2013年12月31日火曜日

【2013年の振り返り】日本を創り継ぐプロジェクト

ブログを書くのも久しぶりです。毎年、振り返りとかしないんですけど、今年は僕に取って、とっても大事な1年間だったのでしっかり振り返りたいとおもって、2013年のことを書きます。ワークショップから方向転換をした話は、fbに書いているので、その他で大きかった出来事である「日本を創り継ぐプロジェクト」についてメインに書きます。今だからかける内容もあるし、振り返えったことを言語化するのはこれが初めてです。(語尾とか適当なので、読んでくださっている方ごめんなさい。)

第2回日本を創り継ぐプロジェクト!

日本を創り継ぐプロジェクトは、2011年にNTTデータと、野村総合研究所が東日本大震災の復興アイデアを学生がつくるという文脈からスタートしたイベント。僕もこのとき、元いたKBC実行委員会(http://www.keio-contest.org)で、デザイン系の合宿を企画していたこともあって、ブルーマンのサポートをお願いされて、参加させてもらいました。
当時の感想は、今だから正直に書けるけど、「プロセスの設計」とか「費用対効果」に疑問を持ちました。反面、運営している、大人の人をみて、「この人たち、気持ちはいってるな」と思いました。実際に、その場にいたのは最初の2日間だけだったけど、楽しかったのはよく覚えています。(そして2日目の朝のミーテイングに寝坊したのも笑)

さて、このプロジェクトは、単発で本来2011年で終わるはずでした。主催していた2社が来年はやらないことにしたから。でも、このイベントを開催してきたNTTデータの熱い大人と、野村総合研究所の大人達が、引き継いでいった方がいいといって、本当に個人的に、GOB Labという組織を作って、その組織で運営していくことになったんです(実際に当初は、正式に引き継いでいなくて、そのあと権利譲渡とかさせてもらった。)。GOB Labは今でもあって、イベントの開催をメインに活動(株式会社だけど、完全に非営利)しています。実は代表だったりするんだけど。(http://www.gob-lab.com)

そのGOB Labの中で、日本を創り継ぐプロジェクトの第2回の企画を始めたのは2012年4月から。僕はこのときは、関わっていなかった。でも、ミーティングには顔を出していたんですけどね。動き出しは、いろんな大人達、そして過去にイベントを運営してきた学生達が新たなチームを作って企画を始めることになった。企画が始まった当初、このイベントは、第1回の開催の当時に感じた「熱気」や、「若者の心に火をつける」をつくることにフォーカスが当たっていた。

第3回日本を創り継ぐプロジェクト
僕が、第2回の日本を創り継ぐプロジェクトにジョインしたのは、2012年10月頃から(アドバイザーっぽい立ち位置って言われてた覚えがあるけど)。当時のことを振り返ると、議論が迷走していて、結構ひどい状態だった(マスタースケジュールがどんどんおくれていったり笑)。

で、最初に手をつけたのは広報。2月の開催は決まっていたし、となれば10月の段階で広報の実働が始まっていないのはまずいと思ったので、まずウェブをつくり、もう一人には広報の戦略・学生対応をお願いした(そのもう一人が、スペック高過ぎて焦ったんだけど)。11月下旬に無事に募集を開始してからは、ブルーマン集めを始めた。

日本を創り継ぐプロジェクトは、デザインシンキング(デザイン思考)と呼ばれるプロセスに則って、参加した学生が4人1チームになって、あるテーマに沿って問題を設定し、皆生するプロジェクト。ブルーマンは、イベント当日に、チームに張り付いて、プロセスを管理し、議論を円滑化する人のこと。

そのブルーマンが、11月当初であと6人足りなかった。そこで、学生団体をやっていた仲間に声をかけて、お願いしたら全員とはいかないまでも、意外にも多くの人が、快く引き受けてくれた。もう、イベントはいいやって言われると思ってたんだけど。でも、そのとき、学生団体でやってきた3年間って、知識とか経験以上に人の繋がりとして、生きてるんだなと思ったのは本当に印象的だった。実際、最終確定は1月の中旬ぐらいでした。

そんなこんなで12月になって、広報をしつつ、今度は企画の中身とかを詰め始めた。周りからは第1回のままでいいとか、もっと「イノベーション的な」方法を入れろとか、いろんなことを言われてきたけど、でもこのとき僕らの、少なくとも僕の頭の中には、「当日プログラム」はできあがっていた。(実際、議論の中には、不毛な部分もあったけど、ミッションとプロセスをすり合わせていくのはなかなか楽しかった。プロセス1つ1つに意味付けをしていった)。
第2回メンバーでプログラムのテスト合宿

そして、12月末の応募者の1次締切では、嬉しいことに35名の応募者があって、ほっとしたのを覚えてる。特に、第2回は第1回から1年以上経っていて、第1回の人と、第2回の人は、大人を介さないとほとんど接点がなかった。そういう意味では、本当に初年度のような気持ちで広報していた。このときも、学生団体のときに知り合った、友達、仲間にお願いをした。本当に助けられました。ありがとう!

そのあと、年が明けて、色々あって代表が僕に交代になりました。もう1年前だから、書いてもいいと思うけど、僕は「組織」というのは初期形成期が本当に大事だと思っています。それに失敗してつぶれていく組織がたくさんある。そして、組織の文化っていうのは、どうあれ立ち上げ期に決まる。同様に、役職にある人間がどう振る舞わなきゃいけないのかもそのとき決まる。

僕は、そういう意味で、もしこの日本を創り継ぐプロジェクトが、これから継がれていくにあたって、どんな文化を残したいのかを考えて、そして実際にできたかは別にして、代表とは何かをきちんと示して組織を継ぎたいと思ったんですよね。そんなことで、本当に自信はなかったけど、代表をやらせてもらうことになりました。

そのあと、代表になって、最初に考えたのは、僕らが掲げるミッション「若者の心に火をつける」っていうのは、自分たちに取って、どんな意味があるんだろうということだった。チームのみんながどうだったかは知らないけど、僕は、このミッションの元でやるのは、そんなに惹かれなかった。上から目線で、しかも第1回から継がれたものだから(後半はエゴですよ笑)。

第1回と同じことを、似たようなプロセスでやるなら、それは僕らがやる必要なんてないと思ってました。しかも、第2回っていうのは、第1回とは組織体も違って、新たな日本を創り継ぐプロジェクトであると思ったし、ここでやったことがこの後の組織あり方に強く影響すると思った。

だから、僕らには、継がれたものではなく、僕ら自身の想いがあるべきだと思った。そして、それは「これまで誰もやってきたことがないこと」であるべきだし、「僕らにだからできること」でなくてはならないと。それは、僕らが常に「挑戦者」であるために必要な精神だった。そして、だいいち僕には「若者の心に火がつく」ことが必要とは思わないし、僕自身、今でも必要だとは思っていません。だって、それは人それぞれの人生があって、どんなテンションで生きても、どんな生き方をしてもそれはその人の自由であると思ったから。

でも「参加してくれた人の期待を、越えるようなもの」を創りたいとは思った。参加した人が「驚く」ようなもの。これは、「確かになかったし、これに参加してよかった」と思ってもらえるものを創りたいと思った。

そんな中から僕が生み出した第2回のコンセプトは、7日間を通して「5年後に、あの場所があったから、今の私があります」と参加してくれる人に言ってもらえる場所にするということだった。それは「心に火がつくこと」ではなくてもいい。ある日の、ある出来事が本当に印象に残るそんなことでも良かった。

そのためには、第2回は参加してくれる人にとって「未知の体験」で溢れ、「驚き、衝撃を受ける場所」でなくてはならなかった。そして、人は「全力になるときに、変わる」という根拠ない持論を持っていたので、参加してくれた人が「プロセス、人に向き合うこと」全力になってもらうための仕掛けを用意する必要があると考えました。

同時に、大変な問題が残っていた。開催するための協賛金。Ready Forだけでは、開催資金が足りなかった。そして、過去の主催企業は1回アタックしていたが、何故か話し合いが止まっていて、一説には協賛金を出してくれなくなってるということになっていた。それから、fbアカウントの権利問題、名称使用権などの話し合いもストップしていてた。

でも、このままだとどうしようもないので、もう一度アタックさせてもらって、話し合いをさせてもらった。話し合いを進めていくと、本当に暖かい人ばかりで、無理な提案もいくつも聞いて頂いた。その裏では、GOB Labのメンバーに、話を事前に通して頂いたり、会計などをサポートして頂いた。本当に、今でも頭が上がらないぐらい感謝しています。そして、Ready Forまで協力して頂いた。更に、僕が企業との話し合いに時間を取られている間に、裏ではメンバーが学生対応や、備品の購入オペレーションをしてくれていて、本当にキツかったけど、みんなのお陰でスムーズにことをすすめることができた。

そして、2月の開催直前に、プログラムの最後の詰めに入った、具体的なプロセスは担当してくれた人のおかげで、ほとんど完成していて、残りは1日目のコンテンツと、毎日の終わりに何をするかという箇所が残っていた。(毎日の終わりのコンテンツも、振り返り的なとは決まっていたが、どんな振り返りにするかは決まっていなかった)。実は、開催の3日前まで何も考えていなかったんだけど、3日前にはさすがに本気で考えないとまずいということになって。1日目のコンテンツから考え始めた。

1日目のコンテンツはダイアログや、いろんな候補があったが、このとき「人が変わる」ことを体験できるためにはどうすればいいのかを考えた。そこで、想い付いたのが、「7日後の自分へ手紙を書く」というコンテンツだった。ここで書いた7日前の自分の手紙をみれば、変化がわかるかもしれないという考えからだ。これを中心にして、コンテンツを組み立ててみることを想い付いて、「自分の人生を振り返える時間」とか、「チームってそもそも何だ」ということを考えるコンテンツとか、そういうのをうまく繋げて、1日目の最初のコンテンツを「ミッションステートメント」とした。この名前は思い付きで、「7日間自分、チームに課すミッションを宣言せよ」という意味でつくった。(実は、このコンテンツの作成には、酒井穣さんの講演で聴かせて頂いた内容が強く反映されている。)

印象深かった酒井さんの講演会(GOB Talk#2)

それから、振り返りもつくりはじめた。振り返りというのは本来「自分一人」でやるもののように思われているが、経験上、自分で振り返ってどうだったかなんてわからない。そこで、誰かからフィードバックをもらうという形式を考えた。この形式は、同じく酒井譲さんの講演で聴いた、チームの組成は「感情の谷」と「論理の谷」を越えないとはじまらないという話に基づいて想い付いた。お互いが素直に相手に意見を言いあうことによって、分かりあえる何かがあり、チームがまとまっていくと考えたからである。でも、ただ、フィードバックを言うだけではよくない。ただの否定になってしまう。そこで、d.schoolで使われるプロジェクトへのフィードバック方式を混ぜることにした。
d.schoolの「プロジェクト」へのフィードバックは"I like, I wish, how might we..."と言われる。「私は、プロジェクトのここが好きだ。でも、ここはもっとこうして欲しい。だから、こうやってみないか?」という否定から入らないフィードバック方式である。

これを創り継ぐでは、プロジェクトへのフィードバックではなく、「人」へのフィードバックに使えるようにした。そして、名前を"I Like, I Wish"とした。"I Like, I Wish"は(あなたのここが素敵。もっとここをこうすると、あなたはもっと素晴らしくなる)というフィードバック形式である。想い付いたはいいが、機能するかどうかは本番試すまで実はわからなくて、本当にどきどきしていた。

開催前日は全ブルーマンが会議室に揃うことができて、無事にスタートを切れた。ちなみに、この日がブルーマンが全員揃った最初の日だった。でも、不思議と団結力はあったのは印象的だった。大半が、一緒に仕事をしたことをあるメンバーだったし、それ以上に場所は違えど共通の経験をしてきたことは本当に大きかった。

開催当日は、ブルーマン同士、本当に抜群のコンビネーションでした。当日、ブルーマン同士が、プロセスの進め方で揉めたり、真剣になり過ぎて意見の相違で喧嘩していたり、なんか泣き始めたりしてた人もいましたけど、ブルーマンの熱量がとにかくすごかった。本当に代表してて、最高のチームでした。

第2回日本を創り継ぐプロジェクトブルーマンズ!

それから、第1回のブルーマンの方、GOB Labの方、皆さんが来て盛り上げてくださって、マシュマロチャレンジをやってもらったり、最終日前日に熱の入る講演をして頂いたり、途中の中間発表でフィードバックをして頂いたり、最終発表に来て頂いて最後のフィードバックを頂いたりと、会場に学生だけでは創り出せない素晴らしい空気を持ち込んでくださいました。

バックエンドを支えて頂いたGOB Labの皆さん!

熱(すぎる)講演をして頂いたGOB Labの皆さん!

当日の詳しいことは、ブルーマンや、参加してくれた人のほうがリアルに話してもらえると思うので、振り返りはここまでにします。かなり駆け足で、そして記憶が定かではないような情報も多々ありますけど。

第2回というイベントは、間違いなくこれまで存在していたイベントとは一線を画していました。5年間イベントの企画をやってきた僕に取って本当に「初めての」成功でした。そして、今振り返って代表として何かできたかと言えば、全く分からないのですが、「あの人が最後なんとかするっしょ!」って言うぐらいの防護壁ぐらいの役割を果たせていたら嬉しく思います。

そして、なにより企画が成功したのは、GOB Labから支えて頂いた社会人の皆様、協賛企業の暖かい方々、第1回のブルーマンの皆さん、何よりブルーマンとしてジョインしてくれたみんなのお陰でした。それから参加してくださった皆さんにも、本当に感謝しています。第2回の代表をさせてもらえた経験は、僕に取ってこれからも「宝物」です。そして、何よりみんなと企画をできて楽しくって、ワクワクしました。いつかなにかの形で、協力して頂いた皆さんに返していきたいと思っています。

第2回日本を創り継ぐプロジェクトメンバーズ
それから、この後、第3回が2013年8月に開催されました。第3回は第2回に参加した関西のメンバーが中心になって企画・運営をしてくれました。そして、大阪の社会人の方が働いている中でも、ほぼフルタイムで支援して頂きました。この第3回も、第2回の終わりに「第3回を大阪で」やりたいと言い始めたことがきっかけでいろんな人を巻き込むことになってしまったんですけど。でも、本当に継いで頂いたのは、第2回の企画者として嬉しく、そして本当に感謝しています。こんなことを書くのは僕らしくないかもしれないけど、よく開催しきった!って言いたいです。

第3回日本を創り継ぐプロジェクトブルーマンズ!

次は、第4回日本を創り継ぐプロジェクトが東京で開催されます。今回は、徐々に作ってきた創設メンバーの手を離れ、世代交代をして組織として巣立ちつつあります。僕に取っては、育ててきた組織なので去るのは悲しいことなのですが、成功することを陰ながら応援していこうと思っています。(http://www.tsukutsugu.net)