2012年2月27日月曜日

世界は、私たちが考えた通りにある#1

最近のセミナーでは「スキル」アップできるとか、価値観を変えようとかそう言う話をテーマにしたモノがたくさん有るように思う。でも、ほとんどは成功者(と言われる人)のありがたいお話だったり、社会問題の本質は何かを延々と答えもでないままディスカッションするイベントだったりする。

でも、人の「価値観」については僕もすごく興味があるから、ちょっと独自に論を展開してみようと思う。これから書く内容だ。ちょっと不思議な話をする。自分の”思考”のお話だ。でも納得できると思う。思考を変えれば、見える世界(認知世界)は面白いほど変わる。




「ポジティブな世界」と「ネガティブな世界」

人は、常に思考を通して周囲の世界を選び取って知覚している。そうすると、私たちが見落とすものがあることも逆に理解できるだろう(全てを感じていては脳が処理しきれない)。つまり、私たちは、世界の見え方を自分の思考に寄ってを変えることができる(どのようなものを取捨選択するか)、これは即ち「世界は、私たちが考えた通りにある」ということの裏返しだ。

もし、あなたが周囲に起こる悪いことだけに目を向けていたら、それに注意を払っていれば、世界は諸悪の源泉のように見えるに違いない。大学生が増えるたびに、競争率が上がり就職が...なんて思ってしまう人もいるかもしれない。セミナーを受けていないとESさえ通らない。とか、もっと日常でも、「遅刻だ…授業の単位来ないわ」、「上司に怒られた、もう昇進はないな」なんて思ってしまうこともあるだろう(僕も実際そうだった)。

それよりも、人生の素晴らしい側面を見いだすことのできる人の方が幾分楽しい人生を送れるし、幸せだ。世界が私たちの考えるように有るのならば、自分自身で世界をどのように捉えたいかを自分で選ぶことができる。私たちには変えられないこともたくさんあるが、刺激に対してポジティブに反応するという選択肢は存在すると思う。

どうだろう?そんな気はしないだろうか。

僕は、これがすごく分かっている。プロジェクトを任されることがよくあるが、うまくいかない理由を探し始めると本当にきりがない。でも、常に「なんかできる方法はあるだろう」なんて思いながら、これはチャレンジだ!とか言い聞かせながら、いろんな人に話を聞いてみる。すると、自分のやっていることが「結構おもしろいこと」で、自分自身に自信が湧いてくるわけだ。そうすると、不思議なことに思考が切り替わる。できない理由よりも、できる方法を模索し始める。そして案外見つかる。

できる人に対して、あの人はできる、だから「この仕事も教えてもらおう!」と思うのか、それとも「あの人はできるから、ああやって良い評価をもらってて鬱陶しい」と思うのか、それは世界の認知の仕方だろう。

学生団体にいると、営業なんていうことをやることが有ると思う。そこでの僕の経験をシェアすれば、よく営業先の人には、まずイベントの説明をし、協賛メリットを提示しという順番で説明することがほとんどだろう(特に経験のない人はこれをステレオタイプにしているだろう。)そこで、「それ、うちが協賛して何の意味が有るの?」なんて聞かれるわけだ。
そのときの切り返し方だ。そこで「だから、こういうメリットが!」なんて言うのは残念ながらネガティブか、世界の認知を間違えている。ポジティブな人は冷静にこう切り返すだろう。「申し訳有りません、私たちはこういう意図でこのメリットを提示しましたが、御社にとって適切ではなかったようです。逆に、御社に取ってどのようなことを私たちから提供させて頂ければよろしいですか?」とニーズを聞く場へと変更し、さらりとその場の空気を変える。こんなことができるようになるわけだ。

これは、「状況」を変えることはできないが、「自分の反応」は変えることができる。ということだと思っている。困難な状況にいるときに、冷静に対応したりする人を見るのは気持ちがいいし、それ以上に困難な状況を楽しめて好転させることは自分にとっても大きなプラスの経験になる。


「人生の手綱を自分で握るために」

大事なことは「体験する出来事は変えられない」ということだ。私たちは、思考に寄って、それが良い経験なのか、悪い経験なのかを決めている。

雨が降れば、野山へのピクニックは中止になるかもしれない。しかしその代わりに、普段は行くことのないような、博物館を発見することになるかもしれない。物事にどのように対処するのかによって、障害ともチャレンジとも捉えることができるわけだ。


だから、どんな出来事にも柔軟な姿勢で、あるいは新しい方法で対処するように、粘り強く考えるようにすることはとても大事なんだと思っている。

このように、どんな変化も無条件に受け入れ、まずは先入観なしに、ありのままに受け入れると良いと思う。そこから状況をどのように捉えるのか、選択することができる。
だから、何事もすぐに「良い」とか「悪い」とか決めつけないで欲しいと思っている。レッテル貼りをしないで欲しいのだ。そうではなくて、単に「事実はこうですよ」という風に自分に言い聞かせて欲しい。制限を設けないことによって、「自分が物事をどうとらえたいのか」ではなく、物事をありのままにとらえることができる。

そうすることによって、他の人に責任を委ねるのではなく、いつでも自分に責任を持つことができるようになる。我が身に降り掛かった状況の原因を、他人ではなく、常に自分に求める。そうすれば、いつでも自分の人生の手綱は自分で握っていられるのだ。そして、どんな場合も冷静に反応することができると思う。

というのも、物事を改めて見直せば、全く別の側面が見えるようになる。こうした方法を身につければ、じたばたせずに生きていられる。そして、自分自身を前へと押し進める追い風のような効果をもたらす。

もちろん、上のように冷静に対処できることは確かに少ないかもしれない。特に学生の僕なんて体験したことがないようなことばかりで、正直心のどこかで毎日戸惑い続けている。でも対処法をわきまえ始めているから、そうした状況はどんどん減っている。

僕も含めて、みんなが自分自身を、そして自分を取り巻く世界をどのようにとらえるのかは、自分が思っている以上に大きな影響力を持っているということに気付いて欲しい。


「運がいい人、悪い人」

あの人は運がいいよね。なんて言う話を耳にすることもあるだろう。でも、これも世界の捉え方の違いだと思っている。

自動車メーカーの創業者である、ヘンリーフォードの言葉に「あなたは、自分は何かがとても上手にできると思おうが、全然できないと思おうが、どちらも正しい」という言葉が有る。まさにそうだと思った。なぜなら、自分の思考パターンで様々な世界の捉え方が変わるのなら、思考パターンが目標の達成の妨げになることだってもちろん有るわけだ。それは、自分自身の「人生の運を左右する」、「目の前の機会を手に入れるかどうか」さえも左右する。

個人的には、「楽観的な人」は結構運がいい人が多いと思う。そういう人は、前向きで、エネルギッシュで、新しい機会や経験に対してオープンだ。一方で運が悪い人は、控えめで、頼りなく、心配そうな反応をし、目の前にあるチャンスを見つけていかそうという気がない。そんな気がしている。


結論

簡単に結論を述べてしまえば、ある事実、ある出来事、ある機会に対する「自らの思考」で可能性を閉ざしも、開きもするわけだ。で、目の前に困難な案件が来るとどう考えても、無理そうな気がするし、自分に降り掛かってくる仕事の量などを考えてしまうのだが、もう少し踏み込んでみよう。「困難な仕事」を引き受ければ、それだけ「人と会って相談することは多くなる」わけで、新しい「繋がり」もできれば、新しい機会をもらう次の機会を生み出すことにもツナガル。そんな感じで、どんどんポジティブに物事を捉えてみれば、飛び込むべき目の前の機会なんて死ぬほど有るはずだ。「アルバイトのお誘い」から始まり、「一緒に会社を興そう」までワクワクするものばかりだろう。そういう機会をみすみす逃していることに早く気付き、どんどんポジティブに突っ込んでいこう。そうすれば正の循環が生まれて、人生は「わけもわからず」明るいような気がし始める。すると、どんどん人の輪も広がるし、自分自身の成長も実感でき、最後には夢が叶っている。そういうことになるわけだ。

あと最後に、僕自身をポジティブに変えてくれた要因を紹介しておくと、ポジティブな人たちとの偶然な巡り合わせにあったと思う。一緒にいると「傷のなめ合いではなく」、いっぱい元気をもらえる人。そういう人との出会いだったように思う。

2012年2月26日日曜日

「魅力ある人」とは#1

Collaboration人材を目指す
ここ数日、来年僕の組織を引き継ぐと言ってくれている後輩に、よく言っている言葉が有るのでそれについてー自分の「あげあし」を取るようでいやなのだがー大事だと思うので書いておこうと思う。

「何をするかではなく、誰とするかだ」という言葉は、ここ数ヶ月で僕はよく耳にしている。それは、僕の所属している団体のみではなく、どの学生組織でも先輩はこの言葉を後輩に投げているだろう。特にこの時期は、多くの組織が路頭に迷ったり、大交代をするから先輩と後輩の接点が多いだろう。

でも、この言葉には大きな罠が有るように思うのだ。考えて欲しい、そして”こういう”疑問を投げかけてみよう。

この言葉はあなたに何を教えているんだい?
だからどうすればいいんだい?

 この言葉を聞いた、僕ら(後輩)が知りたいのは”「何故」これが正しいと言えるのか”という立証に加えて、もっと知りたいのは、”正しい”のなら、どうやってここで言及される「誰」を見つけるのかという方法論のはずだ。それを知れないのなら、この言葉は自分に取って何の役にも立たないわけである。
 こういう、素敵な言葉を発する先輩方はたくさんいるが、それは「本当?」(どんな経験からそう思っているんですか?)ということと、「どうやったらできるのか?」という2つの疑問を絶対に忘れないで欲しい。(この言葉に限らずだ)

僕も、この言葉を苦しくも安易に使ってしまっているが(もっと正確で、正しい表現に今後直す必要を感じている)、多くの人は、その理由を聞かない。それでは、一切意味がない。それの意味が分かり、実践できてこそ、その人の話を聞く価値が有るのでは?なんておもってしまうこともある。

次に僕なりに「何をするかではなく、誰とするかだ」と解釈しておこうと思う。
答えだけ示しておけば、「本当に分かっている人は、多くはないだろう。正直、これを以下の意味で体現できている人は素晴らしい人材だ」ということだ。ということで、僕には荷が重い言葉だ。

この言葉を聞いたとき、僕は2年生のあるプロジェクトを終了したときだったんだが、そのプロジェクトはよく言っても成功とは「ほど遠い」ものだった。メンバーも僕について来れず離れていったし、うまくコミュニケーションも取れない人だった。そのときに聞いた言葉だったからメンバー選びって大事だなと思っていた。そのころは、自分自身まだまだ(お祭り以外の)プロジェクトのリーダーなんていうものに慣れていなかったし、もっとも人のマネージメントなんてやってる余裕すら持てない人間だった。あとこの頃は、かなりシャイなこともあったし、人と会っても自分に自信がなかったから(特に実績もなく…って実は自分の魅力に気付けてないだけ)ネットワークもほとんどなかった。正直、社会人の知り合いも20人ぐらいだっただろう。

 でも今年1年間学生団体やベンチャーに入ってマネージメントを体験していくこと、そして「禅の精神」や「東洋哲学」に加えて、経営学やマネージメントを勉強していく中で、この思考が”逃げ”だということに気付いた。
 自分の周りに素敵な人がいない、または一緒にプロジェクトをする魅力的な人がいないのは、まさに「自分に魅力がないか、魅力を伝えられていないからだ」ということに気付いた。もっと言えば、「人を魅力的にする術」を自分が持っていないということに気付いた。
 人に対して気を使えたり、育てようなんていう意志の出てくる人は、本当に余裕を持てている人だと思っている。僕はこういうことをできている人を本当に心から尊敬するし、素敵だと思っている。勘違いしないで欲しいが、人を育てるというのは、”弱者側に立って、それを保護したりする”とは意味が違う。自分のプロジェクトメンバーの中にはできる人もできない人もいるはずだ。彼らそれぞれの求めるマネージメントの方法を提供し、一体感を出しながらも、スピードを落とさないということのできる人たちだ。

 だから、この言葉を安易に使っている人は、僕からすれば「思考停止」だ。魅力的な人間に自分がならない限りは、自分の周りに素敵な人は寄ってこないのだ。それに気付けず、この言葉に逃げ続けている人はろくでもない。特に、学生ならこんなこと考える場合じゃなく、自分の魅力をもっと磨いていくべきだと思う。(もちろん自分もだ)
ただ、他人から「自分自身の魅力」について教えてもらい、謙虚に受け止められるようになったとき、そして相手の魅力に気付くことができ、それを伸ばしてあげることができるようになったときこそ、一緒に仕事をする仲間を「選ぶ」側に立つ時が来るのだろう。そのときに「誰とするか」をしっかり考える必要がある。という意味だと思っている。

だから、この言葉を聞いて「新入生」を「選定したり」・「選抜」したりしている人はそもそも「自分自身に魅力がない」と思った方が良い。できるやつは「育てる」余裕を持っているし、自分でできなくても、新人を育てるのを助けてくれる人を仲間に持てているものだ。

もし下のようなことをみじんにでも思っている人がいたら自分を見つめ直した方が良い。「新人よりも自分たちの方ができるから教えてやる。」これは、まさに思考停止人材の傾向だ。それに加えて、人を育てることのできない、もっといえば一緒に仕事をしたくない人の典型だと思う。こう変えて欲しい。「新人の優れた部分を発見し、自分を超える人材にする」こういうスタンスで人には接していくことだ。

 人を信頼するのは非常に難しい。人の責任はできればかぶりたくないものだ。だから始めは、信用できるだけの力量をつける自分になることから始めよう。そうすれば、自分に余裕ができる、人の面倒をみるのはその後だ。そして、その人に仕事を任せて、責任を自分持ちにできるのはもっと後の段階だろう。
 もちろん、こういう話を偉そうに書いている僕自身も精進しないといけないし、より素敵な人間関係や、創発を生み出すーコラボレーションーを目指すなら、「人として魅力に溢れている」人材となる必要がある。そしてそういう人が社会に溢れる必要がある。それはスキルに左右されるものではなく、まさに「人間として」魅力溢れることだ。(この意味をもっと具体的にというのは、難しい問いだから僕自身も全く見当がつかない。でもそういう人は周りにいるから少しでも言語化しようと思っている。)

ただ、一つだけ僕にとって「魅力溢れる人」は、
全てを自己責任と想い、常に自省し続けること。これが、最も自分を成長させる近道であり、尊敬を勝ち得る方法である」と無意識に分かっている人である。

2012年2月24日金曜日

戦略的に自分の強さを創る#1


自分の強さに気付くことの大事さ...これは”枠”を飛び出る大きな一歩です。もっと正確に言えば、新しい競争軸を生み出すことの大事さという方が正しいかもしれません。組織において、学校において、人は競争に晒されています。ですが、そのとき”仕事成果”測る軸を、なぜか「自分そのもの」を測る軸と混同してしまい、自分の業績が悪いことに自己嫌悪になってしまいます。ひどい人では、「自分の存在価値まで否定してしまう」なんていうことになり、引きこもりや鬱病になってしまいます。これは、ある意味、集団で生きていることの弊害です。集団への同化は、自分自身の価値判断基準を組織に委ねることとも解釈できるからです。

 こういう、「自分に価値がない」と思ったときに、投げかけて欲しいことは「本当にあなたを測る軸」はそれ一本なんでしょうか?っていう疑問です。組織における「自分を測る」軸は限定数かも知れませんが、社会、生活におけるあなたの競争軸は間違いなく無数に有ります。その中から、あなたが絶対的に「自信」のあるものを見つけて、自分の競争軸にすればいいのです。そうすると、不思議なことに一種の”安心感”を得ることができます。この安心感は「精神安定への安心感」だけでは有りません。「挑戦への意欲」をかき立てます。

 これは、単純な理由だと思います。「独自の競争軸」を生み出すこととは、自分にその才覚があることを認めることを意味します。しかも、その競争軸で勝負する人は自分以外には存在しないということが、なんとなくわかるでしょう。すると、一つ「何もしなくても、誰にでも勝てる分野」というのが自分の中で独自の体系で出来上がるわけです。そうなれば、その「安定感」こそが、一種の「挑戦する勇気のリスクヘッジ」となるわけです。こうやって、自分自身の競争軸を生み出すことで「自らの挑戦を後押しすることができるのです」

では、その新規の軸はどうやって見つけるんでしょうか?
結論だけ先に書いておきます。(この先は、明日ぐらいに書こうかと…)
・「なんで、そんなことやってるの」と疑問視される分野にある
→その人には理解できない価値基準で動いている
・「こういうところ、すごいと思う」と誰かから指摘される分野である
→客観的に素敵な部分は強みになる可能性を秘める
・スキル(物理的)を必要とせず、誰にでもできそうなこと(飲み会幹事など)をよくまかされたりする
→あなたの「安定感をもって成果を出せる」部分を教えてくれている。
・自分ではわからないが、迷惑がられていそうな分野にある
→社会人との接し方が、適当で一般的に失礼にあたる(でも、実はそれが好みの社会人がいたりする事実)

2012年2月23日木曜日

枠にハマってる人ってどんな人?#1


2月に入って「”枠にハマっている人”ってどんな人だろう?」という質問を、いろんな社会人、学生組織のもと幹部達、現学生組織のメンバーなどに話を聞いているのですが、ちょっと答えが視えてきたような気がするのでシェアしてみます。


枠にハマってる思考をしてる人の傾向。


電車で寝転がる人

1.「普通」「当然」”こう考える””こうするでしょ”っていう発言をする。
→大丈夫、それを「普通」思うのは君だけだから(笑

これがすると何がまずいのか。自分が思っていることを「普通」と感じて止まない人は、環境に自分を合わせるのが苦手です。正確には、「おまえの考え方はおかしいから、変えろ!」ということになりかねません。これはユーザーや顧客のことが「分からない人」そのものを表しています。こういう考え方にならない為には、相手のバックグラウンドを知ることが大事です。何故そう考えるのか、何をしていてそれに気付いたのか。そこに意識的に注目していく訓練が必要かもしれません。
あとは、こういう思考をする人の特徴のような気がしているのは、誰かに創られた”競争軸”の上で生きているということです。「偏差値」「業務成績」もちろん大事ですが、それだけではない。それだけで人は判断してはいけないんですよね。
あと、こういう人はみすみす”様々なチャンスを逃しているような気がしています”(ここは本当かどうかわからないけど、「相談したいと思えない人」に周りからは写っていると思うので、そういう観点からはチャンスを逃す人です)



2.共感重視の対話ができず、自分の意見を「ストレート」にしか述べれない。
→「相手の気づき」を殺さないようにもう少し自分を抑えて、表現力つけてみようか(笑

これは”表現”の問題ですね。「相手の気づき」を「いや、それ当然だから」と返すのは簡単ですよね。でも、それをされたときの相手の気持ちはどうでしょうか?簡単に言えば、その人と一緒にいても楽しくないなとなります。
これでは、誰かと何かを「協創」はできないし、もし新しいものを生み出しても、あの人は「拾ってくれないからまあいいや」という事になっていまいます。これがどんどん積み重なっていくと、それは悪いスパイラルになります。あの人といるとネガティブになる。おもしろくない、一緒にいたくない。そうなってしまいますよね。だから、積極的に拾うとか、相手の言っていることを自分は分かっていますよ!ということを「表現を変えて、確認する」こういうちょっとした行為で相手は自分を、”この人はわかってくれるんだな”と思ってくれます。
(これに僕が気付いたのは、大学2年生の夏の終わりです。「彼女のいない僕(笑)」が先輩と話していたときでした。この意見に行き着くまでには、もう少したくさんの人と経緯もあるのですが、きっかけを与えてくれたのはKBCの先輩と、慶應のOBの皆さん。感謝しています。ありがとうございます。
「お前の言葉は切れ味がいい、「言葉は刀」。切りまくれば、切れ味は悪くなる。「ここ」というとき以外では出しては行けない。まず相手の言っていることの真意を理解して、本当にまずい場合だけ刀を出せ。そしてだいたいの意見は間違っていても修正は利くものだ。もし、その修正案がなければ自分の力不足を恥じた方が良い。常に、新しいものを提案する側に回り、相手の意見の良いところを見つけのばす。いらないところを削ぎ落す。そういう考え方を身につければもっと成長できるよ」。そして、これを通して学んだのは気付かせてくれる誰かの存在の大事さです。)



3.自分が最初の意見は述べず、人の意見に上から言いたい放題言う。
→最初の意見書く人のこと考えようか。彼らは別にたたいて欲しいわけではないと思いますよ。(これってまさに、日本社会。出る杭は打たれる)

こういうビジネスアイデアを思いついた、こういう洞察を得た!というのを積極的に発信できる人が世の中にはいます。結構、希有な人々かもしれません。なぜか。
それは自分の意見に自信があるからではないのです。「自分の意見を発信する」のは僕の場合「もっと、良くして欲しい」という想いが有るからですし、「もし、こういう洞察を得てない人がいれば、得て欲しいな!」なんて思って発信するわけです。なにも「おれすげぇだろ」とは思ってません。でも、不思議なことにその意見に対して、「それ普通じゃね」とか広がらない意見を言う人や、「こういうことだから、それは違うので、やめた方が良いです」としか書かない人がいます。特に後者を書かれたらどうすればいいんですか、「別の方法は??」「代替案ないのに批判してるんですか…それ、自己満足なら迷惑だなぁ」なんて思うんですよね。
あと、そういう人の特徴は、まぁ僕が昔そういう人だったので何となくわかりますが「情報を人に与えることを嫌う。自分が負けるような気がする」とか「知らなかった人を、心の中でバカにしている」というところがあります。でも、それ相手に伝わってるので気をつけた方が良いですよ。(人は自分を映す鏡です)

つらつらと書いてしまって、実はまだ自分の中で”これだ”っていうのは視えてないんですが、できればこれをうまくまとめていきたいなぁって思っています。(あるプロジェクトの一環でもあります)。皆さんの智慧を是非貸してください。こういう”枠を破る”っていうことに興味があってお話を聞かせてくれる人がいれば(思考の枠を破るみたいなことを研究してますっていう人とか)、あと”枠を破ったような気がした経験”がある人でその経験を話してくれるなんていう人がいれば是非連絡をください。あと”私、枠にハマっているような気がするんです”っていう違和感を持っている人も是非話を聞きたいと思っています。よろしく御願いします!

連絡先:tomoshige.nakamura@gmail.com

P.S.
ちなみに明日も打ち合わせのときにこの話をヒアリングしようと思っています。

2012年2月4日土曜日

Social Dinner#1

昨日、夜の予定がなかったので、Facebookで「一緒に晩ご飯食べる人」を募集したところ、前々からfacebookでどこかで会いたいですね!と言っていた”Koichi Maeda”さんが反応してくれて、日吉でディナーを食べることに。実は、前田さんはfacebookのイベントで”朝カフェ”会(情報は下記にあります)をやっていたのですが、毎回予定がかぶってしまって、全く参加できずにいたので、今回会えるのがとっても楽しみでした。



正直な話、Profileを見てどんな人?なんかよくわかんない?(ごめんなさい、失礼ですが)なんて思っていましたが、会ってみるとすごく落ち着きのある方で、素敵で、自分の”ビジョン”をしっかりと持った方でした。つくづく、情報を”間違ったフィルター”を通して見ているんだなぁと感じてしまった次第です、反省ですね。

その席で、話したのはまさに”自分が何をしたいのか”ということや、”何を思っているのか”、”どういう精神性で活動をしているのか”、”自らの哲学は何か”など。とても濃い話ばかりです。こういう話のできる人ってそれほど多くないので、素敵な仲間に出会えたなぁという気持ちでした。

自分が”心に秘めている”想いを話したいと思える相手って、それほどいないと思います。友達同士でも、本音は言わない、そんな時代や雰囲気の中で、こういう話を真剣にできる相手にまた一人、出会えたことをとてもうれしく思っています。今、自分の置かれた環境にはこういう”夢”をシェアする仲間がたくさんいます。それは本当に素敵なことで、自分の”素”を受け入れてくれる人が周りにいるということです。こういう環境の中で生きていられて幸せです。

あと、僕と前田さんの2人が大事だと言っていたことの一つは”周りに惑わされない”ことです。それは言い換えれば、”疑問”を常に持つことだと僕は解釈しています。自分なりの生き方や”義”を貫くことが大事だと。

「友達が就職活動をしている。学生はみんな就活してる」ということに、自分なりに”疑問”を投げかけてみてください。何で、僕が、私が”就活”するのか。

 そこに、自分なりに”意味・意義”を見いだせるのなら、本当に意味があることをしているんだと思います。でも、もし”なんでだろう?”とか、”僕は本当はこうしたいのに”という反発の精神が生まれるなら、自分で納得できていないことを行っているかも、何かやり方を間違っているかもしれなと思った方がいいかもしれません。

「好きだからやる!なにか達成すべきことの為にやる!」
この2つは、僕と前田さんが深いところで通じ合ってる精神性の一つだったと感じましたね。

第6回LOI主催 2/11(土)朝カフェ会!《残り7名までOK!》
→前田さんに会いたい人はここに参加してみると良いです♪


ーーーFacebookから転載ーーー
このカフェ会の【コンセプト】は以下のようになります。
・新しい環境に触れ、違う価値観をシェアし、視野を広げる
・コミュニケーション能力の向上
・人脈作り、友達作り
・ダラダラしがちな休日の朝を刺激のある朝へ!
=コミュニティをシェアする(CommunitySharing)
コーヒーを飲みながら、ご飯を食べながら違う価値観を持った方とお話しませんか??
男女、異業種、他大学で友達を作りませんか?
年齢制限は特にありません!!!
貴重な機会ですので、お時間ありましたら是非ご参加ください

《詳細》
日時:2月11日(土)8:30〜11:10
※今回も午前中でサクッと終わらせます〜

場所:喫茶室ルノアール 渋谷東急ハンズ前店
住所:東京都渋谷区宇田川町36-2 ノアビル2階
(センター街側の東急ハンズになります。お間違いのないようお願いします。)

参加費:各飲み物代(コーヒー510円〜)
暖かいお茶とお水は無料でバシバシ出してくれます。
ーーー

2012年2月3日金曜日

Social Design Cafeのお二人と!

 今回は、ちょっと趣向を変えて、素敵な方とお会いしたので、その紹介をしたいと思います。
 先月26日にSocial Design Cafeというイベントを運営する株式会社はぐくむでインターンをしている、和泉君という学生とお会いしました。その際、一緒に代表の小寺さんという方も同席されていたのですが、お二方とっても素敵な方でした。僕自身、ソーシャルデザインカフェなるものがあるということは実は知っていたのですが、全く詳細を知らずいろいろお聞きしました。


Social Design Cafeについて From Webpage

Social design cafeとは
理想の社会を語り合い、語り合った理想が少しでも実現していくことを目指している場所です。これから僕らはどんな社会を目指していきたいのか?どんな社会が幸せな社会なのか?これからの未来をただ漠然と生きるのではなく、より主体的に社会に関わりながら生きる為に様々な人達と語り合う。そして語り合った中で、見えてきた気づきを1つでも多く行動に移していく。社会に対する自らのスタンスを明らかにしていく。1人1人が理想の社会を語り合い、その理想の実現を目指し、アクションをとっていける場がSocial design cafeです。
二月にも開催されるそうですよ。→Social Design Cafe#4

Social Design Cafeの様子もYoutubeにあったのでシェア!

 で、それはさておき、今回このお二人とあったのには理由がありまして、なんでも3月に”学生団体の幹部クラス(幹部と言っても僕としては、ただの学生のぺーぺーで僕含めみんな一緒だと思っていますが)を招いて【 Next Leaders Cafe 2012 -vol.001- 】を開催したくて、そこに僕の所属している某Kという組織からも来てくれないか?というお誘いで。事前ミーティング的に、一度あってお話ししましょう!ということだったので、「是非」ということで渋谷マークシティーで会うことになりました。

 ミーティングというよりかは、ディスカッションで言いたいことを言いたい放題言ってしまいましたが...反省。イベントの設計の話から、活動する際のスタンスや、信じる哲学など話題は多岐に渡って濃い2時間でした。

 でも、このミーティングで、この活動を通してお会いした2人が”対話によって、世界を良くする”というような想いを持って活動をしていることが伝わってきて、これは応援したいな!と思わせてもらえました。やっぱり”ビジョン”ってすごく大事で、人を動かすにはビジョンは必要な要素だと改めて感じています。こういう熱くて、実際に活動を展開されている方がどんどん増えるともっと、素敵な社会に変わっていくでしょう。負けてられません!