2011年12月31日土曜日

「夢」〜高校生と共に〜

左から上條さん、翼くん、宍戸くん
今日は、佐々木翼くんが東北から、東京に遊びにきてくれました。彼は、僕がTEDxTohokuで出会った高校2年生でとってもアクティブ。彼が会った人に、夢を聞いて回っています。

その彼を今日は東京でお出迎えしました!夜19時ぐらいから、韓国料理店を食べにいきました。さすが高校生は”よく食べる”(笑)

彼は考えもしっかりしているし、話も高校生とは思えないぐらいです。自分が高校生のとき、こんなにしっかりしてたかなと振り返って・・・ちょっと残念でした。たぶん、これからこんな素敵な高校生が増えていけば5年後日本は変わっているでしょう。出会いに感謝!

ちなみに、このときに僕の夢を聞かれたのですが、僕の答えは「誰かの”欲”のためではなく、誰かの”幸せ”のために貢献したい」と伝えておきました。

今はこんな感じです。私事でした。


左から、宍戸君、(なんか出てる)原田さん、上條さん、翼くん

2011年12月28日水曜日

革新する組織へ向けて

東京都渋谷区
昨日は、元GEIL2011原田泰直君と夕方16:00頃からミーティング(という名の、雑談会?)をしました。彼は、正直”ちょっと変わったところのある素敵な人”なんですが、彼に誘われて渋谷に。すると、来年のGEIL2012を率いる一年生(萱原君)からヒアリング受け、僕(ともしげ)でよければいくらでも!という感じでお話をすることに。

今回は、そこで話した内容と冷静に学生団体を見て思うことをシェアしようかなと。

こんな感じ?
昨今、学生団体がすごく増えて来て実際”混戦状態”(?)にあるかなという印象がすごく強いです(差別化競争?)。で、やはり学生といえども組織であり、イベントを企業から協賛金をもらって運営する以上は、”イベントへの学生の集客力”が一つの組織の力を計る大きな軸として機能しているというのは至極当たり前のことなのですが、それが故に感じる疑問もあります。というのも、集客に力を入れるとどんどん”薄い”イベントが出来上がります。”浅い””大衆向けの”そんな印象が強くなります。少しその原因を探ってみます。結論から言うと”人が集まらない”=”見え方が悪い”し”お金が集まらない”からなんですけどね。

具体的に言えば、昨日の議論では、”イベントの参加者人数”を80人から20名に減らして、来てくれた”20名”(もちろん、参加者に対してもクオリティーコントロールがかかる)がクオリティーの高いものを生み出すような環境を構築する。【実体験に基づく前提】:80名の場合はどうしてもイベント中の管理コストが増えることや、チームを組むために実力差が表れやすいため、並一通りメソッド・方法論の提供に留まってしまい、既存の枠から出た新しい提案が生まれづらいということがあります)
このときに、”企業から見た視点”(特に採用・広報目的の場合)ではこれまでは80名にアプローチできるイベントだったのに、20名にしかアプローチできないイベント。という見え方になり、協賛活動に困難が多くなるという認識です。

企業の方からすれば、”アプローチできる学生数>学生の質+イベントのクオリティー”のような気がします。もちろん、そうではない企業もあり、ミッション・ビジョンへの共感から協賛してくださる素敵な方もいらっしゃいます。その方は、多くの場合後者を見ていることが多いです。つまり、協賛には少なくとも2種類あるということです。前者は先ほども言ったように、採用・広報活動の一環です。その場合、運営者の想いなどよりも”自分たちの利益優先になる”ので運営者のイベントへの想いなどは”霧散状態”になるしかない。

ただ、”運営者・行ってきた肌感覚”からすれば、20名に絞るということはそれだけ、スタッフの目も行き渡りやすいことなどによってイベント自体のホスピタリティーの向上(特にソフト面)があることに加えて、チーム毎の進捗に合わせて柔軟なイベント設計・変更が行いやすく、臨機応変な対応が可能となります。その上、雰囲気自体も柔和になることが多く”大衆イベント=論理・分析”だけではなく、”創造性”を発揮するようなことを参加者・運営者に雰囲気が許諾します。

それ故に、イベントの”アウトプット”となるもの自体は面白くなりやすく、イベント自体の参加者からの評価は高いことが多い。(正確には、正当な評価をするに値するイベントになる。ダメならダメと言えるイベントになる。)。その結果、イベント自体へのフィードバックた行われやすく次のイベントのクオリティーに反映されやすい。

個人的には、後者のイベントの方が価値が有ると思っています。というか、価値が有るというよりも好きで、何よりイベントの柔軟性が高く”自分nize"されるが故に、”楽しい”という感覚と、終わった後”自分自身の中で感じられる変化”が明確です。

確かに、”大衆イベント”は様々な面で有利に働きます。(働いているように見えるというもの正しい表現。)特に運営者目線で。
・運営者自身のブランディングができる。(あ〜あの学生組織ね!っていう具合です)
→大手の企業で言えば、あ〜、あの就職難関企業ですか!っていう感じかな。
・大きな協賛金を得やすくなるし、協賛活動が軽くなる。
→大手が協賛を大口で出す。
・広報もマスに行えるし、ネームバリューがあるので、集客が楽。
・運営者を募集すればすぐに集まるので行いやすい。
・企画は並一通りであることが多いので運営コストが低いし、ある程度の参加者満足度を保証することができる。
などなど、まだまだ感じていることがあるのですがたくさんの利点が有ります。
(僕には、”ない”ように感じるんですけど)

逆に参加者にすれば
・安定感のあるイベントなので、参加への”意識障壁”が下がる。(特に友達もいない場合)
→”みんな”が同じ状況ということで安心があるし。

更に、企業にすれば
・集客実績もあるため、協賛金を出す目的が”広報・採用”となるので、目的が明確化されてお金を出しやすい。
という感じでしょうか?

ここまでみれば、運営者的には一見”すばらしい”のですが、参加してみてわかることがあると僕は思っています。それは、”運営者の”「思想」「ビジョン」「考え方」、引っ括めれば”オリジナリティー”が欠如するような感覚があります。正確には、そんなものは”考えられてすらない”場合が多いか、それを貫こうとすると”スポンサー”を蔑ろにしないといけなくなることがほとんどです。

考えられていない場合の方が圧倒的なので、そちらについて考察すると、簡単に言えば”必要ない”から。自己利益に向かって、運営者も必死?。イベントには”型”があって、それに当てはめればある程度のものが作れてしまう。イベントは手段であるはずなのですが、”開催すること”=”目的”と化してしまうし、それ以上に”成功指標”が”観客数”になっているので、何を目指すかではなく、何人集めるか。こういう現状です。しかも、集まる人は正に”適当”です(数がいればOK)。マスで集めているのでイベント自体で”新しい出会い”はほとんどなく、もっと言えば”講演会に来た人同士の出会い”みたいなものです。もちろん、価値がある・ないの問題ではなく、そういう風になりがちですね。という話です。(僕は、価値は感じませんが)

では、一方の後者。(僕はもっぱらコチラを応援したいという立場です。)

これは、多くの場合”運営者”の”独りよがりになりがち”という側面があります。ただ、大きく違うなと感じるのは”イベント”を通して、”誰かの”幸せ”に貢献したい”(あとは、こういうのがあれば”おもしろい”)という想いが伝わってくることです。こういうのを僕は”思想先行型”と呼びたい。(前者は”利益先行型”な気がする。後者にも、利益先行はいますが、ほとんど失敗します。人が来ない。)

こういうイベントは”想い・思想”が渦巻く世界です。来る人間も少ないですが”濃い”のが特徴で、世間とは変わった(ズレた)思考の持ち主が多く集まるような場所です。もっと言えば、一長一短はっきりしていて、自分の考えが有る場合が多いですし、ぶっとんでることもしばしばです。そのために、当たり外れも大きく企業的には”協賛・協力”する側”も”大きなリスク”を取ることになります。
参加者についても、”参加費”や”時間”に対してどれだけの”リターン”があるのかをよく考えるようになるので、”参加障壁”も上がります(そのために集まる人は、スタッフの知り合いが多くなりますが、スタッフが濃い人が多いので、結局濃い人が集まる)。
それが影響してなのか、イベントの内容も、イベントごとに”雲泥の差”があります。(参加してみて、合わない・シックリ来ないこともしばしば有ります。)これは、”運営主体者”の能力に左右される部分が大きいことが原因でしょう。
ただ、イベントの中では自然体の勝負というイメージを持って欲しいですね。”着飾らない”・”ホンネベース”そんなイベントです。着飾ると見抜かれて”その場所では価値のない人”としての扱いを受けます。

このように”利益先行”型と”思想先行”型とをもっと明確な言葉で表現してみると、僕は
「”利益先行”とは、誰か”向けに”イベントを開催することであり、”思想先行”とは誰かの”ために”イベントを開催すること”である。」そして「”利益先行”は一過性のイベントで終わる。ただし、”思想先行”は初期段階での生存確率は低いが、誰の”ために”のということを考え抜き、その人の抱える問題の本質に気づいて適切なアプローチを生み出したとき”思想先行”は”優位性”と”継続性”を兼ね備えた素晴らしい組織・イベントへと成長する。」ということです。

前回の”便所飯”もそうですが、僕は、今は”見え方を気にする”傾向が一層強くなっているように感じます。特に、イベントであれば”運営とか、審査員ラインナップ、集客数、ブランディング”とか。みんな、”そこ”からイベントを設計し始める。でも、そこが本質ですか?っていう。
これは”学生組織”を運営している人の一部と話していて、自分たちの活動を”何か違う”、”変わらないといけない”。でも”どう変わっていいのかわからない”。という感情を抱いていることを知りました。その人達は、”誰かのために”何かをしたい。という想いにかられているのではないかなと思っています。つまり、自分たちは”本当に変化させたい/しなくてはならない”ことを言葉にはできなくても、”感覚的”に気づいているんです。
その介あってか(?)、多くの学生組織は半分に割れていきます。ある一部の人は確かに上のようなことに気づくのです。そして”こうなっていきたい”という想いを持ちます。でもそうでない人もたくさんいて、そう言う人は”利益先行”で”見え方重視”のイベントを追い求めてしまうため、参加者が集まりそうではないことを憂い、更には”大手とのつながりができない”ということから来る社会的承認がなさそうなことを気にします。

ただ、3年間学生組織にいた僕からのお願いは、今の自分たちの目的・ミッション・ビジョンを達成する上で、少なくともやるべきことや解決すべき問題に”気づいた”なら目を反らさないことです。自分の”感覚”を信じて妥協しない。特に、リーダー・幹部はその”気付き”から目を背けるような人であってはいけない。”何か違う”と思ったら、すぐにメンバー・友人・アドバイザー・メンターに相談する。”何か違うんだ”って。
多くの組織の今のトップは、見え方を気にしたり、協賛企業とのネットワーク作りに走ったり、ビジョンを描かなかったり、うけを狙ってみたり、そんなことをするような人が多いのかもしれない。その結果は絶対に”イベント本番”で来てくれた人に”自然に伝わる”ようになる。そして、それが一番伝わるのは実は”自分たちの組織を外から支えるコア”の人であり、その人たちが”離れる”という現象を知って始めて気づく。(手遅れ)
”思想”へのアプローチは、常にと言って良いほどTRY&ERRORがつきまといます。でもその中で、どんどん”目指すべき方向”に近づいていく。その中で組織が成長し、組織の強い優位性と継続性が養われていくのだとそういう風に思うんです。

最後に:かなり感情的な気がしますが、世界の99%はロジックではなく、エモーショナルだと思っているのでこんなコト書いても許されるかななんて思っています。考えを未だまとめている段階なので、まとまればまた書こうと思います。

2011年12月26日月曜日

大学の“今” #1

東京大学安田講堂
 今、日本の大学の至る所で、これまでの常識からすると考えられないような変化が起こっているそうです。
 その象徴的な現象の一つに「便所飯」というのが有るそうです。文字通り、便所にこもってご飯と食べることですが、これがいじめとは関係なく、大学生が自ら進んで大学内のトイレで一人食事をとっているということだそうです。
その背景にあったのは、“人のいるところで食事をするのが嫌”ということではなく、“一人で食事をしているところを見られたくない”という心理が働いているということです。

 実際に経験した学生からは以下のような意見があります。「トイレでの食事はたまにします。時間がないときにコンビニで買って来たものを一人で食べているところを見られたくないからです。一人でも食事ができる環境をもっと増やして欲しい。特に大学の食堂でも、一人で入り易くする環境を整えて欲しい」

 さらに「昔の人は、一人で食べることを嫌だと思っていなかったということに驚きました」という意見も有り、それはつまり、一人で食事をしているのを見られたくないというのが普通の感覚で、そうではない人が信じられないということです。驚くべきことだと感じる人もいるのではないでしょうか。

さてその背景を読み解いていくことにしますが、まず昨今の“個人情報時代”似合って「誰とも連絡を取れず、一人で食事をするしかない人間」という風に見られることを恐れているように思います。簡単に言えば、個別に繋がれる形態時代に会って、そこから断絶された離れ小島の住人だとは思われたくはないということなのでしょう。ですが、これを克服した(?)意見も紹介します。

大学3年生の女子書いた意見だそうですが
「入学式に出て思ったのは、mixiや携帯を使って、あらかじめグループができているということ。一部ではあったが非常に驚いた(私は、完全にその流れにのれなかったので、友達を作るのに苦労した)。人の目が気になる、人とつながってたい、そんな気持ちからmixiを始め、なまじ友達に認めてもらえたようで満足していたが、そう言う自分が虚しくてmixiを辞めました(250人程との常時のつながりが切れました)。意外と孤独感はないです。」

この現状からもわかるように、入学して実際に顔を会わせる前からグループが作られてしまうのが今の世の中です。バーチャルが悪いということではありませんが、その虚しさと限界を知り、そこから脱却する彼女のような人財は少数派になっているかもしれません。

 また、実際に「便所飯」から脱却したある2名男子学生のインタビューもありましたので紹介すると、ある学生は「就職の問題も含めて将来のことをいろいろ考えているうちに、いつのまにかトイレでご飯を食べるのを辞めている自分がいました」。また別の学生は「大学でサークル活動を始めて、それが楽しくなっていくうちに、きがついたらやっていなかった」と回想しています

 ここから読み解けることは「自分で「便所飯」をやめなくてはならない自覚したのではなく、生活の中で将来に関わる重要な課題や楽しいコトを発見し、目標ができ充実する中で知らず知らずのうちに脱却していたという事実です。

 ここで着目すべきは、“毎日の学生生活の充実が、一人で食事しているところを誰かに見られたくないという不安を解消した”ということです。即ち、将来を考える、サークル活動に参加するという日々の生活の中で、自らの心が発達し周囲がしっかりと見えてくるようになれば(良くない意味で)常識を逸脱した行動をとらなくなるということですね。

 さて、そう考えると、学生に「便所飯」をさせている責任の一端は、そうした心の支え・成長を作ることができない、大学や、遡れば、そうした生徒を送り出している中学・高校にもあるともいえると思います。
教育者、学生、保護者といった立場に関わらず、どうしてそのようなことになっているのかという意味を良く考えてみなければなりませんね。

(参考:危機の大学論)

AKB48のマーケティング戦略


AKB48(Media選抜)

 AKB48の商品設計は、メンバー、楽曲、ライブ、ファンをへの施策という視点から、ソリューションとして設計されている。故に、メンバーがいかなるものであっても成立するようになっている。
 そのソリューションには、アウターコンセプトである「会いにいけるアイドル」に対して、「何も加工されていない生の人間の、並外れた成長を見せる」インナーコンセプトが設計されている。それが、前田敦子というフラッグシップで「見える化」したことで、顧客はインナーコンセプトを明確にイメージすることができた。
 さらに、その内容を作詞家やアーティストの思想や感情という「STORY」ではなく、ファンやメンバーの想いや経験を代弁する「ナラティブ」で語った。故に、「次々」に起こる、「様々」な、「現在進行形」の無数な物語を生み出し、これがいつもAKBの鮮度を保つことなっている。
 
 AKB48の普及戦略では、AKB48の展開がロジャーズの普及モデルと一致していた。これは普及戦略がしっかりと考えられ、実行されていることを示している。第一期は、イノベーターである、秋葉系のアイドルオタクを獲得した。第二期は、アーリーアダプターを獲得した。アーリーアダプターは、たくさんのメンバーじゃら自分の意中の人を捜す楽しみや、メンバーとチームの成長を見守れる楽しみ、ファン同士が交流できる楽しみなどを感じた。
 
 着目すべきはここからである。
 
 第三期、第四期はクリティカルマスを超える戦略に出た。これを可能にしたのが、「大声ダイヤモンド」である。この結果アーリーマジョリティーである34%をしめる大衆を獲得している。そして今、第五期はレイト・マジョリティーに達している。

 AKB48の市場戦略は、最初はセオリー(STPと新世代マーケティングの融合で、濃い顧客を作るというものだった「30代、40代ぐらいの男性アキバ系アイドルマニア」というターゲットに「メジャーアイドル並のクオリティと地下アイドル並みの近さ」という価値を実現し、熱狂的なファンを作ることに成功した。

 更に、ブレイクの手前で、ニッチ戦略から、リーダー戦略へと変更する。(大声ダイヤモンドだ。ここを境に、明らかに振り付け、歌詞が変わっている)。これによって一気に顧客を拡大している。作詞・作曲・振り付け・メディア展開、イベントといったすべてを全国展開に切り替えて、全方位戦略を取っている。

 次にAKB48のプロモーション戦略は、マーケティングシステムといえるほどよくできたものである。それは、トライアルユーザーを獲得し、ユーザーを感動させ、リピーターを促進する関係性マーケティング(和田充夫:関係性マーケティングの構図)と言える。これは特に、AKB48の選抜総選挙が顕著であり、No.1を目指すメンバーを、いろいろな投票方法でファンが応援し、感動を共有することで、両者の関係を深めるということである。

 また、AKB48オープンソース的な考え方で作られていた。これによって、たとえメンバーが抜けて、ファンが入れ替わっても、進化し続けることができ、常にファンのニーズを反映させることができた。

 AKB48が素人を採用する(AKBのオーディションは当初、事務所に所属したことがあればアウトだった)理由は、素人は未完成であるが故に、ファンは応援する楽しみと、成長と見守る楽しみの両方を味わうことができることである。また、その基本戦略は差別化にある。これは、秋元康の“世の中には必ず反動があると考え、人が手を出さないことをやることが、成功のための最良の方法である”という考え方に基づく。そして、商品設計はアイドルの4大要素である「処女的アイドル性」「パフォーマンス性」「庶民性」「地下アイドル性」を掛け合わせて作られていることがわかる。

 AKB48のビジネスモデルは、「イベント事業」「物販事業」「会員事業」の3つであり、それらが相互連携していることが特徴である。更にこのメインシステムを補完するのが「制作事業」と「プロダクション事業」という2つのサブシステムである。このような、メインシステムとサブシステムからなるAKB48のビジネスモデルは、大きく二つの利益モデルを使っている。一つはインストール・ベース利益モデルであり、もう一つは顧客ソリューション利益モデル。この二つの併用で、利益を大きくしている。



(参考:AKB48がヒットした5つの秘密


コメント:すごく面白い本です。おすすめです。上のようなことがすごく細かく説明されていて新しい視点をたくさんもらえますよ!

2011年12月3日土曜日

立命館ビジネスコンテスト

優勝発表の様子
12月3日、4日と立命館のビジネスコンテストにお邪魔してきました。
このビジネスコンテストには2009年から毎年参加をしているのですが、毎年進化し続けるコンテストで行くごとに学びが有ります。

今年は、去年よりもまた一歩成長をかいま見ることができました。それは応募案件数とそのレベルの高さ。応募案件が70件もあり(去年は30ぐらい?)倍以上にも膨れ上がり、しかもそれでいてクオリティーが上がっているという素敵な状態。まだまだ、これからも進化していきそうです。応援していきたい取り組みです。

代表の谷口君もすごくユーモアセンスのある素敵な青年です
facebook: https://www.facebook.com/yuki.taniguti