時じゃねーの」が懐かしいですね。

本の読み方、皆さんも色々とあると思いますが、僕はこんな感じだよという紹介でした!
それでは、素敵なゴールデンウィークを。
僕は関西で過ごします♪

2013年5月1日水曜日

問いかけー概念を創造し、制約を越えるー

今日、ふと僕が大学2年生(2回目)の終わりの頃にもらったメールを読み返していました。すると、こんなことが書いてありました。

この文章が書かれてあったのは、本文ではなく。P.S.と書かれた後のところ。書いているのは、僕よりも30年以上も前に慶應の理工学部を卒業された先輩です。ですが、久々に読み返したときに、僕も同じような感動をもらいながら、数学という世界に没頭してきたのを想い出します。

ーーーーーーーー引用ーーーーーーーーーーー
関数解析懐かしいです。大学授業のノートで唯一まだ持っているのは、石川先生の関数解析のノートなんです!昨夜、久しぶりに開いて、数式の羅列が読めなくなってる。。。とちょっとショック。条件を入れることで関数空間がつくられていく感じがいい感じで好きでした。
小学校1年のときに、3-5の計算ができないことに理不尽さを感じて、あと2つあれば、計算できるみたいなことを父親にいったら、マイナスの数を教えてもらい、すごい大発見をしたみたいで嬉しかった。

以来、中学校でマイナスの数の平方根はダメと言われたけれど、高校で虚数を習って、また世界が広がって嬉しかった。

大学で数学勉強したいと思ったのは、数学では、勉強すればどんどん世界が広がって楽しいと思ったからですが。。。数理では広大な世界で迷子になって挫折(笑)。でも相変わらず、「平行線は交わらない」じゃなくて、「平行線は交わってもいい?」みたいなところから、非ユークリッド幾何学の体系ができる世界には憧れを感じています。
つまり、あるものを、別な見方(公理)で見て、それに従って論理的に組み立てていくと、全く別な世界が出来る。私自身、イノベーションもこんな感じで起きないかなぁーと思っているかもしれません。今見えているあるものを、全く別の見方でみることで、そこから違った世界が構築できる。
ーーーーーーーーここまでーーーーーーーーーー

この話を聞いたとき、僕はハッとしました。
私たちは、「思考の枠」を破り続けてきたんですね。
それも、「問いかけ」から新しい概念を引き出して。

新しい概念で、できないことを「できる」ようにしてしまう。そして、世界を1つ作ってしまう。そんなことをしてきた偉大な数学者達は、きっとGet Out of the Boxな人(思考のはこの外にいた人)だったんじゃないかなと思います。

僕は、一時期ビジネスの世界の「イノベーション」というものに惹かれました。人々の生活を変えてしまうような、そんな素敵なプロダクトや、サービスを生み出すこと。そんな世界にいた僕は、随分と「数学」をやることを辞めてしまい、最後には「何の、誰の役に立つ」んだろう?と疑問符さえつくようになりました。

でも、高校のときあれだけ好きだった数学です。鮮やかな解放、緻密な論理、色んなことが自分の中から消えていました。そして、大学3年の春に数学の世界に戻って、また色々学ぶようになりました。2年生の基礎ぐらいからやり直さないと行けないレベルにまで能力が落ちていて、なんとも悔しい気持ちでしたけど。

でも、今4年生になって、数学的な思考も、ビジネスにおける思考もそのベースは同じだと気づくようになりました。物事を深め、そしてブレイクを起こすのは「問いかけ」であり、素晴らしい問いかけが、新たな概念を生み出すということに、なんとなく気づきつつあります。そして、その問いかけが、何気ない「当たり前」を捉えたときにこそ、始めて面白い、何かが生まれる。

大学に入って4年間という随分長い時間旅をしました。別に、数学も、統計学も、経営学も、今思い返せば大事なわけじゃなかったです(もちろん無価値といういみではないですよ!)。でも、違和感に「問いかけること」が「新概念の創造」につながっているということが、体感として「分かった」のは、大学に入って得たたった1つの大きな収穫だと思います。これは、僕が接するどの場面でも、状況を変え、ネガティブをポジティブに転換し、場の空気をコントロールする、そんな助けになってくれています。

ともしげ@ふわっと書いた雑記。

2013年1月28日月曜日

日本を創り継ぐプロジェクトー東京 Tokyoー


日本を創り継ぐプロジェクトまで、後13日にになりました。
「未来をつくる人になる」そんな夢のような言葉を掲げていますが、僕らは本気です。
7日間という長期間、デザインプロセスを通ってユーザーが求める価値を社会に届ける。

2月10日からです。

2013年1月18日金曜日

昔こんな企画も創ろうとしてたみたい。

昔溜めていたアイデアが山のようにでてくるので、
せっかくだからこんなアイデアもあるよっていうことを
誰かに使ってもらいたいなーと思いながら書いておく。
これも、2年前の企画書なので、時効で外に出してOKだろう笑。

慶應を囲むステークフォルダーはたくさんあるので
それらを一同に会する場所を創って、方向性をお互いに確認する
なんていうイベントがあってもいいんじゃないかと思ったみたい。
そうすれば、創発も生まれるし効率化もするしみたいな。

ーーーー企画案ーーーー

Keio Incubation Initiative企画書(仮)

【開催趣旨】

慶應義塾において活動を行っているインキュベーション組織と起業家が一同に会するイベントにする。お互いの行っていること、これから行うことを発表しお互いにアドバイスを行い合う(正確には、進むべき道をすり合わせる)場所として機能させたい。また、この場所を開放することで慶應のインキュベーションに取り組む人を増やし、より大きなコミュニティーにしていくことを目指す。

【開催概要】

日時:2012年6月2日(土)13:00〜18:00
場所:慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎1Fシンポジウムスペース
内容:
Session 1
“慶應義塾のインキュベーションのこれまで”
Session 2
“全ての大学インキュベーターへ起業家からの手紙”
Session 3
“慶應義塾のインキュベーションに今、必要なこと”
Session 4
“慶應義塾のインキュベーションのこれから”

2011年度KBC最後の企画ースタートアップミーティングー

2012年2月25日に開催したイベントの企画書のドラフトに書いてあった
僕の慶應義塾大学における新事業創造への想いが見つかったのでシェア。
参考にならないかもしれないけど、久々に読み返してみて
あの当時こんなこと考えていたんだなとしみじみ振り返りました。

それにしても、随分刺のある文章で、公開して良いものかわかりませんが。
1年経つし時効ということでおゆるしくださいませ。

でも、この頃の僕みたいに、慶應のインキュベーションを一途に考えちゃう人いるんだろうか?
本気で、慶應の可能性を信じて新事業創造環境の構築に汗を流している人ってどんな人なんだろう?
もし、いるなら僕は今、その人に是非あって話してみたい。きっと、面白い会話ができると思う。
過去の自分との対話が実現するのかな。
それとも、彼がつくる未来をもっと加速させることができるんだろうか。
なんにせよ、ワクワクすると思う。

僕が、慶應から少しばかり遠くなってしまって、こういう人達を接する時間を持つ頃ができていないなぁと少しばかり寂しく思っていたりするけど。でも、ある意味こういう人達を時間を共有できなくなっている自分っていうのは、このコミュニティーから巣立ったのかな?なんて思ってみたり。

あの頃より、自分が1歩でも2歩でも成長できている自分でいれば嬉しいな。

ーーーー過去の企画書ーーーー

スタートアップミーティング企画書
開催目的

慶應義塾に存在するアントレプレナーに、支援者のネットワークを提供し、
事業を創造するためのリソースの調達元になる。

インナーコンセプト:

KBC実行委員会の後代まで続く、慶應義塾のインキュベーションの中核を担うコミュニティーであるために必要な支援者のコアを構成する。

この理由は、支援者のコアがない限り“KBC実行委員会”は、Startup Meetingを行う以前に価値がないということを認識しなくてはならない(下記に記載)。なぜか、その理由は、KBC実行委員会の強さは“コミュニティーデザイン力”と“コミュニティー継続性”にかかっているからだ。第5期、第6期と多くのこれまでのコア支援者との関係を疎遠にし、継続できない乱雑なコミュニティー設計を行ってきた。このままでは、次年度多くの支援者が離れると共に、活動自体がよき意図元に引き継がれなくなり慶應のインキュベーション、曳いては日本のインキュベーション環境の衰退を起こす可能性がある。これは慶應義塾から新事業創出するというミッション以前に、ドラッガーの言う“組織としての倫理”に反する。
そこで、今回のStartup Meetingの機会を利用し“コミュニティーの再設計”を行う。ただし、コミュニティーの再設計と、Startup Meetingそのものは分けて考えることができることをここで断る必要がある。
なぜなら、Startup Meetingとは“目的(上記開催目的)を持つ場”であり、コミュニティー再構成は“その場のクオリティーを左右する”要素であるためコミュニティー再設計を行わないことは自体がStartup Meetingの実施する意味を失わせる。つまり再構成しない限り、継続的な事業への支援を可能にしないことを意味している。これは上記で述べたコミュニティーの引き継ぎと乱雑なデザインが原因である。
イベントの設計は“その場・その瞬間の最適化”が最も重要なのではない。新事業創出において最も大事なのは、継続的な支援と、そのプロセスを総合したときに最高のものであるという事実である。
以下、コミュニティーデザインを何故実施する必要があるのかを“継続性”や、KBC実行委員会の強さの面から論じることにする。
開催にあたって

KBC実行委員会のミッション“慶應義塾からアントレプレナー精神溢れる人材を輩出し、未来への先導を果たす新事業を世界へ創出する”について考察する。ミッションを大きく解釈すれば“慶應義塾から”“アントレプレナーの輩出”と“新事業の創出”を行う組織と言える。
では、このようなことを行うKBC実行委員会の強みはなんだろうか。アントレプレナーの輩出と、新事業の創出は世界を見ないでも、日本を見ても多く存在する。例の一つとして、Breakthrough Camp、Incubate Camp、Open Network Labをあげておく。では、これらの組織を比較を行った際に大きな差別化の要因はどこに存在するのか。それは、“慶應義塾”で行うという点である。そこで、改めて“慶應義塾から”という言葉の意味を解釈する。
慶應義塾という言葉は、インキュベーションの視点から大きく分けて、2つの視点から論じることができる。まず一つは、“大学”を拠点とすることである。この強みは“研究”を“事業”へ結びつける過程の支援を意味している。逆に解釈すれば、研究ベースの案件を集めやすいという特色がある。更に付け加えれば、大学から創出される案件自体を包括的にカバーしやすい。
そしてもう一つは、三田会という制度である。この組織は世界を例にとってみても、卒業生同士、卒業生と現役のつながりの強い、珍しいコミュニティーである。また、このコミュニティーの特徴はそれぞれの“事業分野”ごとに設定されており、この切り口でいけば多様性や支援の幅が広がる。この強みを最大限に活かし事業支援に取り組めるのが大きなKBC実行委員会の特徴だ。さて、このような環境の中で活動するKBC実行委員会にとって必要なこと、役割はなんだろうか。そして社会から、支援を受けたい人から求められることは何かということを考えなくてはならない。
慶應義塾には、多くの支援対象となる事業が存在する(Launch Padの経験からKBC実行委員会が支援できていない案件は“20件”は下っていない)。それは決して華やかではなくても、漁業、農業など様々な問題を解決する事業を立ち上げようとしている学生、社会人学生が存在し、彼らもまた未来を変えていく一員であり、実際に事業として動き出しているものもあることは事実だ。しかしながら、KBC実行委員会のコミュニティーはどうしてか彼らに門戸を開けていない現状がある。
KBC実行委員会は、大学から革新的新事業の創出を支援するプラットフォームである。これを考慮すれば、大学から輩出される案件を包括的にカバーし、それに対して“支援をする”ことが求められている。結論的に、通年起業件数のような時間軸で計ることになってしまうが、それはKBC実行委員会とその周りを取り囲むコミュニティーが、支援を受けたい人に取って魅力的なものでなくてはならないということである。
では、そのようなコミュニティーとは何か。単刀直入に言うと、多様なコミュニティーのコアメンバーが、KBC実行委員会の支援者のコアとして存在し、どのような案件に対しても、魅力的なコミュニティーのコアがいることである。(そこからの紹介があり、事業支援の広がりを保証する。VCの紹介などもそこから行う。)また、組織が抱えることのできるコミュニティーは限りがあることを忘れてはならない。
以上のことを考慮すると、KBC実行委員会が起業支援に担うべき部分は支援コミュニティーの“デザイン”であるということになる。
しかしながら、KBC実行委員会はITという時代の波に飲まれ“有名なVC”を集めてコンテストを行い、早期に成果を求める(早急なスタートアップの輩出)ような“短期的な”コミュニティーを形成してしまっている。(まさにイベントのためのコミュニティー設計と言っても過言ではないかもしれない)。だが、この先ITの流れ(ブーム)は何年続くだろうか?そのときに今のコミュニティー設計で果たしてKBC実行委員会は価値を出し続けていけるだろうか。
このように考えるとき、今の“流れ”に乗りすぎたコミュニティー設計は非常に大きな爆弾を抱えていることになる。KBC実行委員会はあくまで“大学”・“慶應”をベースに物事を展開していく。そして、そこには“IT”を支援する仕組みももちろん必要だが、時代の流れを創るような”テクノロジー“を活かした案件も支援できなくてはならないのである。その支援の際には、”リードタイム“が長く、多くの場合成功しないことも視野に入れなくてはならない。だが、それを長期的視野のもとで支援していけるのがKBC実行委員会の真の強みである。
時代には“反動”が必ずある。今のKBC実行委員会には流れであるリードタイムの短いITを支援する仕組みと、両立して次の時代を創るテクノロジーやビジネスモデル・リターンが少ないような案件の支援を実現するコミュニティー設計が不可欠である。つまり、濃くつながるコミュニティーの数に制限があり、前者後者の支援を行うようなコミュニティー設計は、今のコミュニティーでは実現されておらず、それ自体を再設計する必要が生じている。このような両立したコミュニティー設計が次年度、またその先の後代を支えるインキュベーションのコミュニティーとなっていくと信じて進まなくてはならない。

KBC実行委員会Startup-Meeting企画責任者
中村知繁