2012年2月27日月曜日

世界は、私たちが考えた通りにある#1

最近のセミナーでは「スキル」アップできるとか、価値観を変えようとかそう言う話をテーマにしたモノがたくさん有るように思う。でも、ほとんどは成功者(と言われる人)のありがたいお話だったり、社会問題の本質は何かを延々と答えもでないままディスカッションするイベントだったりする。

でも、人の「価値観」については僕もすごく興味があるから、ちょっと独自に論を展開してみようと思う。これから書く内容だ。ちょっと不思議な話をする。自分の”思考”のお話だ。でも納得できると思う。思考を変えれば、見える世界(認知世界)は面白いほど変わる。




「ポジティブな世界」と「ネガティブな世界」

人は、常に思考を通して周囲の世界を選び取って知覚している。そうすると、私たちが見落とすものがあることも逆に理解できるだろう(全てを感じていては脳が処理しきれない)。つまり、私たちは、世界の見え方を自分の思考に寄ってを変えることができる(どのようなものを取捨選択するか)、これは即ち「世界は、私たちが考えた通りにある」ということの裏返しだ。

もし、あなたが周囲に起こる悪いことだけに目を向けていたら、それに注意を払っていれば、世界は諸悪の源泉のように見えるに違いない。大学生が増えるたびに、競争率が上がり就職が...なんて思ってしまう人もいるかもしれない。セミナーを受けていないとESさえ通らない。とか、もっと日常でも、「遅刻だ…授業の単位来ないわ」、「上司に怒られた、もう昇進はないな」なんて思ってしまうこともあるだろう(僕も実際そうだった)。

それよりも、人生の素晴らしい側面を見いだすことのできる人の方が幾分楽しい人生を送れるし、幸せだ。世界が私たちの考えるように有るのならば、自分自身で世界をどのように捉えたいかを自分で選ぶことができる。私たちには変えられないこともたくさんあるが、刺激に対してポジティブに反応するという選択肢は存在すると思う。

どうだろう?そんな気はしないだろうか。

僕は、これがすごく分かっている。プロジェクトを任されることがよくあるが、うまくいかない理由を探し始めると本当にきりがない。でも、常に「なんかできる方法はあるだろう」なんて思いながら、これはチャレンジだ!とか言い聞かせながら、いろんな人に話を聞いてみる。すると、自分のやっていることが「結構おもしろいこと」で、自分自身に自信が湧いてくるわけだ。そうすると、不思議なことに思考が切り替わる。できない理由よりも、できる方法を模索し始める。そして案外見つかる。

できる人に対して、あの人はできる、だから「この仕事も教えてもらおう!」と思うのか、それとも「あの人はできるから、ああやって良い評価をもらってて鬱陶しい」と思うのか、それは世界の認知の仕方だろう。

学生団体にいると、営業なんていうことをやることが有ると思う。そこでの僕の経験をシェアすれば、よく営業先の人には、まずイベントの説明をし、協賛メリットを提示しという順番で説明することがほとんどだろう(特に経験のない人はこれをステレオタイプにしているだろう。)そこで、「それ、うちが協賛して何の意味が有るの?」なんて聞かれるわけだ。
そのときの切り返し方だ。そこで「だから、こういうメリットが!」なんて言うのは残念ながらネガティブか、世界の認知を間違えている。ポジティブな人は冷静にこう切り返すだろう。「申し訳有りません、私たちはこういう意図でこのメリットを提示しましたが、御社にとって適切ではなかったようです。逆に、御社に取ってどのようなことを私たちから提供させて頂ければよろしいですか?」とニーズを聞く場へと変更し、さらりとその場の空気を変える。こんなことができるようになるわけだ。

これは、「状況」を変えることはできないが、「自分の反応」は変えることができる。ということだと思っている。困難な状況にいるときに、冷静に対応したりする人を見るのは気持ちがいいし、それ以上に困難な状況を楽しめて好転させることは自分にとっても大きなプラスの経験になる。


「人生の手綱を自分で握るために」

大事なことは「体験する出来事は変えられない」ということだ。私たちは、思考に寄って、それが良い経験なのか、悪い経験なのかを決めている。

雨が降れば、野山へのピクニックは中止になるかもしれない。しかしその代わりに、普段は行くことのないような、博物館を発見することになるかもしれない。物事にどのように対処するのかによって、障害ともチャレンジとも捉えることができるわけだ。


だから、どんな出来事にも柔軟な姿勢で、あるいは新しい方法で対処するように、粘り強く考えるようにすることはとても大事なんだと思っている。

このように、どんな変化も無条件に受け入れ、まずは先入観なしに、ありのままに受け入れると良いと思う。そこから状況をどのように捉えるのか、選択することができる。
だから、何事もすぐに「良い」とか「悪い」とか決めつけないで欲しいと思っている。レッテル貼りをしないで欲しいのだ。そうではなくて、単に「事実はこうですよ」という風に自分に言い聞かせて欲しい。制限を設けないことによって、「自分が物事をどうとらえたいのか」ではなく、物事をありのままにとらえることができる。

そうすることによって、他の人に責任を委ねるのではなく、いつでも自分に責任を持つことができるようになる。我が身に降り掛かった状況の原因を、他人ではなく、常に自分に求める。そうすれば、いつでも自分の人生の手綱は自分で握っていられるのだ。そして、どんな場合も冷静に反応することができると思う。

というのも、物事を改めて見直せば、全く別の側面が見えるようになる。こうした方法を身につければ、じたばたせずに生きていられる。そして、自分自身を前へと押し進める追い風のような効果をもたらす。

もちろん、上のように冷静に対処できることは確かに少ないかもしれない。特に学生の僕なんて体験したことがないようなことばかりで、正直心のどこかで毎日戸惑い続けている。でも対処法をわきまえ始めているから、そうした状況はどんどん減っている。

僕も含めて、みんなが自分自身を、そして自分を取り巻く世界をどのようにとらえるのかは、自分が思っている以上に大きな影響力を持っているということに気付いて欲しい。


「運がいい人、悪い人」

あの人は運がいいよね。なんて言う話を耳にすることもあるだろう。でも、これも世界の捉え方の違いだと思っている。

自動車メーカーの創業者である、ヘンリーフォードの言葉に「あなたは、自分は何かがとても上手にできると思おうが、全然できないと思おうが、どちらも正しい」という言葉が有る。まさにそうだと思った。なぜなら、自分の思考パターンで様々な世界の捉え方が変わるのなら、思考パターンが目標の達成の妨げになることだってもちろん有るわけだ。それは、自分自身の「人生の運を左右する」、「目の前の機会を手に入れるかどうか」さえも左右する。

個人的には、「楽観的な人」は結構運がいい人が多いと思う。そういう人は、前向きで、エネルギッシュで、新しい機会や経験に対してオープンだ。一方で運が悪い人は、控えめで、頼りなく、心配そうな反応をし、目の前にあるチャンスを見つけていかそうという気がない。そんな気がしている。


結論

簡単に結論を述べてしまえば、ある事実、ある出来事、ある機会に対する「自らの思考」で可能性を閉ざしも、開きもするわけだ。で、目の前に困難な案件が来るとどう考えても、無理そうな気がするし、自分に降り掛かってくる仕事の量などを考えてしまうのだが、もう少し踏み込んでみよう。「困難な仕事」を引き受ければ、それだけ「人と会って相談することは多くなる」わけで、新しい「繋がり」もできれば、新しい機会をもらう次の機会を生み出すことにもツナガル。そんな感じで、どんどんポジティブに物事を捉えてみれば、飛び込むべき目の前の機会なんて死ぬほど有るはずだ。「アルバイトのお誘い」から始まり、「一緒に会社を興そう」までワクワクするものばかりだろう。そういう機会をみすみす逃していることに早く気付き、どんどんポジティブに突っ込んでいこう。そうすれば正の循環が生まれて、人生は「わけもわからず」明るいような気がし始める。すると、どんどん人の輪も広がるし、自分自身の成長も実感でき、最後には夢が叶っている。そういうことになるわけだ。

あと最後に、僕自身をポジティブに変えてくれた要因を紹介しておくと、ポジティブな人たちとの偶然な巡り合わせにあったと思う。一緒にいると「傷のなめ合いではなく」、いっぱい元気をもらえる人。そういう人との出会いだったように思う。

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